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「ザン、何を考えているんだ」
ウォルフの背後に音もなく天井からスッと降りてきた男が、ザンに鋭い視線を投げながら言った。ウォルフは縄を解かれ、ザンの横に座って一緒に干し肉を頬張っていた。
「いや、僕のことも丁重に扱えって言うからさ」
と、ザンは笑いながら答えた。
「こいつ面白い奴だぜ、肝が据わってやがる。仲間にしたいぐらいだ」
「ごめん、それはできない。僕にも使命があるから」
平然と言い放つウォルフに、ザンはクックッと笑って肉をかじった。
「ザン、もう少し頭らしく振る舞え」
ウォルフの背後にいる男は、不機嫌な様子だった。その男の名はラグ。ザンとは兄弟のように幼い頃からずっと一緒に育ってきた男で、頭であるザンとも対等に話す。
「いいじゃねえか。こいつは逃げたりしない」
「ちゃんと人質してるよ」
ラグは表情を変えることなくウォルフの首筋に太い針の先端を突きつけた。ウォルフがぴたりと動きを止める。ラグはそんなウォルフに「調子に乗るな」と耳打ちした。
「やめろ。血の匂いがする」
と、ザンがラグを睨んだ。まだ刺されていないよという言葉を飲み込んで、ウォルフはクンクンと鼻を動かした。甘い香りがザンから漂っていて、血の匂いなどしなかった。
「ひょっとして、ザンは血の匂いが嫌いだからこんなにきつい香をつけているのかい?」
ん?とザンが眉をひそめた。そして、スッと針を手の中に収めたラグが、その手をウォルフの首に回して締め上げる。数秒でウォルフの意識は無くなり、ラグの腕の中でぐったりとしてしまった。ラグはウォルフの身体を床に置くと、周りにいる男たちにウォルフを縛るように命じた。
「乱暴はよせって。そいつは、俺たちの敵ではない」
「ガキに舐められたことを言われておいて許すな」
「まあしかし、図星だからな」
と、ザンは苦笑いを浮かべた。ラグが呆れた様子で首を横に振った。
「血を流さずに、女を取り戻せると思うのか」
「そうしたいがな……あちらさんがどう出るか……」
ザンは懐から香を取り出すと、それに火を灯してフッとかき消し、足元に置いた。甘い香りが部屋に充満し始める。ラグはあからさまに嫌な顔をした。
「お前、ザンの名を俺に譲って引退しろ」
「残念ながら、ザンの名は世襲と決まってる」
「お前には向いてない」
「血の匂いが死ぬほど嫌いだから?」
「ああ」
「だからこそ俺は、俺の代でザンを終わらせる。いいか、お前たち」
と、ザンは周りにいる男たちに向かって言った。
「死んではならない。死ぬことは何の役にも立たない。俺たちは、もうこれ以上、誰一人欠けることなくこの戦いを止める。つまらない内戦も、永遠と続く紛争も止めてやる。それが俺たちの役割だ。生きる意味だ」
「はい」
と、周りの男たちが声を合わせて言った。ラグはため息をついた。
「血は流れるぞ」
「わかってるさ。だからこうして香を焚いているんだ」
「たっぷり染み込ませておくんだな」
と、ラグは再び柱に縛られたウォルフを見やった。
「こんな男の仲間だ。きっと、ろくな奴らじゃない」
(いつ目覚めようかな)
気を失っているふりをしているウォルフは思案している。
ラグに絞められて一瞬だけ意識が飛んだものの、すぐに元に戻っていたウォルフだった。しかし気を失ったままを装って、ザンとラグの会話をしっかりと聞いていた。
(ハクトは怒っているだろうな。勝手なことをして)
担がれて運ばれながら、ウォルフはハクトに何と言われるだろうかと考えた。ほんの少し前に、ハクトたちが戻ってきたという情報が入り、ウォルフは縛られたまま移動していたのだった。
(ザンの部隊に会ってみたかった、なんて言ったら殴られそうだ)
百年ほど前に出会ったブラルト国出身のソルアは、子供たちから『フウさん』と呼ばれる人気者の旅人だった。フウさんは、術を使って物を浮かせたり、自分が飛んでみせたり、子供を宙に浮かせたりして皆を喜ばせた。手先が器用なフウさんは、紙を折って鳥の形にし、それを術で飛ばして見せたりもした。紙でできた鳥が、まるで本物の鳥ように飛んでいくのを見て、子供たちは歓声をあげた。
