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「突然お呼び立てして、申し訳ありませんでした」


 前国王ルシフの寝室から出てきた医師のリンビルに、ユアンは頭を下げた。


「なんの。わしも、ルシフ様にお会いできて良かった」


 そう言うと、二人は並んで城の廊下を歩き始めた。サラがアンナとハクトのことを思い悩んでいたのと同じ夜のことだった。


「ルシフ様が突然、先生に会いたいと申されまして」


「それは、光栄なことじゃ」


「何をお話しされていたのですか?」


「昔話よ。たわいもない昔の、しかし何物にも変え難い大切な日々の思い出じゃ。わしくらいしかおらんじゃろ、三十年以上も前のことを、奥様やご両親のことを覚えているのは」


 前方から国王のティムが皇太子のアオを抱き抱えて足早にやってきた。二人の後ろには不安げな表情の王妃カンナもいた。

 ユアンとリンビルは廊下の端に避け、頭を下げている。ティムはそんなユアンとリンビルの前で立ち止まると、顔を上げた二人に対して無言で頷き、ルシフの寝室へと入っていった。


「お呼びした方がよいと、わしが言ったんじゃ」


 リンビルの言葉に、ユアンは息をのんだ。


「それは……まさか」


「今宵お眠りになられたら、もう目をお覚ましになることはありますまい」


 そう言うと、リンビルは俯き加減で歩き始めた。ユアンはしばらくその場にたたずんでいたが、深くため息をつくとリンビルの後を追った。


「神は残酷じゃな」


と、リンビルは横を歩くユアンを見上げた。ユアンは何も言わずに、ただ悲しげな表情を浮かべた。


 廊下は大広間へと続いていた。リンビルは太い柱と柱の間で立ち止まると、物憂げな顔で広間の天井を見上げた。


「今でも時々夢に出てくる。()()ソルアは天井に近いところで浮いていた。そして手を広げ、その手を上下に動かした。たったそれだけの動作で、この広間に集まっていた兵士の上に毒針の雨が降った」


「先生は、実際に目撃されていたのですか?」


 ユアンは驚いた。大広間にいた者は全員命を落としたと聞いていたからである。ユアンが聖剣を川から拾い上げ、それを持って城に駆け付けたのは、その三日後のことだった。


「ちょうどここにおった。こうやって天井を仰ぎ見て、思わず声が出た。お前は……とな。()()ソルアもわしに気付いたようじゃった。一瞬、顔が動いたんじゃ」


「まさか……先生は、()()ソルアの正体をご存知だったのですか?」


「どこの誰なのかは知らん。ただ五十年ほど前、わしがまだ国王専属になってはおらんかった頃、その男は目を診てくれと時々診療所にやってきた患者じゃった。名を言わなかったが、何か事情があるのだろうと、わしは追求しなかった。

 男は痛みとともに徐々に視力が落ちていく病を患っていた。そう、トシと同じ病じゃよ。

 男は失明したが、その後わしのところに姿を見せることはなかった。あの日、大広間で再会するまでは」




 三十年前、天井付近に浮いていたソルアは大広間に集まった兵士たちに弓矢を向けられていた。その少し前に、当時の軍の総帥がそのソルアによって命を奪われていた。

 兵士たちが、総帥の仇を討たんといきり立つ中、両目ともに瞑ったままのソルアは、何百もの矢が自分に向けられているのにもかかわらず冷静だった。そして呪文のような言葉をソルアが唱えると、弓矢が全て折れ床に一斉に落ちた。


「こちらです、先生」


 当時国王の専属医師として城にいたリンビルは、負傷者の手当てに奔走していた。しかし兵士以外は地下室に逃げるようにと国王から命令が下り、兵士に連れられて地下室へと向かっている最中に広間を通っていたのだった。

 リンビルは太い柱の間から()()ソルアを仰ぎ見て、「お前は……」と呟いた。そのソルアが、二十年ほど前に目を診てくれとやって来ていた患者の男だと気付いたからだった。 

 ソルアもリンビルの気配に気付いた様子で、少し頭を動かした。そして手を広げ、その手を上下に動かした。  

 空中に突然現れた無数の針が、兵士たちの上に降り注いだ。何が起こったのか、リンビルには全く理解できなかった。ただ、立っているのは自分だけで、うめき声をあげ、口から泡を吹き、白目を向いた兵士たちが折り重なるように倒れていくのがわかった。リンビルを地下室へと導こうとしていた兵士も例外ではなかった。リンビルは震える手で横で倒れた兵士の首筋に手を当てた。兵士は既に絶命していた。

