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「いたか」
ウォルフを探し回っていたトシは、ウォルフを抱きかかえて戻ってきたハクトを見て安堵した。
「ああ。しかし様子がおかしい。シュウはどこだ?」
「さっきすれ違ったんだ。すぐに呼んでくる」
ハクトはソルアの部屋に入ると、寝台にウォルフを横たわらせた。
「良かった、見つかって……どうしたの?ウォルフ、いつもより顔が赤いわ」
と、ルイがウォルフの額に手を当てて驚いた。
「熱がある」
「怪我はすぐに治るのに、病気にかかるなんてことがあるのか?」
「わからない。今までウォルフが病気で体調を崩すことなんてなかったから」
そう言いながら、ルイは荷物の中から布を取り出すと、部屋に置いてある手洗い用の桶の水に布を浸した。
「しばらく泣いていたんだが、急に眠ったのか意識を失ったのか、ぐったりしてしまったんだ」
ハクトもウォルフの額に手を当ててみた。確かにひどい熱が出ている。
ルイは布をぎゅっと絞ると、それをウォルフの額に乗せた。
「怖い夢を見ている子供のようだったんだ。あんなウォルフを見たのは初めてだ」
「怖い夢?」
「ああ、うなされていた。俺は、ウォルフは強い奴だと勝手に思い込んでいたのかもしれない。巨大な影の住人が出てきても冷静で、俺の考えていることなどいつもお見通し、どこか達観的で余裕があって……しかし実際は違っているのかもしれない。純粋で無垢な子供のままなのかもしれない。繊細で、傷つきやすくて、悩みも多くて。六百年の間に、そんな感情を隠すことだけは上手くなって、しかし実際は誰よりも苦しみながら生きてきたんじゃないか……そんな気がするんだ」
ふと顔を上げると、ルイが穏やかな表情で自分を見ているのに気づいて、ハクトは眉をピクリと動かした。
「何だ?」
「いや……ハクトさんがそんな優しい顔で、そんなにたくさん話すのを聞いたの初めてだったから、意外で」
と、ルイはニコリと笑った。
「ウォルフのおかげかしら」
「どうしてそうなる?」
「前にみんなと噂してたの。ハクトさんとウォルフは親友のようだねって。シュウ先生が嬉しそうで……兄上には今まで友人がいなかったから、良かったって」
「おい、俺のいない所で何という話をしているんだ。失礼な奴らだ」
ルイはウォルフの額に手を当てた。布はすでに暖かくなっている。ルイは布を洗い直すと、再びウォルフの額に乗せた。
「船長のことで思い悩んでいるのかしら」
「おそらく。しかし、それだけではない気がする」
「ねえ……このまま私たちが、聖剣の使い手や闇の炎を探し当てることができないまま年老いて、あるいはナバルに敗れて命を落とすようなことがあれば、またウォルフはひとりになってしまうのよね……たぶん、きっと、ウォルフはそんな出会いと別れを繰り返してきたのよね……?」
ハクトは何も言わずに、顔を赤くして眠っているウォルフを見つめた。
…………聖剣の使い手と闇の炎を手に入れてナバルを倒すことができたら、そうしたら僕を、僕を微塵も残さず消し去ってほしい…………
ウォルフの言葉がハクトの耳にこびりついている。ハクトは胸が締め付けられる思いで、肌身離さず背負っている聖剣を包んだ布の結び目をぎゅっと握りしめた。
ほどなくしてシュウとトシも部屋に戻ってきた。ウォルフが熱を出していることを聞いたシュウは、すぐに診察にとりかかる。
トシはウォルフに漂う感情を見つめていた。ウォルフの身体にある影の気配は小さいので、かなり近づかないとわからない。それに対してこの感情の湯気は、少し離れたところからでもはっきり見えるほど大きかった。ウォルフの感情がここまで大きく膨らんでいるのを見るのは、初めてのことだった。
(船長と同じだ……同じ色をしている)
その色はどこまでも深い、底のないような濃紺だった。そしてその時、同じ感情の持ち主がソルアの部屋の前にやってきたのを感じたトシは、素早く部屋を出て後ろ手に扉を閉めた。
「どうされましたか?」
扉の前にいたのは、ドリルだ。慌てて出てきた様子のトシを見て、少し驚いた様子だった。
「飯の時間だ。上の階に食堂があるから、皆で来るといい」
「ありがとうございます。その前に、船長室へ伺ってもいいですか?」
「船長室?」
「船長室に影の住人が潜んでいるので、追い払いたいのです」
「本当かよ。じゃあ、ぜひとも頼むぜ」
船長室では影の住人が七体も漂っていたが、トシが風を操り始めると、皆、恐れをなして一目散に逃げていった。
「先生は風を操れるのか。帆船にもってこいじゃねえか。どうだ?ずっとこの船で働く気はねえかい?給料は弾むぜ」
「いえ、僕は……」
困った顔をしたトシを見て、ドリルはアハハと笑った。
「知ってるよ、世界を救うんだろう?あの子が言ってた。あのウォルフって子が」
「ウォルフがそんなことを……」
「ああ……しかし何だ、俺はそんなに影の住人に狙われてんのかい?俺が何か悪いのかい?」
「いえ、そういう訳ではありません。影の住人は、人間の負の感情を食べに来るのです」
「負の感情?悪意とかってことか?俺は悪人ってことか」
「いえ、違います。何というか……その……」
「何だよ、はっきり言ってくれよ」
「ドリル船長から出ているのは……悲しみとその奥にある…………絶望」
ニコニコとしていたドリルから笑顔がふっと消え、トシの視線から逃れるようにドリルは横を向いた。
「地獄のような悲しみが船長から見えます」
「何言ってんだよ、先生。よしてくれよ、縁起でもねえ。船長が絶望しちまったら、船が沈むだろうが」
と、ドリルは笑い飛ばした。
「船長、あなたの苦しみは、僕なんかではどうしようもないことです。しかしこのままでは……」
「だから先生、悲しみなんてあるもんかって。さあ、早く食堂へ行ってきな。他の連中に食い尽くされちまうぜ」
明るく楽しげな声でドリルはトシの背中を軽く押した。トシはそんなドリルにそれ以上何も言うことができず、その場を後にした。




