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 それから毎日、ルイはシュウを懸命に看病した。キレスが呼び寄せてくれた医師を手伝い、折れた左腕と胸の骨を固定した。痛みを和らげる効能のある薬草を摘み、それを練って布に広げ、全身にある打ち身に毎日貼り替えた。裂けた太ももの傷を医師が縫う間は、痛みに悶えるシュウの身体をハクトと共に押さえたりもした。


「ルイさん、少しは休んで。僕がみてるから」


 毎晩高熱にうなされているシュウの側から離れることのないルイにウォルフは言ったが、ルイは首を縦には振らなかった。ぼんやりしてしまうと、虹色の光に包まれたトシの姿が目に浮かんでしまう。ルイはそれが怖かった。


「僕は寝なくても平気だけど、君は違うだろう?僕がみてるから。何かあったら必ず起こすから」


 キレスの小屋の一番奥にある小さな部屋でシュウを寝かせていた。日当たりが良く、夜になっても暖かい部屋だ。ウォルフの申し出を頑なに拒んでいたルイだったが、心地よい温度に疲れた身体は正直で、シュウの横で座ったままうとうとし始めた。ウォルフはそんなルイを見てにっこり笑うと、ルイの身体にそっと手を当ててシュウの横に寝かせた。ルイは起きることなく、寝息をたてている。ウォルフはそっとルイに毛布をかけると、シュウの枕元に伏せているトウの横に座り、トウの頭を撫でながらため息をついた。

 キレスの所に来てから、ルイもハクトもトシと言葉を交わしていない。トシも二人を避けているような素振りを見せている。

 無理もない。ルイもハクトもソルアに対してはあまり良い印象を持っていなかったのだ。トシがソルアだということにどう対応したら良いのかわからないのだろう、とウォルフは思った。

 しばらくして扉がゆっくりと開くと、ハクトが部屋に入ってきた。ハクトは眠っているルイを見つけると少し安心したような顔になって、ウォルフに尋ねた。


「シュウはどうだ?」


「少し良くはなってきたんだけれど、まだ熱は高そうだ。意識も戻ってない」


「そうか。今夜は俺がみる。お前も休め」


「僕は眠らなくても平気だ。今、身体に損傷は無いからね。君の方こそ、休んだ方がいい」


 ハクトは頷くと部屋の壁に背を当てながら座り、そのままの体勢で目を瞑った。


「ハクトも横になったら?」


「俺はいつもこうだ」


「それは知ってる。心配事がある時は、座って寝るね」


「わかったようなことを言うな」


「わかるよ。君は優しい人だ。恥ずかしがり屋だから、そんな自分を必死に隠そうとしているけれど」


「お前……この場所じゃなかったら、ぶん殴っているところだ」


 ウォルフがクスッと笑うと、ハクトもフンと鼻で笑った。


「正直に、素直に、きちんと向き合わなきゃ」


「……トシのことか?」


「うん」


「……そうだな……」


 そう言うと、ハクトは再び目を瞑った。




 トシはキレスの小屋には入らずに、ずっと外で過ごしていた。キレスが時折やって来ては机と椅子を出してお茶を勧めたが、トシは断り続けていた。


 ルイがようやく眠りについた夜、いつものようにキレスは小太りの背の高い男に机と椅子を用意させると、少女を出してトシを無理やり引っ張って来させた。


「トシ、座りなさい」 


 トシは少女に押されて、渋々椅子に座った。トシが座ると少女は消えた。キレスも椅子に座ると、ポンと机を叩いた。


「ああ、お茶を忘れていた。あの娘を呼んでくれるかい、トシ」


と、キレスに言われて、トシは指をパチンと鳴らして少女を出した。しかし少女の手に湯呑みは無く、少女はまたすぐに姿を消してしまった。


「惜しい。こうするんだよ」


 キレスが指を鳴らすと、今度は湯呑みを持った少女が現れた。


「ありがとう」


 キレスが少女に礼を言うと、少女はニコッと笑って姿を消した。毒など入っておらぬから飲みなさいと言われたトシは、少しだけ頬を緩めると湯呑みを手に取った。

 

