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午後になり、シュウはトウを連れて村長宅へと向かった。
村長宅に近づくと、聞き慣れた笑い声が聞こえてくる。紅色の門から中を覗くと、庭で走り回っているキリの姿があった。
「シュウ先生!トウ!」
と、キリが笑顔で駆け寄って来る。トウの尻尾がゆっさゆっさと大きく揺れた。
「すっかり良さそうだね、キリちゃん」
シュウの問いかけに「うん」と答えながら、キリはトウの首に抱きついた。5歳のキリよりトウの頭の高さの方が上で、抱きついたキリはトウにぶら下がっている。
「くるぶしを見せてくれるかい?」
とシュウが言うと、キリは地面に降りてタナムシに噛まれた箇所をシュウに見せた。
「うん、綺麗に治ってるね。良かった。村長にお話があるんだけど、その間、トウと遊んでいてくれるかい?」
「うん、もちろん。トウ、行こう」
キリとトウは、広い中庭へ一緒に走って行った。
「シュウ先生」
シュウが来たことに気づいた村長のヤンが、玄関の扉を開けて呼びかけ、そして頭を下げた。
「先生のお力で、あの子の命は助かりました。なんとお礼を申し上げたらよいかわかりません」
「やめてください、村長。僕は医者として出来る限りのことをしただけです」
「先生のような方が、この村にいてくださることが、なんと心強いことか」
「村長……」
シュウは少し俯いて言葉を詰まらせた。
「いかがなされましたか?」
「実は、今日はお別れを言いに参りました」
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「それは、大変困難なことでございますな」
シュウを前に村長のヤンは深いため息をついた。応接室で、シュウから国を出ることになった経緯を聞いたところだった。
「この件は、ご内密にお願いいたします」
と、シュウは頭を下げた。「お世話になった村長に、嘘をつきたくはなかったものですから」
「承知いたしました。もちろん、口外はいたしません」
中庭からキリの歓声が聞こえる。ヤンが立ち上がって庭を見ると、キリが空高く投げた木の枝を、トウが翼を使って飛び上がりながら口で咥え、キリの所へ戻ってくるところだった。
「トウと会えなくなると、キリも寂しがることでしょうな」
「申し訳ありません」
と、シュウは頭を下げた。
「謝らないでください。これは国の、いや、世界の一大事でございます」
ヤンは縁側から離れると、椅子に座り直した。
「それにしても闇の炎とは……私はかつて城で書官の職に就いておりましたが、城の書庫にある、闇の炎に関する書物は、約二千年前に書かれた『全地創世伝』のみだったと思います」
書官とは、歴史的に価値のある書物の収集や管理、保存を行うフオグ国の官吏のことである。ヤンは城で書官として三十年以上勤務していた。
「闇の炎について、何かご存知なのですか?」
「全地創世伝に記されていたのは、闇より現れた神が炎で影を焼きはらった、というおとぎ話のようなものです。果たして、そのような物が実在するのかどうか」
と、ヤンは首を捻った。
「もしかすると、レジェムなら何か知っているかもしれません」
「レジェム?」
「私が書官の職に就いた頃には、城にもソルアの官吏が何人かいました。レジェムもその一人です。レジェムは書官で、全地創世伝の解析を担当していました。
しかし三十年前、ルシフ国王が国内にいるソルアに追放命令をお出しになり、その頃、たまたま他国の学者に会いに旅に出ていたレジェムは、国に帰ることができなくなってしまいました」
「今、レジェム殿がどこにいるのか、お分かりになりますか?」
「ずいぶん前のことですが、一度だけ、彼から手紙が来たことがあります。確か、サジマ国に住むことになったと」
「ありがとうございます。ぜひ尋ねてみようと思います」
「しかし、彼はソルアですからね、先生。充分に気をつけてくださいませ。いや、彼だけではありません。この国を追放されたソルアやその家族が、この国を今どのように思っているのか、ユアン様のご子息が目の前に現れた時にどのような感情を抱くのか…ひょっとしたら、恨み、憎しみなどの感情が増幅されて、攻撃的な言動をするかもしれません。油断はなさらないようにしてくださいませ」
「わかりました、村長」
と、シュウは頷いた。




