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 トシの体力が戻るのに二日、チマヤの意識が戻るのに五日かかった。


 シュウは二人の看病をしながら、身体の調子が悪いと相談に来る村人たちの診察も行っていた。フオグ国の有名な医者がテミラ邸に滞在していると聞いて、皆が続々とやって来たのである。


 ルイは診察を手伝い、体力の戻ったトシもそれに加わった。


 ハクトは、悪党を退治した時の話を大人から聞いた子供たちに、剣術を教えてほしいとせがまれて、今日も五人の子供たちを指導している。


「案外、楽しそうだ」


と、庭で稽古をしているハクトを縁側から眺めながらウォルフが呟いた。


「そうね。最初はあんなに嫌がっていたのに」


 ルイが洗濯物の籠を抱え、ふふっと笑った。


「やることは特にないんでしょ?だったらそれくらい引き受けたらどうですか?それとも人に教える器量もないんですか?なんて、ルイさんが挑発するから意地になっていたんじゃないか」


 ウォルフは笑いながら横に座っているトウの頭を撫でている。


「あら……挑発したつもりなんてないわ」


「でも見て、あの子供たちの目を。キラキラと輝いている。英雄に憧れている目だ。美しいね」


 その時、ルイのお腹がぐうっと鳴って、ルイは顔を赤らめながら洗濯物でお腹を隠した。


「今日もたくさん患者さんが来て、忙しかったね」


「お腹、すいちゃった」


と、ルイは笑いながら言った。


「お腹がすく……もう何百年もそんな感覚がない」


「だからいつも、何も食べないの?」


「それもあるし、食べなくても死なないから、食べることに興味がなくなったんだ」


「最後に食事をしたのはいつのこと?」


「さあ。覚えていない」

  

「それなら今夜、久しぶりに食事してみない?」


「どうして?」


 うーん……と、ルイは少し考えてから答えた。


「美味しい食べ物を、みんなで一緒に食べたいじゃない?」 


「少し休憩だ」


と、ハクトの声が聞こえた。子供たちが集まってにこにこと楽しそうにおしゃべりをし始めた。ウォルフはそんな子供たちの笑顔を眺めながら、ゆっくりと頷いた。


**********


 チマヤの看病は、イヒラが買って出ていた。チマヤの罪は自分の罪だと言い、献身的に看病していた。


「なぜですか?イヒラ殿が罪悪感を抱く理由はないように思うのですが」 


と尋ねるシュウに、イヒラは答えた。


「そもそも私が、エリナを失望させてしまったことが、こんな事態を引き起こしてしまったのです」


「それは、タエ様のことですか?」


「確かに私は、昔タエに結婚を申し込みました。断られましたが、決して未練などありませんでした。三年前、友人の紹介で知り合ったエリナと結婚しました。私は心からエリナを愛していました。

 しかし私は、いつも葡萄酒のことばかり考えていて……弟に毎回負けていましたので、次は必ずと研究に明け暮れる日々でした。今回遠出をしていたのも、隣村の山に自生する香りの良い葡萄の花の花粉を採取するためでした。私の葡萄とかけ合わせて新しい葡萄を作るために。

 私は、葡萄のことばかり考えていて、エリナにきちんと向き合っていなかった。彼女の寂しい気持ちに寄り添うことができていなかった。私の葡萄への執着を、タエへの執着と勘違いされてしまったのでしょう。今思えば、きちんと自分の気持ちを言葉で伝えていたらと、後悔しています。すべての責任は私にあるのです」


 シュウは眠りから醒めないチマヤを見つめた。


「エリナ様とチマヤ君をどうされるおつもりですか?」


「それは、私が決める権利のないことです。エリナには、私の思いを伝えました。二人に対して怒りなど全くありません。謝罪の気持ちばかりなのです」


 シュウは深いため息をついた。言うべき言葉が見つからなかったからである。


「水を替えてまいります」


と、イヒラが桶を持って部屋から出て行った。屋敷に、板を釘で打ちつける音が響いている。化け物によって壊された部屋の修繕が行われているのだ。


「目が覚めていますね、チマヤ君」


とシュウが呼びかけると、チマヤはゆっくり目を開いた。  


「いつからですか?」


「……今朝」


「記憶はありますか?」

 

 チマヤはゆっくりと頷いた。

  