 腰に力が入らず、そのまま座り込んでしまったリンビルは、空中にいたソルアがふっと消えるのを見た。それはまるで蝋燭の火を消した時のようだった。

 そして次の瞬間には、ソルアが目の前に立ち、リンビルを見下ろしていた。リンビルは動くことができなかった。


「この世界は」


と、ソルアは呟いた。


「均衡でなければならない」


 リンビルはガクガクと震えながらソルアを見上げていた。目の前にいるようでいないような、奇妙な感覚がした。


「私は、神になり得る」


 そう言うと、再びソルアは消えた。


 地下室に逃げ込んでいた王族や官職が殺され、ルシフや赤ん坊だったティム、リンビルなど、地下室にまだ入れていなかった者たちを一室に拘束し、()()ソルアはフオグ国を掌握した。




「先生から当時のことをお聞きしたのは初めてです」


 ユアンが言うと、リンビルはこくりと頷いた。


「わし一人だけ助けられた。いや、()()ソルアはわしに地獄を見せたかったのかもしれん。医者の前で、なす術なく死んでいく者たちを見せたかったのかもしれん。お前は無力だと言われた気がした。わしは絶望した。

 しかし三日後、ユアン殿が現れた。わしは、神が地獄に手を差し伸べてくださったのだと思った。それくらいに、青い光に包まれたユアン殿は神々しかった」


 ユアンは何も言わずに、ただ首を横に振った。


「わしも、もう長くはあるまい。わしが知っていること、見たこと、そして考えたことを誰かに伝えておかねばと思ったんじゃよ」


 ユアンは険しい表情のまま広間の天井を見上げた。ユアンは、()()ソルアが両目を瞑っていたことを思い出していた。

 ()()ソルアは両目を瞑っているにも関わらず、まるで見えているかのような動きをしていた。油断をすればこちらの心の中までも見透かされそうな鋭い視線を、戦っている間ユアンはずっと感じていたのだった。

 ()()ソルアは病で失明していた。それはユアンが初めて知ることだった。


「トシは……」


 そう言いかけて、ユアンは口をつぐみ下を向いた。


「トシは大丈夫じゃよ。たとえ同じ病だとしても、()()ソルアのようにはならん」

 

「先生……?」


「トシは愛情に溢れとる。()()ソルアとは違う。たとえ同じ病だとしても、()()ソルアのようにはならん。そもそも、病が原因ではない。原因はあの男の心の中にあったんじゃと思う」


「先生は、トシの……すべてご存知だったのですか?」


と、ユアンは襟足に手を当てた。困惑した時に出るユアンの癖を見て、リンビルは小さくホッホッと笑った。


「相変わらず、わかりやすいお人じゃの。何故かその性質をトシが受け継いどる。

 トシは大丈夫、わしはそれが言いたかったんじゃ。ユアン殿と、きっとどこかにおるファジルにな」


 襟足を掻きむしるユアンに、リンビルは微笑んだ。


「病床のアリアを心配して、何度か会いに来ていた男が、息子を放ったらかしにするわけがなかろう。トシが幼い頃から、時々様子を見に来ておったんじゃないのか?そして今も、不安と悲しみが渦巻く城の人々の反対側で、大きくなりつつある影の住人が暴れないように見張っておるんじゃろう?違うかな?」


 リンビルは辺りを見渡した。廊下の燭台の蝋燭が一本ふっと消え、またすぐについた。リンビルは満足げに頷き、ユアンはため息混じりの笑みを見せた。


「この歳になるまでずっと考えておるが、()()ソルアがなぜあんなことをしたのか、やはり分からん。しかし、あの男の診察をしている時に感じたんじゃが、あれは孤独な男だったのではないかと、わしは思う」


「孤独……」


「何も感じなかったんじゃ、あの男から。家族や友人と与え、与えられる愛情や信頼から滲み出す人間性を何も感じなかった。ずっと孤独に生きていたのかもしれん。愛情を一切与えられずに生きてきた孤独が、失明したことでより一層大きくなり、あの男に極端な思想を抱かせたのではないか……まあ、わからんがな。ソルアのことはソルアにしか分からんしな。

 愛情のかけらもない奴が強大な力を持てば、何をするかわからん。ナバルもそうじゃ。不死身になった今、自分は神だと思っとるじゃろう。止めねばならん。三十年前よりずっとひどいことが起こる。

 あの子たちに期待するしかない。あの子たちは、我らの、世界の人々の希望の光じゃ」


 風など吹いていないのに、廊下の燭台の蝋燭全てが、ふわっと揺らめいた。

 ユアンとリンビルが廊下の先に目をやると、衛兵が小走りでやって来るのが見えた。


「ユアン様、リンビル先生、陛下がお呼びです」


 二人は頷くと、ルシフの寝室へと向かった。


 その夜、前国王ルシフは、家族や側近に見守られながら、静かに息を引き取った。



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