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ハクトは木刀を構えたまま、ウォルフの動きに集中している。ウォルフはただ無邪気に遊ぶ子供そのものだ。動きを読むことは難しい。
感覚を研ぎ澄ませて、ウォルフが動く周りの空間を捉える。空気の流れを感じ、ウォルフの息遣いに耳を澄ませる。
ウォルフの動きに合わせて、なめらかに流れるように動く。ウォルフと同じ動きをすることは不可能なことはわかっている。焦ることなく心を落ち着かせ、常に距離を測りながら動く。
初めの頃はウォルフの動きが全く見えなかったが、近頃は目の奥に残像のようなものが映るようになってきていた。
ハクトは静かに深呼吸をしながら、より一層集中力を高めた。
ウォルフが動き出す瞬間を感じる。どこに行こうとしているのか、かすかな空気の乱れを読む。流れるように動きながら、ハクトにはウォルフの動きが確かに見えていた。身体をくるりと回転させ無駄のない動きで木刀を出す。ウォルフの身体は木刀に弾き飛ばされ、地面をえぐるほどの衝撃をうけながら、十歩分の距離を引き摺らせて止まった。
「ウォルフ!」
と、ハクトが慌ててウォルフに駆け寄った。
「すまぬ。手加減ができなかった」
ウォルフは「えへへっ」と笑いながら少し顔を上げた。
「ついに負けちゃった。やったね、ハクト」
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ。胸の骨が折れちゃったみたいだけど、一晩寝たら治る」
「すまぬ」
「僕は死なないって知っているでしょ?そんな悲しそうな顔をしないで、ハクト」
「死なないのはわかっている。しかしお前から痛みがなくなったわけではないことも知っている。俺は仲間が苦しむ姿を見たくないのだ」
ウォルフはきょとんとした顔でハクトを見つめると、にこりと微笑んだ。
「仲間か。初めて言われた。ハクトはやっぱり優しいね」
「うるさい」
ハクトはウォルフの両膝の裏と背中に腕をつけると、ウォルフを軽々と抱き抱えながら立ち上がった。
「ちょっとハクト。僕、歩ける。さすがにこれは恥ずかしい」
ウォルフは嫌がったが、ハクトはしっかり抱え込んで離さなかった。そしてキレスの小屋に向かって歩き始めた。
「おとなしくしてろ。念のため、シュウに診てもらえ」
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トシはポルトとスタン、ユガとモナ、そしてガズールという若いソルアに囲まれている。
「ガズールの攻撃を初見で避け、かつ完璧に自分のものにできたら合格さ」
と、キレスは横にいるシュウとハクトに言った。
「しかもポルトたちの動きを封じ込めながら」
トシは風を操り、自分の周りに竜巻のような空気の流れを作りながらユガに向かっていく。ユガもまた同じように空気の流れを作りながら、トシが出してきた矢尻を弾き飛ばすと、両手を前に出して周りの風をぎゅっと集めるような仕草をした。するとユガの身体の前には頭の大きさほどの丸く白い塊ができる。これに当たれば、影の住人であれば身体に穴が開いてしまうほどの威力がある風の球だ。ユガがその球をトシに向かって投げた。
トシが大男を出して、その球を防ぐ。大男は球の威力を吸収して、散り散りになって消えた。その瞬間にトシが出した風の球は大きさも速度もユガの倍で、ユガが気付いた時にはもう自分の目の前にある状態だった。
ポルトがユガに向かって強力な防御の壁を出す。風の球はその壁を壊して消えた。しかしその時ユガにほんの少しの隙が生まれた。そこにトシが動きを止める術を使ってユガを封じた。
「一人目。いい集中力だ」
と、キレスが微笑んだ。
モナがトシに動きを止める術を使った。トシは防御の壁でそれを阻止する。それから白く光る網を出し、猫に姿を変えてトシの背後に回ろうとするスタンに投げる。スタンは軽やかな身のこなしでそれを避けたが、トシは素早くその光の網を空中で解き、一本の長い縄にしながら風にのせた。風は猫になったスタンの周りで上昇気流となり、糸はスタンの身体に巻き付いた。
「二人目。素晴らしい。応用もできている」
ガズールはじっとトシの動きを見ていた。そして顔の前で指を動かしながらトシに向かって術を出した。
トシの下の地面に突然大きな穴ができ、トシの身体が急速に落下を始める。えぐられた土地にあった土や石や岩が上空へ舞い上がり、落ちていくトシの上から降り注ぐ。
トシはミトの屈服の術を自分にかけた。トシの身体は土や石にぶつかりながら跳ね上がり、地面の上へと飛び出す。トシはすぐに防御の壁を作り、モナからの術を弾き飛ばしながら着地した。
(俺を殺すつもりか?)
