3
トシとルイは学問所にいた。サジマ国に書官のような職はなかったが、古い書物のことが知りたいのであれば学問所へ行くといい、と街の人に教えてもらったからだった。
学問所は城かと思うほど立派な建物で、トシとルイは「すごい……」と呟きながら二人揃って建物を見上げていた。
「何か御用がおありですか?」
二人が横を向くと、小柄な若い女性が立っていて、二人に笑顔を向けていた。
「入所希望でいらっしゃいますか?」
「いえ」
と、ルイが答えた。
「私たち、人を探しているんです。あなたは、こちらの学問所の方ですか?」
「はい、リリィと申します。こちらでお手伝いをさせていただいております。どなたをお探しですか?」
「レジェムという男性です。歳は五十代後半くらいの」
と、トシが言うと、リリィは首を傾げた。
「レジェムさん……聞いたことないです。五十代の男性は何人かいますが、レジェムという名前の方はいらっしゃいません」
「そうですか」
と、トシはルイと顔を見合わせた。
「どちらから来られたのですか?」
リリィが二人に尋ねた。
「フオグ国から来ました」
「そんなに遠くから?では、レジェムさんという方もフオグ国の方なのですか?」
「はい。『全地創世伝』の解析をされていました。三十年前にサジマ国に移ったらしいのですが、居場所がわからなくて困っています。古い書物のことなら学問所だと街で聞いたので、こちらに伺いました」
「なるほど、そうでしたか。確かに、古い書物についてはこの学問所でも研究がなされております。『全地創世伝』の研究者もいますよ」
「その研究者の方に、会わせていただくことはできませんか?僕たち、『全地創世伝』に書かれていることで、どうしても知りたいことがあって旅をしているのです」
リリィは、目を丸くしながらトシを見つめた。
「そうなのですか?学問の旅をなさっているのですね。それは素晴らしいことです。先生もお喜びになるでしょう。ぜひ、先生とお話をなさってくださいませ」
「あ……いや、そういう……」
「さあ、どうぞ、こちらです」
リリィは正面の扉を開き、トシとルイに付いてくるように促した。
「ちょっと、どうするの?学問の話なんてできるの?」
ルイがトシの耳元で囁いた。
「仕方ないだろ。どうにかするよ」
トシも小声で返すと、リリィの後について建物の中へ入っていった。
「ここは、エトワで一番大きな学問所です。わが国では七歳から十七歳までは学問所に行くことが義務になっているのですが、ここでは大人も学べるのですよ」
リリィは階段を上りながら、この階は七歳から十歳までの子供たちの教室が六部屋あります、などと説明していた。しかし子供の姿はどこにも見えなかった。
「今はお昼休みで子供たちは家に帰っています。先生方は最上階の五階のお部屋で休憩されていますので、ゆっくりお話していただけると思います」
三階から四階に行く階段を上っている時、突然トシは首筋辺りが痺れるような感覚がして、立ち止まって後ろを振り返った。この感覚は……トシは首筋を触りながら遠くにある気配を探った。ソルアがどこかで術を使っている……それは初めての感覚だったが、直感的にトシはそう理解していた。
「トシ?」
と、先に進んでいたルイが振り向いた。
「どうしたの?」
「ああ、いや……何でもない」
ソルアならばレジェムの手がかりが掴めるかもしれないとトシは考えたが、今それをルイに言うわけにもいかず、首筋から手を離してルイの後を追った。
五階に着くと、リリィは向かって左奥の部屋の前まで進んだ。
「ポルト先生、いらっしゃいますか?」
部屋の扉が開き、中からタフタという名の若い男性が顔を出した。
「ポルト先生なら、書庫ですよ」
「あら、そうなのですか?ごめんなさい、ここまで来ていただいたのに、書庫は隣の建物にあるのです」
リリィは申し訳なさそうにトシとルイに頭を下げている。
「大丈夫ですよ」
と笑顔で返すルイの横で、トシはびくっと肩を動かし首筋に手を当てた。今度は頭に響くほどの痺れを感じたからだった。
「さっきからどうしたの?大丈夫?」
「ああ……大丈夫」
と、ルイに返事をしつつ、トシの胸はざわついていた。
(何だ?この嫌な予感は……)
トシはその気持ち悪さを払えないものかと、首筋を手でこすった。
「そちらの方々は?」
と、タフタがリリィに尋ねている。
「学問の旅をなさっている方々です」
「ほう」
と、タフタは頬を緩めた。
「何を専攻されておられるのですか?」
「え?あぁ……『全地創世伝』です」