「まったく……まさかこの歳になってお前のようなソルアに出会うとは。もう少し若ければ、結婚を申し込んでいただろうさ」


 キレスの言葉に、トシはお茶がむせて咳き込んだ。キレスはその様子を見て、楽しそうに笑っている。


「突然何を……」


「ソルアに目覚めてから、どのくらい経つ?」


「え?……っと……数年ほどだと思います」


「思う?」


「誰も教えてくれる人がいなかったので」


「親がいなかったのか?」


「育ての親はいました」


「ソルアの血は父方か母方か?」


「父方です」


「父親の名は?」


「ファジル」


 キレスが嬉しそうな顔をしているのを見て、トシは身を乗り出した。


「父をご存知ですか?」


「お前は自分のことをどれだけ知っている?」


「僕のこと……ですか?」


 少し前のめりになっていたトシは、その質問に再び腰を椅子におろした。


「自分のことはおろか、ソルアのことも大してわかっていないのだろう?まあ、フオグ国なら致し方ないことよ」


「自分のことくらいは、わかっているつもりですが」


「いいや」


と、キレスは首を横に振った。


「何もわかっておらぬ。私はお前に私の術を教えた覚えはない。なのに、お前は少女を出すことができる」


「あなたが少女を出すところを何度か見ましたから」


「見た?」


「はい。見ました」


「私はこの術を親から教えてもらい、少女を出せるようになるまで半年はかかった」


 トシは目を見開いたが、すぐに元に戻って顔に笑みを浮かべた。


「まさか。からかわないでください」


「それにあの技。矢尻を出して衛兵たちをいっぺんに倒したじゃろう?あの技はどうやって覚えた?」


「あれは、前に退治した影の住人の技を真似しただけで……すいません、邪道ですよね?」


「邪道か。確かにそうかもしれん。しかしまあ、厄介なソルアじゃな」


「厄介ですか?」


「腰に下げた剣は使えるのか?」


「え?」


と、トシは剣に手を当てた。


「もちろん。兵士ですから。ハクトやシュウほど強くはありませんが」


「なるほど。トシ、真似事で他人の術を出すのはいいが、その質は荒い。ミトの真似をしてミトを倒したが、お前の兵士としての身体能力があの術の威力を増してしまった。お前が術の力加減の仕方を訓練していないからじゃ。いつものミトなら、お前たちに復讐するために大群を率いてここにやって来るところなのに、まだ来る気配がない。おそらくお前の攻撃で、ずいぶんと大怪我を負ったのだろうさ」


「あの時のことは、あまりよく覚えていないのです」


と、トシは下を向いた。


「術を出したことは覚えているのですが……僕は戦う目的で人に対して術を使いたくはなかったのに」


「止められなかった?」


「はい。ミトが影を操っているのを見て、あれでシュウを傷つけたのかと思うと怒りがこみ上げて……」


 トシは膝の上で両手をぐっと握りしめた。警備所から出てきた時のシュウの姿が目に焼きついて離れなかった。


「影を操って攻撃に用いるソルアは他にもおる。戦争に行けば必ずと言っていいほど出会う。ある程度ソルアとしての技量が高まらないとできないことだから、己の強さを誇示するように皆その術を使う。私もやろうと思えばできるが、趣味に合わんのでな。私もああいう奴らは大嫌いさ」


「僕は……自分が怖いです」


「ん?」

 

「あの時ルイが呼んでくれなかったら、僕はミトを殺していたかもしれない。もちろん兵士ですから、戦争になれば敵を倒すこともあるでしょう。しかし、ここは戦場ではない」


「ミトなら、全身包帯で巻かれて化け物みたいになっていますが生きていますよ、残念ながら」


 突然背後から声がしてトシが驚いて振り向くと、そこにはスタンが立っていた。


(いつの間に……直前まで気配を感じなかった……)


 警備所の柵の前で会った時と同じだとトシは思った。


「スタン、意地悪なことを言うでない」


「大先生だって、いい気味だって思ったでしょう?」


 細身で長身のスタンが机に手を置いてキレスの顔を覗きこんだ。


「倒した本人が悩んでいるというのに、軽率なことを言うでない」


 スタンはくるりと顔を動かして今度はトシの顔を覗き見た。小屋の前に置いてある行灯の明かりしかない暗い空間で見るスタンは妖艶だった。

 

「悩まなくてもいいと思いますけど」


「あなたは、キレスさんと関係があったのですか?」


と、トシが尋ねるとスタンは首を傾げた。


「キレス?大先生のことですか?また新しい名前を作ったのですか?大先生」


と、スタンはまたくるりと顔を動かした。


「名前はいくつあっても良いのだよ。このスタンはね、私の教え子の教え子さ。なぜか私に懐いて離れん」


「街は居心地が悪いですからね」


「警備隊に入れるものなら入りたいって言っていたのに?」


 トシが尋ねると、スタンはクスッと笑った。


「ミトを蹴落とすためにね。でも君が充分に痛めつけてくれましたから、すっきりしました」


「スタン、この子はお前ほど単純ではない」


と、キレスが指を鳴らして少女を出した。少女は木の実の入った器をスタンに渡してから消えた。


「嫌だなあ、大先生。僕だって複雑ですよ」


 スタンは木の実を一粒摘むと、それをポンと上に投げ、顔を上げてパクッと口に入れた。


「ミトに攻撃された時に僕を助けてくれたのは、あなたですか?」


 スタンはトシに向かって首を横に振ると、木の実をもう一粒食べてから答えた。


「あれは僕の先生ですよ。処刑される若者を助けに行くから手伝えと大先生に言われましてね、先生と一緒に処刑場に行ったのです。きっと君もいるだろうと思っていたら、手の中に術を込めていて驚きました。君、本当に新米のソルアですか?」


