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ミュンアンの城下町の一角に、ザン部隊の家族の多くが暮らす長屋がある。普段は国境付近の要所で警備をしている隊員たちは、交代で町に帰る。そのため普段は男手が少ない。隊員の家族たちは、皆がひとつの家族のように団結し、協力し合って生活している。
ソルアとの戦いから、七日が経過していた。
トシの怪我は幸いにも骨は折れてはいなかったものの、痛みが和らぐまでは、皆一緒に長屋で過ごさせてもらっていた。それは、ソルアを倒した礼としてザンが提案したからだった。
ミュンアン国内は平穏で、町には活気があった。長屋の人々は皆明るく、そして人情が厚かった。汚れた肌着のようなものしか身につけていなかったミゼルと、男装をしているルイを見た長屋のご婦人方は、これは一大事とばかりに色鮮やかな服をたくさん持ってきてくれた。それらの服に身を包み、髪を可愛く結ったミゼルと、短髪に似合う大きめな耳飾りを付けたルイは、ウォルフが小躍りして喜ぶほどに美しかった。
人見知りの激しいミゼルは、初めはシュウの側からなかなか離れようとしなかった。しかし気さくな町の人たちの暖かさに触れ、次第に緊張がほぐれていき笑顔も増えた。
ザンはトウに傷を負わせたことをご婦人方からこっぴどく叱られ、トウにできる限りの謝罪をする羽目になった。トウには誰よりもふかふかな布団が用意され、たくさんの食料も差し入れられた。この国でも、ココラルは神様のような存在として大事にされているからである。
栄養たっぷりな食事と心地の良い寝床のおかげで、トウの怪我は随分と回復していた。
ドンドンと扉を叩く音が聞こえ、ザンが「誰?」と声を出すと、顔を出したのはウォルフだった。
「入っていい?」
「ああ」
簡素な部屋の端で、ザンは寝そべっていた。
「生まれたか?」
「うん、女の子」
「そうか。それはめでたい」
部屋の中央には囲炉裏があるが、最近使われた形跡はなかった。部屋の中は明かりもなく、寒くて暗かった。ただ、甘い香りが部屋に充満していた。
「ザンは会いに行かないの?」
「町を出る前に、ちらっと行くさ」
「でも驚いたな。ラグに五人も子供がいるなんて」
そう言いながら、ウォルフは囲炉裏の側に座った。
「ハクトが手加減してくれていて良かった。ラグにもしものことがあったら、子供たちや奥さんに恨まれるところだった」
ザンは、フンと鼻で笑った。
「そんなことを言っていたら、ザン部隊は務まらない。皆、覚悟はできてるさ」
今回のヤオト族との戦いでも、何人かの死者が出た。この町に来てすぐに行われた合同葬儀に、ウォルフたちも参列したのである。
「ザンは家族を持たないの?」
「ん?」
「この家で亡くなったんだよね、お母さん」
ザンは扉付近に一瞬だけ目を向けた。そして目を瞑った。
「ああ」
「家族を危険な目にあわせたくないんだね」
ザンは何も言わずに寝返りをうって壁側に顔を向けた。
「隊員のみんなが覚悟ができるのは、ザンが頑張っているからだと思うよ」
「ガキ相手に褒めるような言い方すんじゃねえよ」
と、ザンが力なく言った。
「まあ、ウォルフにしてみたら、俺なんか赤ん坊みたいなもんだろうがな」
ザンとラグには、自分が不死身だということ、そして旅の目的を打ち明けていたウォルフだった。
「そうだね。寂しがり屋の赤ちゃんだ」
「何だと?」
ザンはムクッと身体を起こして振り返った。
「馬鹿にしてるのか?」
「この香」
と、ウォルフは囲炉裏の隅におかれた香を手に取った。