「旦那様がなぜ僕なんかを……訳が分からなくて」


「目が覚めていないふりをして、様子を見ていたんですね」


 チマヤはまた頷いた。そしてゆっくりと顔をシュウに向けた。


「僕は恐ろしいものを見ました」


「どんな?」


「あれは、化け物です。いや、あれは僕です。誰かを殺そうとする、殺意しかない自分自身……」


「あなたは本当にイヒラ殿や奥様を殺したかったのですか?」


「……わかりません」


「今も、殺したいほど憎いですか?」


 チマヤは首を横に振った。

 

「僕はもう、化け物にはなりたくない」


 シュウはチマヤを見つめながら微笑んだ。


「あなたは自分がどうするべきか、もうわかっていますね?」


 チマヤは頷いた。そして涙を流した。


**********


「そうですか。チマヤ君が村長の所へ……」


 テミラはそう言うと、葡萄酒の入った盃を盆の上に置いた。


「はい。村長のご指示に従うと」


 ワンシャム国では、何か揉め事があれば村長が率いる自警団が動くことになっている。チマヤは目が覚めた後に、自ら村長の元へ出頭したのだった。


「どれほどの罰になりますでしょうか?」


と、タエが心配そうに尋ねた。


「自ら手を下したわけではないが、四人の命を……しかし、まさか殺すとは思っていなかったとチマヤ君が言ったとも聞いている。あの三人の男たちは命を落としてしまい、本当のところはもうわからない。村長がどう判断されるか……重い罰にならないように、私から村長に申し入れておくよ」



 ルイに誘われたウォルフも、夕食の席についていた。部屋の中央にある囲炉裏を囲むように皆が座る中、ウォルフは少しだけ囲炉裏から離れ、皆の様子を眺めている。ルイは時折ウォルフの盆の上を見たが、食事に手をつけた形跡は見られなかった。


「先日、兄と久しぶりにじっくりと話をしました」


と、テミラが再び葡萄酒の盃を手に取った。


「兄は、葡萄酒造りで私に負けまいと研究を続けてきたと言っていました。そしてこれからも互いに励もうと。私も負けてはいられません。これは真剣勝負です。しかし、とても楽しみな勝負です」


 テミラは笑顔でそう言った。


「それは、素敵なことですね」


と、シュウも嬉しそうに頷いた。それから居住まいを正すと、テミラに言った。


「テミラ殿。そろそろ我々も出立しようと思います」


 ルイとトシは顔を見合わせた後、二人揃ってハクトを見やった。ハクトは黙々と葡萄酒を口に運んでいた。


「そうですか。いつまでも居ていただきたい気持ちですが、お引き止めはできませんね。先生、大変お世話になりました。この御恩は一生忘れません」


 テミラは深々と頭を下げた。隣でタエも同じように頭を下げている。


「いえ。こちらこそ」


と、頭を下げるシュウと共に、ルイたちも頭を下げた。


**********

 

 テミラ邸での最後の宴は、夜遅くまで続いた。


 酔いがまわり、いつもより饒舌になってきたハクトが剣術について熱く語り始め、それをルイがあからさまに嫌がったり、テミラが葡萄酒造りの

奥深さについて熱弁するのをシュウが丁寧に相槌を打ちながら聞いていたり、もりもりと食べるルイにトシが「食べ過ぎだぞ。下品なやつだな」と言ったばかりに、横腹を思いっきりつねられて床に転がったり、そんなトシを見たタエが楽しそうに笑ったり……そんな和やかで賑やかな光景を、ウォルフは穏やかな気持ちで眺めていた。


「あの……」


 そんなウォルフの側にタエがやって来て、遠慮がちに話しかけた。


「はい」


と、話しかけられたことに少し驚きながらウォルフは返事をした。


「ウォルフさんは、ミアト国の出身だとお聞きしたのですが」


「はい、そうです」


「ミアト国というのは、私、あまり詳しくはないのですが、南の方の暖かい国ですか?」


「はい、一年中暖かい国です」


「それならば、これをご存知ですか?」


と、タエは薄茶色の丸い物が乗った皿を、ウォルフの盆の上に置いた。


「これは……」


「ダジンという、南の国で昔から食べられている物だそうです。小麦を粉にしたものに水を加えて練り、木の実や乾燥させた果物を加えて焼いたものです。以前、葡萄酒を買いに来られた行商人に作り方を教えてもらいました。木の実や果実はここで採れた物ですので、南の国の物とは種類が違うのですが。私もこのダジンが好きで、畑仕事をする時に持って行ったり、皆に差し入れたりしているのです」