子供たちがたくさん集まると、フウさんは世界各国の英雄伝を話して聞かせてくれた。ウォルフは、そんなフウさんの話を目を輝かせながら聞く子供たちを見るのが好きで、しばらくフウさんの旅に同行していたのである。
フウさんの英雄伝の中で子供たちに最も人気があったのが、ザン部隊の話だった。ブラルト国出身のフウさんにとってはザンは敵であるにも関わらず、頭脳明晰で身体能力も高いザン部隊を賞賛するような物語を、フウさんは笑顔で話していた。
「ソルアだったおじいちゃん、ザンに殺されたんだよね?どうして恨んでいないの?」
そうウォルフが尋ねたことがあった。その時、フウさんはニコッと笑って答えた。
「そうだね、ウォルフ君。確かに悲しい出来事だ。しかし私の祖父が敗れたことで、戦争が大きくならずに済んだことも確かだ。祖父はブラルト国の軍隊の中心的な存在だったからね。そこを崩されて、ブラルト国の戦意が一気に喪失した。ザン部隊は、できるだけ犠牲を少なく戦争を終わらせたんだ。両国の国民を守ったのは、ザン部隊なんだよ」
「恨んでない?」
「恨みからは何も得る物がないよ、ウォルフ君。僕は、そういう歴史があったからこそ、戦いに生きるソルアにはならなかった。代わりに、こうして子供たちの笑顔の中で生きる道を選んだ。子供たちが笑顔である世界、それが一番だ。そう思うだろう?」
「ザンに会ったことある?」
「いや、ない。きっとまだ部隊は存続していると思うが」
「会えたら、どうする?」
「錘のついた鎖を投げるところを見たいね。聞いた話でしかなくて、見てみたいんだ。とても格好良かったらしい。僕に向かって投げてもらおうかな。ワクワクするね」
(フウさんに会えたら自慢できたのにな……天国で会えるかな……)
ウォルフを抱えていた男たちがぴたりと動きを止め、ウォルフは地面に下ろされた。
(皆の気配がする……)
ウォルフはようやく瞼を開いた。
(おっと…………皆、何があった?)
ウォルフは顔を上げてハクトたちに視線を向けた。目に包帯を巻いた赤い髪の女性がシュウに左腕で抱き寄せられて立っている。その二人を守るように立つハクトとトシ、少し離れたところで横になっているトウに寄り添うルイがいた。
各々の複雑な感情が揺らめいているのがウォルフには見えた。戸惑い、怒り、嫉妬、不安、愛……さすがのウォルフにも状況がつかめない。ただ、皆が自分のことを心配していることだけは、はっきりと伝わってきていた。
「仲間を返してもらいたい」
と、ハクトが言うと、ザンは頷いた。
「もちろんだ。その女と交換でな」
「ひとつ確認したいことがある」
「何だ」
「この人を使って、何をするつもりだ」
「それはお前たちには関係がない。フオグから来た旅人だろ?俺たちの国の話に首を突っ込む必要はない」
「確かに、俺もそう思う。しかし、困っている人をそのままにしておくこともできない」
「なぜ?」
「後悔したくはないからだ」
「つまり、その女を返すつもりはないと?」
「そもそもお前の女ではないのだろう?」
「お兄さんの女でもないぜ」
ザンはハクトからシュウに視線を移して言った。
「惚れちまったか?しかし、お兄さんにその女は扱いきれない」
ラグの合図で、鎖を持った男たちが皆の周りを囲んだ。それからラグはウォルフを担いで立たせると、身体に腕を回してぐっと締めつけた。
「力ずくであの人を奪おうとしても無駄だよ」
と、ウォルフが苦しそうに言った。
「僕の仲間は、ザンが思っているより強い。ザンだって、本当は戦いなんて終わりにしたいと思っている。そのために、あの女の人を使おうとしているの?」
「うるさい、黙れ。お前には関係のないことだ」
「ちゃんと説明してみて。僕の仲間は、ザンの敵にはならない」
ラグがウォルフの背後でスッと手を動かしたのがザンにはわかった。
「やめろ、ラグ」
ザンが咄嗟に叫んだが、ラグの手の中から飛び出した太い針は、ウォルフの首を貫通していた。
「ウォルフ!」
と、ハクトが動き出すよりも一瞬早く、ラグがザンの蹴りを受けて弾き飛ばされた。そして支えを失ったウォルフをザンが受け止める。
「おい!」
ウォルフの首元を見たザンは、眉間に皺を寄せた。そこにあるはずの傷がなく、血も流れていなかったからだった。
「どういうことだ?確かにラグが……」
「う……ん……」
ウォルフはコホンコホンと咳き込んだ。地面に倒れていたラグは、蹴られた胸を押さえながら起き上がった。