「厄介な新人さね」


 キレスがため息混じりに言うと、スタンは目をきらりと輝かせた。


「そういえば、トシ君はどうやってミトの術を出したのですか?あの時僕たちは追い払われてしまったのですが、気になって戻ったのです、こっそりと」


「それがこの子の厄介なところさ。スタン、お前の術を見せてやってくれ」


「僕の?いいですよ」


 スタンは木の実が入った器を机の上に置くと、小声で呪文を唱えながら右手の人差し指を唇の上に滑らせた。するとスタンの姿が消え、代わりに灰色の猫が現れた。猫はゆっくりと伸びをすると、長い尻尾をくねらせながらトシの足元に擦り寄った。


「やはりあの時の」


とトシが言うと、猫は左足をペロペロと舐めニャアニャと鳴いた。すると今度は猫からスタンに戻っていた。


「トシ、お前の番だ」


 キレスに促されてトシも同じように呪文を唱えた。難なく黒猫の姿になったトシを見て、スタンは目を丸くした。


「まさか……どうして?」


「この子は見ただけで術ができるようになるようだ。ただ、質は悪いがね」


「本当ですね。トシ君、尻尾はどこにいきましたか?」


 トシは猫になった自分の尻を見た。そこに尻尾は無かった。


「数ヶ月ほど訓練すれば尻尾も生えると思いますけど……ひょっとして数ヶ月もいらないかもしれませんね」


 トシはスタンがやったように左足を舐めニャアニャと鳴いて元の姿に戻った。しかし、途端に気持ちが悪くなり、草むらに駆け込んだ。


「慣れるまで、僕も何度も吐きました。こういった類の術ではよくあることです」


 草むらで嘔吐しているトシの背中を優しく撫でながら、スタンが言った。


「それにしても、すごい才能です。これは確かに厄介ですね、大先生」


 嘔吐がおさまったトシにスタンは自分の手ぬぐいを差し出した。トシはぐったりした様子でそれを受け取った。


「大先生、何か企んでます?嬉しそうな顔をしていらっしゃる」


 スタンは、さっきまでトシが座っていた椅子に腰掛けると、頬杖をついてキレスに微笑みかけた。


「私がもう少し若ければな、と思っていたのさ」


「あら……大先生は自分より強い男じゃないと恋人にしないんでしたね」


「ところでスタン。どうしてこんな夜中に?何の用があってここに来た?」


「そりゃあ、決まってるでしょう?夜這いですよ」


 そう言ってニヤリと笑ったスタンは、また猫の姿になってミャアと鳴き、キレスの小屋に入って行った。


「大丈夫かい?トシ」


 トシは手ぬぐいで口を押さえながら、キレスに向かって小刻みに頷いた。


「違う、お前の連れさね。スタンは年中発情期みたいな男だが、お前の美人の連れは大丈夫かと聞いておるんじゃ」


 トシは慌てて立ち上がると再び猫の姿になり、スタンの後を追うように小屋へ入って行った。その様子を見ながら、キレスは笑っている。


「やれやれ、ようやくうちに入れたねえ」




 ほんの少し扉が開いて、奥の部屋の中に灰色の猫が入ってきた。起きているのはウォルフだけだ。シュウの熱も少し下がったようで、荒い息遣いはおさまり、部屋の中は静かだった。

 足音ひとつさせずに部屋に入ってきた猫に気づいたウォルフは、眠ったふりをしていた。その猫から微かにソルアの気配を感じたからだった。


(誰だろう。キレスではないと思うんだけど……)


 ウォルフは薄っすらと目を開けて猫の様子を見ている。

 灰色の猫は、扉の近くに座っているハクトが眠っているのを確認すると、シュウの横で寝ているルイに近づいた。そしてルイを眺めながらその周りをゆっくりと歩いている。猫はルイの顔のそばに寄ると頬を舐めようと舌を出した。しかしそこでピタッと止まると、上目遣いでウォルフを見やった。目をぱちりと開けたウォルフと目が合った猫は、舌なめずりをしながらその場に座り、ウォルフを見つめている。

 その時、もう一匹の猫が部屋に入ってきた。それは黒猫だった。黒猫が灰色の猫のそばに突進してきたので、灰色の猫はぴょんと飛び上がった。二匹はしばらく睨み合っていたが、黒猫が低い声で唸り威嚇していると、灰色の猫は窓に上がって尻尾で窓を開け、外へ出て行った。黒猫も窓に上がると、ぎこちない様子で前足で窓を閉めた。

 黒猫は床に降りると、シュウの側に近寄った。頭の上から顔を覗きこんだり、包帯が巻かれているところをクンクンと嗅いだりしている。


(この猫はトシの気配がする。でもどうして尻尾がないんだろう)


 ウォルフは何も言わずにじっと猫を見つめている。物音を立てたら、ハクトが必ず目を覚ますと思ったからだ。

 黒猫は次にルイの顔を覗き込んでから、灰色の猫が去って行った窓に目を向けた。そして窓の方から目を離すことなく、ルイの身体に寄り添うように伏せた姿勢で座った。

 よくわからないけれど、黒猫は灰色の猫からルイさんを守っているんだね……と、ウォルフは微笑んだ。


(トシだよね?器用なのか不器用なのか……君は複雑な人だね)


 ウォルフはぐっと腕を伸ばして黒猫の頭を優しく撫でた。





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