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 小鳥のさえずりに誘われるように、シュウはゆっくりと目を覚ました。トウが嬉しそうに頬ずりしているのがわかり、シュウは痛む腕を動かしてトウの顔を撫でた。


「ルイさん!シュウが目を覚ましたよ!」


 ウォルフの声に飛び起きたルイがシュウを見ると、シュウはいつもの笑顔をルイに向けた。


「シュウ先生!……良かった……」


 そう言うと、両手を顔に当ててルイは涙を流した。


「ルイちゃん、ごめん。迷惑をかけてしまったね」


 シュウの声はまだ弱々しかったが、意識ははっきりしていた。ハクトがやって来て、泣きじゃくるルイの肩にポンポンと優しく手を置くと、シュウに向かって、今まで見せたことのないような柔らかい表情で頷いた。


「兄上……助けていただいて、ありがとうございました」


「礼なら、キレスさんとトシに言うんだな」


「キレスさん?」


「すごく強いソルアだ。ここはキレスの家なんだ」


と、ウォルフが言った。


「トシは?」


 シュウの問いに、ハクトは口をつぐみ少し俯いた。そして、ルイの後ろでシュウの様子を伺っていた黒猫がぴんと背筋を伸ばしたことに、ウォルフは気づいた。


「トシの体調は大丈夫ですか?」


「それが……あまり顔を合わせていないのだ」


 ウォルフはルイの後ろにいる黒猫の様子をじっと見つめている。黒猫は、そっと後退りをし始めた。


「どういうことですか?」


「どう説明すれば良い?」


 ハクトから急に話を振られ、猫を見ていたウォルフは驚いてハクトに視線を移した。不審に思ったハクトが後ろを振り返ると、黒猫が部屋から出ようとしているところだった。


「猫?いつからここにいた?」


 猫は飛び上がって扉の取っ手に前足をかけ、扉を開けようとしたが、上手くできなかった。何度繰り返しても失敗して床に転がる猫を見て、泣いていたルイも少し笑顔になった。

 ルイは「かわいい」と呟きながら猫に近づいた。そして扉を開けることができずに床に転がった猫をひょいと抱き抱えた。


「尻尾がないわ。怪我でもしたのかしら……かわいそうに。キレスさんの猫?」


と、ルイはウォルフに尋ねた。


「どうかな……たぶんそれは」


 その時扉が開いて、スタンがキレスと共に部屋に入ってきた。


「僕の猫です。すぐに逃げ出すので困っていたのです。ルイさん、しばらくそのまま捕まえていてもらえますか?」


 ルイがキョトンとした顔でスタンを見た後、キレスに視線を移した。キレスはにこりと笑った。


「この子はスタンといって、私の教え子の教え子さ。怪しい男じゃが、悪い男ではない」


「大先生、ひと言余計ですよ。ルイさん、どうぞよろしく」


 そう言ってルイに近づくスタンに、黒猫はシャーと牙をむいた。


「あら……本当にあなたの猫なのですか?」


「えぇ。反抗期でしてね」


 反抗期なんて猫にあったかしらとルイは首を傾げながら、黒猫をしっかりと抱きしめてシュウの側に戻った。


「キレスさん?」


と言って、シュウは起きあがろうとしたが、両側からウォルフとハクトに止められた。キレスはにこにこと笑いながらシュウの枕元にやって来た。


「そのまま寝ていなさい。礼もいらぬ。私はウォルフに、先祖代々受け継いできた恩返しをようやく果たせることができた。私情でやっただけのこと。気にせんで良い」


「恩返しというのは?」


「昔々、私の先祖の命をウォルフに助けてもらったのだよ」


「四百年くらい前の話だけどね」


と、ウォルフは笑った。


「そんなもの、受け継がなくて良かったのに」


「長生きはするものだ。恩も返せたし、おかげで面白いソルアにも出会えた」


「面白いソルア?」


と、不思議そうな顔をしたシュウにキレスは、


「トシさね」


と即答した。

 ハクトとルイが身体をピクリと動かしてキレスに顔を向けている。どうやって乗り越えようかと思い悩んでいた壁を、簡単に壊された気持ちだった。

 しかしシュウは、自分が何か聞き間違いをしたのだろうと思った。


「え……と……今、何とおっしゃいましたか?」


「トシさ。お主とハクトとは、血はつながっていないが兄弟だとウォルフからは聞いたが」


「はい。トシは僕たちの兄弟です。あの……」


「トシはソルアだ。フオグ国のお主たちにとっては、受け入れ難いことかもしれんが」


「まさか」


と、シュウがハクトに視線を移すと、ハクトは険しい表情で固まっていた。その横でルイは悲しげにうつむき、膝に抱いている猫の頭や身体を優しく撫でている。そして、撫でられるのが満更でもない様子の黒猫を、スタンが隣から冷めた目で見ていた。


