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7

 ウォルフは躊躇うトシの手を引っ張って、屋敷の裏口から外へ出た。


「待てって。俺は、まだ何も知らないんだぞ」


「君が今目覚めたのには意味がある。ほら、見てごらん」


 ウォルフが指をさした葡萄畑の上の空に目を向けたトシは、あっと声を上げた。人々の憎悪や悲しみが渦を作り、それを吸い込む影の住人の姿がはっきりと見えた。


「さっきよりも、大きくなっている」


 トシの視力は低下しているはずなのに、遠くの空に浮かぶ影の住人の姿がはっきりと見えた。


「何が見える?」


「目だ。目がたくさん……うようよとくねる紫色の煙のような塊にたくさんの目がついている。少し細い目……全部同じ目だ」


 ウォルフは大きく頷いた。


「大正解」


と言いながら、ウォルフはトシを見た。トシは目を瞑っていた。


「大きさはどのくらいかわかる?」


「そうだな……フオグの城くらいはあるな」


と、目を瞑ったままトシが答えた。ウォルフは、にこりと笑った。トシは目で影を見ているのではない。影の世界にほんの少しだけ頭を入れて感覚で相手を捉えているのだ。


 昔、仲良くなったソルアの父親が言っていたことをウォルフは思い出していた。


 きっかけがいるのだ、とその父親は言っていた。一人前のソルアになるには、自分がどうにかしなければ大変な事が起こってしまうという責任感と切迫感が必要なのだ、と。そしてそれら責任感と切迫感が高まることで、影の世界に自ら踏み込む勇気が生まれるのだ、と。


「この短時間にあれほど大きくなったってことは、きっと誰かがあの下で死んでいる」


「え?」


「トシ、ひとつだけ覚えていて。敵に名前を教えてはいけない。引きずり込まれて出て来れなくなるから」


「名前?」


「ソルアは敵に名前を知られてはならないんだ」


 その時、空に浮かぶたくさんの目が、一斉にトシに視線を移した。


「来るよ」


 ウォルフがそう言った瞬間に、トシは無数の目に囲まれていた。


 ウォルフ?……トシの横にいたはずのウォルフの姿は無い。自分は影の世界に足を踏み入れたのだとトシは理解した。


 周りにあるのは目だ。四方八方全てが目で埋め尽くされている。


〈お前は誰だ……お前は誰だ……お前は誰だ……〉


 目は一斉に、トシの頭の天辺から足のつま先まで舐めるように見た。それから、それぞれの目が違う動きを始めた。右を向く目、上を向く目、見開く目、瞬きする目、うにょうにょとひしめき合いながら目が動く。


〈あなたが悪いのよ〉


 突然、見知らぬ男女がトシの目の前に現れて消えた。そして見知らぬ人々が、次々と出てきては消えていく。同じ人間ではなく、違う人間だ。時々、話し声や泣き声も聞こえてくる。


〈畜生〉

〈許さねえ〉

〈どうしてあの娘なのよ〉

〈馬鹿野郎〉

〈大嫌い〉

〈恩知らずめ〉


 これは、この化け物が今までに見てきた人々なのだろうとトシは考えた。そしてこの人々の中から、化け物は恨みや妬みを餌として食らってきたのだろうと。


〈タエ〉


 トシの右斜め前方の目からその名前が飛び出した。すると他の目が一斉にその目に鋭い視線を向ける。そして怒りに満ちた声の〈タエ〉の連呼が辺りに響き渡り、矢尻のようなものがトシに向かって飛んできた。