とトシが答えると、タフタは嬉しそうに頷いた。
「タフタ先生は、レジェムさんという方をご存知ないですか?『全地創世伝』の研究者でいらっしゃるのですが」
リリィの問いにタフタは首を横に振った。
「聞いたことないですね。まあ、私の専攻は『古世記』ですから。『全地創世伝』専攻のポルト先生ならご存知かもしれません」
隣の建物にある書庫に向かうため、トシとルイはリリィの後について階段を下りた。階段の壁には絵画がいくつか飾られており、何気なく絵を観ながら下りていたトシは、ある風景画の前でふと立ち止まった。
「これは?」
「ああ、それは」
と、リリィが振り返ってにこりと笑った。
「ポルト先生が描かれた絵です。先生は絵もお上手なのですよ」
それは庭園を斜め上の場所から眺めた絵だった。色とりどりの花が咲き誇る広い庭園だ。ルイもその絵を見上げながら「綺麗」と呟いた。
「ウォルフが喜びそうな風景ね。これは、どこの風景ですか?」
「実際にある場所ではなくて、想像して描いたとポルト先生はおっしゃっていました」
「想像…」
とトシは繰り返しながら、その絵をじっくりと眺めている。ルイは不思議そうな顔でトシを見つめた。
「どうしたの?行くよ、トシ」
ルイに促されて、トシは横目でその絵を追いつつ階段を下りた。
「ごめんなさい、五階まで上がっていただいたのに。書庫はこちらの建物の地下にあります」
外に出ると、リリィは隣の建物に向かって歩き始めた。するとその時、三人の少年たちが走ってリリィに近寄って来た。
「リリィさん!」
「あら皆さん、ずいぶん早いですね。午後の講義はまだ先ですよ」
「処刑!処刑だって、リリィさん!」
と、少年たちはリリィを取り囲み、興奮した様子で言った。
「え?どういうことですか?処刑だなんて恐ろしい」
「お城の前の広場でミト様に逆らった人がいたんだ!ココラルもいたよ!」
ミト様格好良かったよなぁ、ココラルをあんなに近くで見たのは初めてだったよ、処刑を見る勇気ある?などと少年たちが口々に言っている。
「ちょっと……」
と、トシとルイが少年たちに近づいた。
「どういうことか、説明してくれないか?」
少年はきらきらした目をトシとルイに向けて答えた。
「ミト様が影の住人を退治しようとしたのを、ココラルを連れた人が邪魔したんだよ」
トシとルイは同時にはっと息をのんだ。シュウ……二人とも声には出さなかったが、同時に口が動いていた。
「それで、処刑というのは?」
「だって、ソルアに逆らったら絞首刑でしょ」
当たり前だというように少年はトシに答えた。
「絞首……そのココラルは?」
「ココラルはミト様が退治しようとした影の住人を咥えて、どこかに飛んでっちゃった」
「違うよ」
と、隣にいた少年が横から口を挟んだ。
「あの男の人の中に隠れている影の住人を、ミト様が男から引き出して退治しようとしたのさ」
ウォルフのことか……トシはさっき感じた嫌な感覚を思い出して首筋に手を当てた。
「それで、そのココラルを連れた人は?」
「ミト様の毒針攻撃でやられてさ、連れて行かれた。あっという間だったよ。格好いいよなあ、ミト様。僕もソルアになりたかったなあ」
「どこへ連れて行かれたの?」
突然ルイが少年の両肩を持って必死の形相で尋ねたので、少年は驚いて固まってしまった。
「お願い。教えて」
「牢屋だと思うよ。衛兵に連れて行かれたんだ」
横にいた少年が代わりに教えてくれた。
「トシ……」
ルイが不安げな瞳でトシを見やった。
「どうされましたか?」
リリィが驚いた顔をしている。トシはルイに向かって頷くと、リリィに早口で言った。
「すいません、リリィさん。ポルト先生は、また後日」
そう言って慌てた様子で去っていくトシとルイを、リリィと少年たちは呆然と見送っていた。
そこに、隣の建物の扉が開いて、中から白髪混じりの男性が姿を現した。
「リリィさん」
「あ……ポルト先生」
「今ここに……」
「今、先生にお会いしていただきたかった方々がいらっしゃったのですが……」
「私に?」
「学問の旅をしている、フオグ国の方々です。『全地創世伝』についてお知りになりたいことがあるとかで。レジェムという学者さんをお探しになっておられたのですが」
「ほう」
と、ポルトは眉をピクリと動かした。
「それで、その方たちは?」
「ポルト先生!処刑だって!」
リリィが答える前に少年たちがポルトを囲み、目撃したことを話し始めた。ポルトはそんな少年たちの話を、険しい顔つきで聞いていたのだった。