 ウォルフはダジンをつかむと、香りを嗅ぎ、ひと口かじった。そしてあっと声を出しそうになった。その懐かしい形、手触り、香り、味、噛んでいる時の音、すべてがウォルフの五感を刺激して、忘れていた光景を思い出させたからである。


 母親がいて、父親もいて、まだ幼い自分が父親の膝の上に座っている。母親がダジンを差し出し、自分は嬉しそうに受け取ると、すぐにそれにかぶりつく。父親はダジンを食べながら笑顔で自分の顔を覗き込み、母親も笑顔を自分に向けている。そして自分も笑っている。


 そんな、何百年も前の幸せな日常…何百年も前にすっかり忘れ去っていた暖かい思い出が、驚くほど鮮明に目の前に現れ、ウォルフはひどく戸惑った。そして、自分の意思では止まらない涙が目から次々と溢れては、頬のあたりで皮膚に吸収されていった。

 顔を上げると、シュウやハクト、トシ、そしてルイが自分を暖かい目で自分を見つめていた。その眼差しの暖かさの温度は、何百年も前の思い出の中にある暖かさと似ているとウォルフは思った。


「大丈夫ですか?」


 タエが横から心配そうに尋ね、ウォルフは泣きながら笑った。


「参ったな。こんな歳にもなって、学ぶことがまだあったなんて」


「あら…」


と、タエは目を丸くした。


「こんな歳だなんて……私よりもお若いでしょう?」


「ああ、そうでした。僕は十八歳でした。タエ様、ありがとうございます。ダジン、とてもおいしいです」


 そう言うと、ウォルフは泣きながらダジンにかぶりついた。


**********


 出立の日、シュウたち一行を、たくさんの人々が見送りに来ていた。


「寂しいわね」


「何がだ」


 ルイの問いかけに、ハクトは無愛想に返した。


「何がって……せっかく子供たちと仲良くなれたところだったのでしょう?」


 フンと鼻で笑い、ハクトは馬にまたがった。


「我々には使命がある。遊びで来ているお前とは違う」


 途端に膨れっ面になって言い返そうとするルイを、トシが止めた。


「見てみろよ、ルイ」


 トシの視線の先には、ハクトが剣術を教えていた子供たちが、手に何かを持って集まっていた。そして、皆でハクトの側に駆け寄ってくる。ハクトも、子供たちに気付いて馬から降りた。


「先生、ありがとうございました。僕たち、すごく楽しかったです」


「ん?……そ、そうか」


「先生、これを」


と、五人の子供たちは各々手に持っていた物をハクトに差し出した。


「何だ、これは」


「葡萄の蔓で作ったお守りです」


「ほう……蔓で編んだのか。剣の形だな」


「願いが叶うお守りだよ、先生。これにお願い事をして、持っていてください」


「そうか、ありがとう」


 子供たちが満面の笑みでハクトを見つめている。ハクトは少しぎこちない様子で、子供たちの頭を一人ずつ撫でた。


「皆、元気でな」


 そう言うと、ハクトは馬にまたがり、さっさと出発してしまった。


「泣いてるんじゃない?」


と、ルイがこっそりトシに言った。


「かもな」


 トシが呆れたような顔で笑った。


「では、我々も」


 シュウの言葉で、他の四人も馬にまたがる。


「お気をつけて」


 皆に見送られながら、四人はハクトの後をゆっくりと追った。


「シュウ先生、これからはきっと、タエ様も心安らかに過ごせますよね?」


「そうだね。きっと、そうなるよ。あれ?トウ?」


 シュウは後ろからついて来ていたはずのトウがいなくなっているのに気付き、上空を見上げた。トウが村人の方に飛んで戻っていく。そしてトウはくるくると上空を回り始めた。その円の中心の真下にいたのは、タエだった。


 テミラが驚いてタエの顔を覗き見た。タエはにこりと微笑んで、ゆっくりと頷いた。  


 テミラが涙を流しながら、優しくタエを抱きしめている。周りにいる人々も、タエに新しい命が宿っていることを悟り、歓声をあげた。

  

「全く……結局、いつもトウがおいしいところを持っていくんだな」


と、ハクトがうれしそうに呟いた。




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