「大丈夫か、ウォルフ」
ハクトの声に、ウォルフは目を開けてにこりと笑った。
「大……丈夫……に決まっ……てる」
「見間違えたのか、俺は」
ラグを見やりながら、ザンが呟いた。
「確かに刺したように見えたのだが」
「うん……刺された……痛かった」
「お前……どういうことだ?」
ザンがウォルフから手を離し、少し後ろに下がった。
「人間なのか?」
「一応」
ウォルフは寂しそうに笑った。
「でも、ごめんなさい。僕は嘘をついていた。ちゃんと人質をやるから縄を解いてって言ったけど、最初から僕は人質としての役割を果たしていなかったんだ。なぜなら僕は死なないから。どんなに斬られても元に戻ってしまうから」
「そんな馬鹿な……」
「本当の話だ。でも僕はザンを欺くために人質になったんじゃないよ。
百年ほど前、ブラルト国のソルアからザン部隊の活躍の物語を聞いたんだ。賢くて強くて格好いいザン部隊の物語だ。その物語を聞いている子供たちの目は輝いていた。子供たちが憧れる英雄だった。僕はその英雄に会ってみたいとずっと思っていたんだ。だからわざと捕まった。
僕は、ザンには英雄であり続けてほしい。子供たちの笑顔を守り続けてほしい。たとえ国を守るためとはいえ、嫌がっている可哀想な女の人を利用して血を流させるようなことはしてほしくないんだ」
「ザン」
ラグがいつの間にかザンのすぐ後ろに立っていた。
「惑わされるな。あいつらを信用できる根拠がどこにある」
「しかし……跡形もないんだぞ、お前の針の……」
ラグは縛られたまま座っているウォルフの横に瞬時に移動すると、額を掴んで無理やり地面に横たわらせた。そして分厚い剣を抜くと、それを振り上げた。
「斬っても死なないというのなら、首を落としてやろう。胴体から首が離れてしまえば、化け物でも元に戻ることはないだろう」
「僕がそれを試さなかったとでも?やめた方がいいよ。すごく気持ちの悪いものを見ることになる」
ラグはウォルフの言うことに全く聞く耳を持とうとしなかった。
「ラグ!」
ザンが叫ぶのと同時に、ラグが剣を振り下ろした。しかしトシが出した防御の壁に遮られ、ラグの剣はウォルフに当たらずに止まった。
ラグが顔を上げてトシの方に目を向ける。その時にはすでに動き出していたハクトが、ラグに迫ってきていた。ラグが瞬時に剣を構えるが、それよりもハクトの木刀がラグの腹部にめり込む方が早かった。ラグは後方に飛ばされ、地面をえぐりながら倒れた。
「ウォルフを傷つける奴は俺が許さない」
ラグは身体を起こそうとしたが、意識を失って倒れてしまった。周りを囲んでいるザンの手下たちがざわめき、各々の鎖を回し始めた。
「やめろ、手を出すな。お前たちに敵う相手じゃない」
ザンはハクト、トシ、シュウを順に見やった後、ウォルフを見つめた。
「お前らは、一体何者だ?全員、人間ではないのか?」
「化け物は僕だけだ。他のみんなは……フオグ国の英雄ユアンの息子たちだよ」
「はぁ?」
と驚くザンを尻目に、ハクトは黙ったままウォルフの方を向くと、膝をついて短刀でウォルフの縄を切った。ウォルフは腕をさすりながら上目遣いでハクトを見つめた。
「怒ってる?」
「当たり前だろ」
「ザン部隊に会いたかったのもあるけど、誰も傷つかないようにもしたかったんだ」
「言い訳をするな。わかっている」
「でも怒ってる?」
「お前が苦しむ姿は見たくないと言ったはずだぞ」
「そうだったね。ごめん」
ハクトはふっと口元を緩めると、大きな手のひらでウォルフの頭を撫でた。
「手の掛かる弟ばかりで俺は疲れる」
ウォルフが目を見開いてハクトを見た。ハクトはそんなウォルフに背を向けると、ザンに向き直った。
「どうする?ウォルフは戦うなと言っているが、お前が戦いたいのなら相手をしてやる」
「英雄ユアンの息子……か。本当なのか?」
「試してみるか?」
ハクトが聖剣をほんの少し鞘から抜いた。青い光がそこから広がり、周りの手下たちが再びざわめいた。
ザンは息を止めながら青い光を見つめ、そして大きく首を振った。
「聖剣……そんな、まさか……驚いたな…………わかった、わかったよ。俺たちの負けだ」
そう言うと、ザンはその場に座って胡座をかき、肩を落とした。
「降参だ。その女はお前らにやる」




