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「おい、ハクト」


と、トシは夜になってようやく家に帰って来たハクトを見つけると声を掛けた。


「今まで、どこに行ってたんだ?」


「道場に籠っていた」


「相変わらずだな。出発は明日だぞ。準備とか色々あるだろう?誰か別れを言わなければならない人だって……」


「父上と母上なら、明日出発前に」


「他は?」


「他とは何だ」


「二度と帰ってこられないかもしれないんだぞ」


「それがどうした」


「それがどうしたって……お世話になった人とか色々さぁ……まあいいけど。明日だが、俺はトルク村で寄らなければならない所があるから、早朝に発つ」


「わかった。待ち合わせは、フノス山の麓にある標石だったな」


「ああ」


「トシ、目は大丈夫か」


「大丈夫。まだ見えてるよ」


「そうか」


と言うと、ハクトはくるりと振り返って自分の部屋へと入って行った。

 そんなハクトの後ろ姿を見送りながら、トシは苦笑いを浮かべていた。




 しばらくして、部屋の扉を弱々しく叩く音が聞こえたのでハクトは扉を開けた。そこに立っていたのは、サラの侍女のアンナだった。


「何だ」


と、ハクトが無愛想に尋ねる。


「ハクト様が戻られたら、こちらをお渡しするようにと、奥様から……」


と、アンナはおどおどとした様子で手に持った服を差し出した。


「何だ?これは」


「旅装束でございます」


「そうか。ありがとう」


 ハクトはぶっきらぼうに言うと、服を受け取り扉を閉めようとした。


「あの……ハクト様」


 扉は完全に閉まりそうになっていたが、アンナのか細い声を聞いて再び開けられた。


「何だ」


「あの……」


 アンナは下を向き、もじもじとしている。


「何だ?早く言え」


「もしご迷惑でなかったら、これを」


と、アンナはとても小さな巾着袋を手のひらに乗せてハクトに差し出した。


「ん?」


と不思議そうな顔をするハクトに、アンナは緊張した様子で言った。


「私の村に古くから伝わるお守りです」


「何のための?」


「え……っと……ハクト様……ハクト様御一行の旅のご無事を祈願しております」


「そうか」


と素っ気なく言うと、ハクトはお守りの紐の部分を指で摘まんで目の前で持ち、じっくりと眺めた。お守りは光沢のある青い布で作られており、色とりどりの糸で幾何学模様の刺繍が施されていた。


「アンナが作ったのか?」


「はい」


「器用だな。こんなに細かい模様を刺繍できるなんて」


「ありがとうございます」


「ボルン村だったな、故郷は」


「は……はい」  


「道中、ボルン村を通る。父母に言付けがあるなら預かるぞ」


「え?でも……」


「遠慮するな。お守りの礼だ。もし何かあるなら、手紙でも書いて持ってきなさい」


「ありがとうございます」


 アンナが頭を下げている間に、部屋の扉はさっと閉められ、頭を上げた時にはもうハクトの姿はなかった。




 翌朝、ハクトはユアンから布で包まれた聖剣を受け取ると、それを背中に背負うような形で体に縛りつけた。


「頼んだぞ」


と声を掛けたユアンの腰に下げられた剣を見て、ハクトは少し戸惑いながら視線を逸らせた。それが本物そっくりに作られた偽物の聖剣だったからだった。


「よくできているだろう?」


 ハクトの視線に気付いたユアンは、にこりと笑って偽物の聖剣の柄に手を当てた。


「こんなこともあろうかと、何年か前に作らせたんだ。私が聖剣を持っていなかったら、周りが騒ぐからな」


 ハクトは何も言わなかった。ただ唇をぐっと噛み締めた。

 ハクトは悔しかった。聖剣の使い手として名を馳せてきた父が、もう聖剣を使うことはできないという現実、そして自分が聖剣の使い手を継承できていないという事実に打ちのめされていた。


「ハクト」


と、ユアンがハクトの肩を強めに叩いた。


「お前はまだ、自分の本当の強さを知らない。この旅で、それを見つけて帰って来い」


 視線を下に落としていたハクトが顔を上げると、ユアンは力強く頷いた。

 そんな二人の様子を眺めていたサラは、ハクトの目の前に進むと、突然ハクトの両頬を摘まんで横に引っ張った。


「母上、何を?」


と、頬を摘まれたまま、ハクトが言った。


「笑って」


「は?」


「私、あなたの笑顔をもうずいぶん長い間見ていないわ。笑顔を見せて」


「そう言われましても、この状態では……」


 サラはいたずらっ子のような表情でハクトの頬から手を離した。


「ほら、笑って」


 サラの催促に、笑顔を作ろうとしたハクトだったが、どうにもうまくいかない様子で顔を背けた。


「すいません、笑うのは苦手で……」


「わかってる。じゃあ、宿題ね」


「はい?」


「帰ってくるまでに、笑えるようになること」


 困った顔をするハクトの顔を覗き込みながら、サラは笑ってみせた。


「そんなに難しいことじゃないわ。みんなの笑顔を心に留めておいて。それを決して離さないで、どんどん心にためていくの。それがきっといつかあなたに笑顔を教えてくれるから」


 ハクトは、小さく頷いて言った。


「わかりました、母上。私は、もう出発します。外で見送られますと目立ちますので、ここで」


「ああ、気をつけてな」


「父上と母上も、お身体に気をつけて」


 ハクトは二人に向かって頭を下げると、静かに外へと出ていった。




 ハクトが外に出て厩舎に向かうと、ハクトの馬のそばにアンナが立っていた。アンナは小さく丸めた手紙を胸の前で両手で握り、緊張した様子でハクトを待っていた。

 ハクトは黙ったままアンナに近づくと、右手を差し出した。アンナはその手に手紙と家の場所を書いた紙を乗せた。


「よろしくお願い致します」


「承知した」


と、ハクトは手紙を懐に入れ、馬の手綱を手に取った。

 アンナは、ハクトが馬をひいて厩舎を出ていくのをじっと見つめていたが、ハクトの腰の帯にぶら下がっている、きらりと光る物を見つけて息を飲んだ。それは、昨日ハクトに渡したお守りだった。

 ハクトは厩舎を出るところで立ち止まると、振り返ってアンナを見つめ呼びかけた。


「アンナ」


「はい」


「笑ってみてくれないか?」


 え?と口は動いたが声は出ず、アンナは固まっている。


「笑顔を見せてくれ」


「ど……どう……」


「いいから」


 アンナは戸惑い、恥ずかしがった。しかしハクトがじっと見つめたまま動かないので、アンナは覚悟を決めたかのように顔を上げ、ハクトに向かって微笑んだ。

 それは、暗い雲の隙間から差し込む、雨の終わりを告げる柔らかい光のような微笑みだった。ハクトは満足したように頷くと、何も言わずに馬に跨り、厩舎から出て行った。

 そしてアンナは微笑んだまま、ハクトの姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。

 


 







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