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「トシ、大丈夫ですか?目の病気によるものですか?」
テミラ邸の広い部屋に通され、トシは布団の上で寝かされている。
「それが、今は眠っているだけのようなんだ」
と、シュウは安堵の表情でルイに答えた。
「始まったのかと思って、少し焦ったよ」
「始まったとは、何の話だ?」
と、ハクトが尋ねたが、シュウは口をつぐんで俯いた。
「おい、隠すな。言え。俺はこいつの兄貴だ」
ハクトの言葉にシュウは頷き、深いため息をついた。
「トシは……トシの目は、いつ失明してもおかしくない状態なのです。失明する時には高熱と気を失うほどの痛みが伴うらしいので、トシが気を失ったのを見た時、それが始まったのかと。しかし熱は出ていないようですし、痛みに苦しんでいる様子もありません。ですから今はまだ大丈夫かと」
「なぜ父上は、病気のトシをこんな旅に」
と、ハクトは険しい表情で言った。
「行くなと言われても、トシは密かについて行くだろうとおっしゃっていました」
「それはそうかもしれんが……」
その時、部屋の外から声がした。
「失礼いたします」
テミラの声だった。
「お連れの方はいかがですか?」
「おかげさまで、落ち着きました」
と、シュウが答える。
「それは、ようございました。もしよろしければ、お食事などいかがでございましょうか?ご用意できておりますので」
「ありがとうございます」
と言いながら、シュウはトシに目をやった。部屋の隅でちょこんと座っていたウォルフは、その様子を見て言った。
「トシのことは僕がみてるから、行っておいで」
フオグ国で捕まえて以来、ウォルフが何かを口にしているところを誰も見たことがなかった。何も食べなくても平気なんだ、と診療所でウォルフが少し悲しげに言っていたのを、シュウは思い出していた。
「大丈夫だ。何かあったらすぐに君を呼ぶよ。それとも、僕なんかは信用できない?」
「いや」
と、シュウは微笑みながら首を振った。
「では、よろしくお願いします」
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「お口に合うと良いのですが」
テミラの妻タエは気恥ずかしそうに言って、ハクトの盃に葡萄酒を注いだ。
「ありがとうございます。とてもおいしく頂いております」
焼いた魚をつまみに、ハクトが葡萄酒を口にしている。
「二年ほど熟成させた葡萄酒です。品評会にはその年に採れた葡萄で造った新酒を出しますが、私はこのぐらい熟成させた葡萄酒の方が好きなんです」
と、テミラが笑顔で言った。皆の中央には囲炉裏があり、野菜や魚を鍋で煮込んでいた。それをタエが皿によそっては、皆に配っている。
綺麗な人……とルイはタエを見つめながら思っていた。可憐で、上品で、男の人なら誰もが守ってあげたくなるような人……そう思いながらシュウを見ると、シュウはとても優しい視線をタエに送っている。ルイは少し口を尖らせながら葡萄酒をぐびっと飲んだ。
「前回の品評会に、新酒を出すことはできませんでした」
と、テミラが肩を落とした。
「去年のこの時期に、葡萄の花をほとんど全部駄目にされてしまったのです」
「その犯人に我々が間違われたのですね」
とハクトが言うと、テミラは両手を床について頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした」
「どうかおやめください。もう良いのです」
と、ハクトは盃を盆の上に置いた。
「イヒラとは誰ですか?イヒラの回し者だと言われましたが」
テミラは両手の拳を太腿の上に置き、俯いた。
「お恥ずかしい話でございます。イヒラは、私の兄です」
タエがテミラの横に移動して、寄り添うように座った。
「お兄さんが、なぜそのようなことを?」
と、シュウが尋ねるとテミラは顔を上げた。
「犯人が兄だと確証があるわけではありません。目撃した者によると、うちの畑を荒らした者たちは馬に乗った若い男たちで、その男たちが隣村の酒場でイヒラに頼まれたなどという話をしていたというのです。うちの葡萄酒が、七年連続で優勝したからだと皆は言っているのですが、私は兄がそのようなことをするとは思えないのです」
「お兄さんも葡萄酒を造られているのですか?」
「はい。前回の品評会では兄の葡萄酒が一番になりました。ですから余計に皆、うちの葡萄を駄目にした犯人が兄だと言うのです。葡萄が採れなければ葡萄酒は造れません。うちで働いている者たちの生活も苦しくなってしまいます。品評会で優勝することにこだわってはいません。ただただ今年は葡萄を無事に実らせたい、そればかり願っております」
タエが悲しげな表情でずっと俯いているのに気付いたテミラは、タエの手をそっと握りしめた。
「案ずるな。お前は何も気にしなくてよい。元気に居てくれさえすればよいのだ」
ますます俯くタエの手を握ったまま、テミラはシュウの方に視線を移した。
「お恥ずかしい話をお聞かせしてしまいました。どうぞお忘れください。ところでシュウ先生は旅をされておられるとか」
「はい。医学の知識を深めるために旅をしております。サジマ国にお会いしたい方がいらっしゃいまして、そこに向かっているところです」
「そうでしたか。お連れの方は?」
「私はシュウ先生の護衛です。これは世話係です」
と、ハクトがルイをちらりと見やりながら言った。ルイは目を丸くしてハクトを見つめている。
「さすが、ユアン様のご子息ですな。大したおもてなしもできませんが、どうぞお連れの方の体調が良くなるまで、ゆっくりなさってください」
「ありがとうございます」
と、シュウは頭を下げた。