 矢尻は〈タエ〉と声が上がるたびに飛んできた。素早く矢尻を避けていたトシだったが、矢尻の一つが頬をかすめ、切り傷となって血が流れた。


 血を見て興奮した目は、より一層多くの矢尻をトシに向かって放つ。トシは剣を抜くと、迫り来る矢尻を次々に打ち返した。


 すると、そのうちの数個の矢尻が化け物の目に当たり、悲鳴が聞こえて数個の目が消えた。矢尻の攻撃が止まり、大きく開いた目がトシをぎろりと睨みつける。


〈お前は誰だ……お前は誰だ……お前は誰だ……〉


 そしてまた、見知らぬ人々の姿が現れ始めた。


〈仕返ししてやる〉

〈どうしてあなたはいつも〉

〈またテミラか〉

〈誰だ、花を駄目にしたのは〉


 最後の男はトシの見覚えのある人物だった。あの金棒を持っていた大きな男だ。化け物はそんなトシの心の動きに敏感に反応した。


〈ひどいことをしやがる〉

〈誰だ〉

〈犯人を捕まえるぞ〉


 化け物は、大きな男の姿を出したり消したりと繰り返した。


〈とぼけやがって……無事に帰れると思うなよ〉

〈どうせ、イヒラの回し者だろ〉

 

 聞き覚えのある言葉だった。トシの心が再び揺らいだが、それ以上に化け物の動きがまた激しくなった。


〈タエ……タエ……タエ……〉


 化け物は再び矢尻をトシに向かって飛ばしてくる。トシは矢尻を剣で弾き飛ばしては、目を確実にひとつずつ消していった。


〈タエとは、誰のことだ?〉


と、トシが意識の中で話しかけると、化け物は激しく蠢き始めた。


〈あんな女〉

〈綺麗な人ね。テミラ様が羨ましい〉

〈どこがいいの〉

〈きっとワンシャム国で一番の美人よ〉

〈タエ……タエ……タエ……〉

〈あんな女、死ねばいいのに〉


 化け物の全ての目がトシに向けられた。トシは剣を構える。その時だった。


私を守れ(ムロア・ゾ・ミア)


と、囁くような声がトシの頭の中に響いた。その囁き声は初めて聞く声だった。


〈え?〉


私を守れ(ムロア・ゾ・ミア)


 四方八方の目の中に、矢尻の先が見える。それらが同時にトシに向かって放たれた。剣一本で対処できる数ではないことは明らかだった。


 トシは身体が自然に動くのを感じていた。頭の上で大きな円を描くように右手を動かし「ムロア・ゾ・ミア」と呟いた。


 放たれた矢尻がトシの周りで全て弾かれて、たくさんの目に当たった。悲鳴が響き渡り、半分ほどの数に減った目がぎゅっと近づいてトシを囲んだ。


〈だ・れ・だ〉


 大きな男の姿がまたトシの目の前に現れる。男は誰かに斬られて地面に倒れた。それを見てトシが息をのんだのを、化け物は見逃さなかった。


 大きな男の首元に手を当てるシュウが現れる。トシの動揺が大きくなった。シュウは今までに見たこともないような、怒りに満ちた顔をしていた。


 化け物は、シュウの姿を出しては消していく。そして、馬に乗っているシュウと共にトシの姿も現れた。 


〈みぃ-つけた〉


 そうか、俺を探していたのか……化け物が人々の姿を出す理由に、トシはようやく気が付いた。俺の心の動きを見て、つながりのある人たちから俺を、俺の名前を探していたんだ……


 馬に乗っているトシが気を失いかけている……トシの馬にルイが飛び乗っている……まずい、ここでルイが俺の名前を呼んだはずだ……


〈タエは美しいな〉


と、トシは咄嗟に叫んだ。化け物が目を釣り上げてトシとルイの姿を消し、代わりに一人の女性の姿を出してきた。


〈あんな女のどこが良いの〉


と、化け物は矢尻を飛ばした。トシは再び「ムロア・ゾ・ミア」と、矢尻を弾き返した。


〈タエはこの国で一番美しい〉


 トシの言葉に反応して、化け物は悲鳴と共にたくさんの矢尻を飛ばしてくる。


〈皆、タエのことが好きだ……タエは皆の憧れだ……誰もタエには勝てない……〉


 そしてとうとう残り一つの目になった時、トシは言った。


「お前はタエには勝てない」


 涙を流しながら飛ばした最後の矢尻をトシは剣で打ち返した。そして最後の目がパンッと割れた瞬間に、小さな紫色の煙のような姿になった化け物が逃げるように遠くへと飛んで行き、トシは影の世界から光の世界へと戻って来たのだった。


「おかえり」


と、ウォルフが笑顔でトシに声を掛けた。


「これで君も一人前のソルアだ」


 



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