「俺もトシが術を使うところを見た。トシが戦ってくれたおかげで、俺たちはあそこから逃げることができたんだ」


とハクトが言うと、シュウは右腕を額に置いて目を瞑った。


「ちょっと待ってください。全く、僕の理解が追いつかない」


「俺もずっと考えている。いつからトシはソルアとして目覚めていたのか……しかし、確かに今まで妙なことはあった。イヒラ殿の所で突然矢尻が飛んできたり、ウォルフとコソコソと出掛けて行ったり……お前は知っていたんだろう?ウォルフ」


 ハクトの問いに、ウォルフは頷いた。


「うん、ごめん。僕は知っていた。でも言ったら皆が混乱すると思って言わなかった」


「信じられません。父上と母上はご存知だったのでしょうか?」


「わからん。ここに来てからトシにはほとんど会っていないんだ」


「怖いのさ、彼は」


と、キレスが口を挟んだ。


「本当のことを言ったら、皆との関係が壊れてしまうのではないかと思っているんじゃないかい?第一、ソルアだと知られてしまえば、二度とフオグ国の土を踏むことはできなくなるんじゃないのかい?」


 キレスの言葉に、シュウとハクト、そしてルイはそれぞれ顔を見合わせた。……今一番苦しんでいるのはトシなのだ……と三人ともが同じ思いだった。


「トシはどこですか?」


と、シュウがキレスに尋ねた。


「トシと話がしたい」


「ああ、呼んでこよう。スタン、トシを呼んできておくれ。ああ、猫を連れて行くんだよ」


 しかし、スタンは冷めた目で猫を見つめたままだった。


「スタン!」


 嫌な予感のしたキレスがスタンを止めようと手を伸ばす前に、スタンが黒猫の背中に指を這わせながら素早く呪文を唱えてしまった。


「スタン!」


と、キレスが怒った時にはもう黒猫の姿は消え、代わりにトシがルイの膝の上で横向きに寝転がっていた。驚いたルイが悲鳴を上げた。

 トシは慌ててルイの膝から転がり落ちるように降りると、ルイに謝らなければと体勢を整えて顔を上げた。しかし、すでに目の前には怒った表情のルイが立っていて、次の瞬間にはルイの右手に頬を思いっきり引っ叩かれたのだった。


「ひどい……」

 

 ルイはそう呟くと、部屋から飛び出していった。トシは何も言えずに頭を抱えてその場にうずくまった。


「スタン!なぜこんな意地の悪いことをしたんだ!」


 キレスが怒鳴ると、スタンは肩をすくめた。


「昨夜の仕返しがしたかっただけですよ」


「まったく余計なことを。話がややこしくなったではないか」


「そうですか?そうは思いませんけど。大丈夫、僕が慰めてきますよ」


 そう言ってルイの後を追おうとするスタンの前に、素早く動いたウォルフが立ちはだかった。


「僕がルイさんの側にいますから大丈夫です。灰色の猫が近づかないように見張っておくね」


 後の方はトシに向かって言ったウォルフに、スタンは眉をピクリと上げた。


「ばれていましたか。流石ですね。しかし僕の猫の動きはあなたより速いですよ」


 そう言って指を唇に持っていこうとするスタンにキレスが激怒し、指を二度鳴らした。


「いい加減にしないと去勢するよ、スタン」


 スタンの両側に衛兵が現れ、スタンの両腕をガシッと掴んだ。それを見て、ウォルフは部屋を出てルイを追った。


「大先生、それだけはご勘弁を」


と、スタンはわざとらしく眉をハの字にしてみせた。


「勘弁してほしかったら、今すぐ街へ戻って先生を連れてくるんだ」


「わかりました、わかりました」


 両側の衛兵が動き出し、腕を掴まれているスタンも動かざるを得なかった。


「大先生、この方たちはどちらまで?」


「市門までさ」


 あぁ……というため息とともにスタンは衛兵に連行されていった。


「申し訳なかった。どうしようもなく女癖が悪い男でな。よっぽどルイが気に入ってしまったようじゃ」


 キレスが三人に向かって頭を下げた。


「何が何だか、俺にはよく分からないのだが……」


と、ハクトはシュウと目を合わせた。そして青ざめた顔をしているトシに声を掛けた。


「トシ」


 トシはただ俯いたまま、動かなかった。


「トシ」


 シュウも呼びかけた。


「トシ、ひとりでずっと思い悩んでいたんだろう?ごめん。こんなに近くにいたのに、気付いてあげられなかった」


「どうしてシュウが謝るんだよ」


と、トシが顔を上げた。


「トシ、ひとりで背負わないで。僕たちは何があっても家族だ」


 シュウの言葉に、トシは顔を歪ませ、片手を目に被せた。ハクトがトシに歩み寄り、トシの肩に手を置いた。


「すべて終わったら、一緒にフオグへ帰ろう。俺が何とかする。必ず」


「おまえら……母上や父上と同じことを言うんだな……」


と、トシは笑いながら言ったつもりだったが、涙が次から次へと流れて止まらなかった。


「トシ、全部話してくれるかい?」


 トシは嗚咽しながら、何度も頷いた。

 


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