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トシが部屋から出ると、ドリルは部屋の鍵を閉め、机に向かった。椅子にどかっと座り、机の引き出しを開ける。
引き出しの中には、一枚の絵が入っていた。十一年前にビスクと共に乗っていた船の絵だ。それはビスクが描いたものだった。ドリルは愛おしそうにその絵を手でなぞった。
(あのウォルフって子は、お前の生まれ変わりなのか?どうして……あんなに……言うことまでお前とそっくりだなんてな)
「まだ十六じゃねえか。船に乗るのは早いぜ」
十一年前、船員として船に乗りたいと言い出した息子にドリルは言った。
「僕はもう子供じゃないよ。父さんだって十五歳から海に出てるじゃないか」
そう言って、ビスクは屈託のない笑顔を父親に向けた。
「そのためにたくさん勉強してきたんだ。きっと信頼される航海士になってみせるよ」
「ああ、そうさ……お前ならきっと、立派な航海士になれただろうぜ」
船長室でポツリとドリルはつぶやく。手の指は船の絵の線をなぞり、船首のあたりで止まった。
「父さん、見て」
「何だ」
「今日の海は、いつもより一層美しい」
初めて船員として船に乗り込んだビスクは、キラキラと目を輝かせていた。
「そうだな。俺は嬉しいよ、お前と一緒に航海に出ることができて」
「本当に?」
「ああ。お前は俺の自慢の息子だからな」
ドリルは急いで引き出しを閉めた。次に脳裏に浮かんだのが、あの日のビスクの姿……矢を受け、絶命している息子の姿だったからだった。
ドリルは両手で拳をつくり、それをこめかみに押し当てた。叫びそうになるのを必死に堪える。身体は震え、ドリルは床でうずくまった。
「父さん、今日から僕も船乗りだ。だから僕への約束は、父さんも同じだよ」
「何の話だ?」
「僕が小さい時に約束したじゃないか。陸に残る僕に。船乗りは命懸けの仕事だ。いつ嵐に巻き込まれるかもしれない、いつ海賊に襲われるかもしれない危険な仕事だ。でも父さんはこの仕事を誇りを持ってやっている。死んでも悔いはない。だから、もし父さんが航海から帰って来ることができなかったとしても、お前は泣くな、強い男になれって。約束したでしょ?」
「ああ、そうだ」
「だから僕に何かあっても、父さんも泣いちゃだめだよ。約束」
「ああ、わかった。でも、お前のことは俺が必ず守る。約束だ」
「うん」
と、ビスクは嬉しそうにうなずいた。
その頃、ソルアの部屋ではウォルフの診察が終わり、シュウは眠ったままのウォルフに毛布を掛けた。
「どうして熱が出ているのか、わかったか?」
ハクトが尋ねると、シュウは険しい表情でため息をついた。
「熱の他に悪い所見はありません。考えられるのは、精神的に受けた傷を癒しているのではないかと」
「どういうことだ?」
「攻撃による外傷や内臓の損傷が癒えるまでに時間がかかる時、ウォルフはいつも眠って治しています。それと同じで、心がひどく傷ついた時も、こうして眠って治しているのではないでしょうか。心はここにありますから」
と、シュウはウォルフの頭に手を当てた。
「何をそんなに傷つくことがあるというのだ?船長の息子にウォルフが似ているだけのことだろう?」
「わかりません。しかし、ウォルフにとって父親という存在の持つ意味が、我々とは異なるのではないでしょうか。ひょっとしたら、辛い過去を思い出しているのかもしれません」
「父親は、ウォルフをこんな身体にした張本人……か」
「かわいそうなウォルフ。熱が出るほどに悩むなんて」
と、ルイがウォルフの額に置いた布を、洗いなおそうと取った時だった。ウォルフが突然両目を開き、勢いよく上半身を起こした。
「ウォルフ!どうした?」
ウォルフはハァハァと息遣いが荒い。
「まだ熱がある。横になってろ」
と、肩に手を置いたハクトを、ウォルフは今にも泣き出しそうな顔で見つめた。
「ウォルフ?」
ウォルフの息遣いはどんどん荒くなっていく。そしてハクトの手を振り切って寝台から降りると、走って部屋から出て行った。
「ウォルフ!」
ハクトとシュウがその後を追いかける。ウォルフが一目散に向かったのは、船尾にある船長室だ。部屋の前にはトシがいて、頭を抱えて座り込んでいた。
ウォルフは船長室の扉の取っ手を握った。しかし鍵がかけられていて開かない。
「ウォルフも気付いたんだな、この部屋から溢れそうなほどに広がった船長の感情に」
「感情?」
追いついてきたハクトがトシに尋ねる。
「一体、何がどうしたんだ?」
「人の感情が見えるんだ、ソルアと影は。ウォルフにも見えるんだ」
ウォルフはドンドンと扉を叩いた。中から反応はない。ウォルフは目を瞑って深呼吸をすると、部屋の中に向かって言った。
「僕だよ。開けて」
中で足音がして、ガチャっと鍵の開く音とともに扉が開かれた。そして顔を紅潮させ、目を見開いたドリルが姿を現した。
ドリルは口を半開きにしたまま、ウォルフに近づいた。そして黙ったままゆっくりとウォルフを抱きしめた。ウォルフは顔をこわばらせたが、抵抗することなくじっとしていた。
「一度だけ……」
ドリルが、いつもとは正反対の弱々しい声で、ウォルフの耳元でつぶやく。
「……泣いてもいいか?」
ウォルフは腕をドリルの身体にまわすと、ドリルの背中をゆっくりさすりながら言った。
「うん、いいよ」
ドリルはウォルフを抱きしめたまま、声を上げて泣いた。それは心の叫びのようにも聞こえた。そして部屋から溢れんばかりにひろがっていたドリルの苦しみが、少しずつ縮まっていく。
トシは安堵した様子でそんな二人を眺めていたが、ハクトは対照的な表情で見つめていた。
(ウォルフは無理をしている……船長のために……)
ハクトがふと横を見ると、暗い表情のシュウと目が合った。二人は黙ったまま頷くと、再びドリルとウォルフに視線を戻した。