「名前を知らなくてさ。この香、朱華っていうんだね。朱色に黄色を少し混ぜたような、暖かいけど何だか儚いこの色を、この国では朱華と呼んでいる。だから朱華色の香木で作られた香を朱華と呼ぶようになったんだって、ミレイさんに教えてもらったんだ」
ラグの母親のミレイは、ザンの母親が死んだ後、何かとザンの面倒を見てくれた人である。今でもザンのことを、幼名のリュウマで呼ぶ唯一の人であった。
「服に良い香りがつくように、ほんの少しだけ箪笥に入れて使うものなのに、リュウマはずっと側で焚いて、ひどく甘い香を漂わせてるって、ミレイさんが怒ってた」
「俺を幼名で呼ぶな」
「朱華色の着物を着た女の子がいたんだってね。ミレイさんが言ってた。その子のことが忘れられなくて、リュウマはずっとこの香に執着してるんだって言ってたよ」
「あのおしゃべりババア、余計なことを……あることないこと言いやがったな!」
と、ザンは床を叩いた。
「ミレイさんを怒らないで。ミレイさんから上手く聞き出したのは僕だから。ハクトにも、お前はとんでもない人たらしだなって怒られたところなんだ。でも、どうしても知りたかったんだ。どうしてこの香りを嗅ぐと、ザンが凶暴になる自分を止められるのか、この香りを嗅いだ時に溢れ出る愛情は、一体誰に対して向けられたものなのかを」
「あい…………?」
ザンは舌打ちをすると、また壁に向かって横になった。
「お前には関係ない」
「確かに。関係ないね。じゃあ、関係のある話をするよ」
と、ウォルフは香を元の位置に戻した。そして懐から白い物を取り出してフワッとザンに向けて投げた。その白い物は、カタッとほんの小さな音を立ててザンの頭のすぐ上に落ちた。ザンは首を少し動かして、その白い物を手に取った。
「紙鳥か」
「うん。フウさんの。ザンも知ってるでしょ?あの時……僕が空に飛ぶ鳥を見て、紙鳥みたいって言った時……ザンが驚いていたから、きっと知っているんだと思った。そしてあの時に、ザンの感情が一段と大きくなったのが気になって……あぁ、僕は感情が見えるんだ、言ってなかったけど」
ザンは何も言わずに、じっと紙鳥を見つめている。
「探したよ、フウさん。最近見なくなったって誰もが言うし、住んでいた場所を訪ねても随分前に引っ越したって言うし。でも、きっと近くにいると思ってさ。ソルアの気配を探って、ようやく山の中で見つけたよ。ミュンアン国とブラルト国の国境にある山の中でね」
ウォルフが訪ねた山小屋から出てきたのは、腰の曲がった老人だった。その老人は、ウォルフが知っているフウさんではなかった。
「あなたは何代目のフウさんですか?」
「三代目じゃよ」
「初代のお孫さんってこと?」
「血は繋がっとらんよ。弟子の弟子さ」
「僕が知っているフウさんではなかったけど、不思議なことに似てたんだ。まとっている空気みたいなものが似てるんだよ。ずっと子供たちを相手にしてきたからかな。とても暖かくて優しい空気だった」
ザンは寝転がったまま腕を伸ばして紙鳥を高く上げた。そしてそれが羽ばたいていた時のことを思い出していた。子供の頃のザンは、紙鳥が飛んで行くのを、どこの誰だか知らないたくさんの子供たちに混じって、歓声を上げながら見ていたのだった。
「懐かしいな」
ザンはゆっくりと腕を下ろした。
「引退していたのは知っていたんだが、どこに行っちまったのか、気になっていたんだ」
「フウさんも気にしていたよ、ザンのこと。ザンは命の恩人なんだってね」
「そんな大層なもんじゃねえ」
ザンは起き上がるとウォルフの方を向いて胡座をかき、目の前の床に紙鳥を置いた。
「フウさんに初めて会ったのは、まだガキだった頃に潜入の訓練でブラルト国に入った時だった」