殺気の籠った眼差しを向けてくるガズールを見ながら、トシは少しイラッとしていた。キレスがそれを見ながらニヤリと笑い、小声でシュウたちに言った。
「ガズールは、自分が私の一番のお気に入りの弟子じゃないと気が済まない子なんだ。あの子の前でトシのことを最高に褒めておいたからね、殺す気でトシに向かっているよ。トシは自分の感情を制御できるかな?」
トシは気持ちを落ち着かせながら周りをぐるりと見渡した。ガズールの攻撃を避け、その技を再現できたら訓練は終わる。ガズールの挑発に乗る必要はない。
トシはポルトに向かって動きを止める術を出した。ポルトはそれに対して反射の壁を出して対抗する。この反射の壁は、相手からの攻撃を倍速でまっすぐ相手に弾き返す術だ。そしてそれは、トシが待っていた術だった。
トシはすぐにガズールの術を自分に出して自ら穴に落ち、ポルトの反射の術を避けた。反射された術はちょうどトシの後ろ側にいたモナに当たり、モナは動きを止められた。そしてトシは、再び屈服の術を自分にかけて地上に飛び上がった。
「完璧だ。トシ、合格だよ」
キレスが手を叩きながら言い、修行は終わったはずだった。しかしガズールはぶつぶつと呪文を唱えて、トシによって地中からえぐり出された土や石や岩をひとまとまりにし、地上に飛び上がってきたトシに向かって一気に落とした。トシは、その塊に押しつぶされるような形で地面に叩きつけられた。
シュウが思わず立ち上がり、ハクトはガズールをジロリと睨みつけた。小屋の前で固唾を飲んで修行を見守っていたルイは、声にならない悲鳴をあげた。そして倒れそうになるルイの身体を、隣にいたウォルフが支えた。
「ルイさん、トシは大丈夫だ」
ウォルフはそう言うと、山のようになった土の塊をじっと見つめた。
ポルトが何かに気づいた様子でトシが埋まっている場所から素早く遠ざかる。すると、土が山のようになっている所を中心にして、トシから離れて立っていたガズールの足元までの地面がえぐれた。それは、城がすっぽりと入ってしまうほどの大きな穴だった。不意をつかれたガズールが穴へと落ちていく。山の下から姿を現したトシは光の網を投げてガズールを捕らえ、それをえぐれていない地面の上に放り投げた。
大きく開いた穴の中に、舞い上がった土や石が再び入り、穴はきれいに塞がっていく。トシはガズールを一瞥すると、光る縄で縛られているスタンの方へ向かった。そしてその縄を解き、猫を助け出した。
「なんだかベトベトしますね」
人間の姿に戻ったスタンは髪を触りながらトシに文句を言った。
「ごめん」
「穴、もうすぐ僕も落ちるところでしたよ」
「ちゃんと位置を把握して、ギリギリを攻めたんだ」
「落ちてもいいと思ったでしょ?」
「まあな」
フンと言いながらも、表情は明るく、スタンはトシの肩に手を置くと耳元で囁いた。
「僕はガズールが嫌いでしてね。君には感謝ですよ」
そしてスタンは、「大先生、お風呂かしてくださいね」とキレスに言いながら、小屋の中へと入って行った。
トシは光の網の中でもがいているガズールに近づいた。ガズールは動きを止め、トシを睨みつけた。
「おい、ここから出せ」
「あなたが攻撃をやめると約束できるのなら、出します」
「新人が偉そうな口をきくな」
トシは一瞬天を仰いだが、すぐに真面目な顔をガズールに向けて言った。
「それは申し訳ありません。あなたの術は素晴らしかった。大変良い経験となりました。感謝しています。しかし訓練の時間は終わりました。もう攻撃はやめていただきたいのです」
「わかった。いいから早く出せ」
トシが網を解くと、ガズールは網の中から這い出してきた。そして身体をふらつかせながら立ち上がるとキレスに言った。
「師匠。手加減してやったらすぐに図に乗りますね、最近の新人は」
「ご苦労さん、ガズール。今日はもう帰った方がいい。用事があるんじゃなかったかな」
「ああ、そうでした。師匠、先生、私はこれで失礼します」
そそくさとその場を去っていくガズールの後ろ姿を、トシは呆れた表情で眺めていた。
「トシよ」
と、キレスが声を掛けた。
「はい」
「文句なしの合格だよ」
「ありがとうございます」
ポルトやユガ、モナが笑顔でトシのそばに寄ってきた。皆に祝福を受けるトシを、シュウたちも嬉しそうに眺めていた。




