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6-2

「ムロア・ゾ・ミア!」


 トシの出した防御壁がハクトの前で虹色に輝いた。しかしそれは一瞬のことで、ラントの右肘はいとも簡単に壁を割ってしまった。


 ラントの両手を合わせた拳が、まばたきの速さでハクトの頭を目掛け飛んでくる。


 トシの防御のおかげで、ウォルフを下ろし、腕を頭の横に上げて防御の姿勢をとることはできたハクトだったが、ラントに殴られた身体は突風のごとく真横に吹き飛ばされた。


 ラントの攻撃の威力は強かった。地面に叩きつけられたハクトの意識は遠のいた。


 トシが多数の矢尻をラントに向けて放つ。するとラントは飛んでくる矢尻に向かって背中を見せた。矢尻はカキンッと金属音を立てながらラントの背中にはじき飛ばされ、すべて地面に落ちた。


「だからソルアは嫌い」


 ラントは落ちている矢尻を片手でいくつか握りしめると、トシに向かって投げ返した。矢尻は風のような速さで飛び、防御が間に合わないと察したトシは影の世界に身を隠した。矢尻はトシのいた場所の空間を通過して湖の中へ落ちた。


「また消えちゃった」


 そしてラントは倒れたまま動かないハクトに視線を移す。


「お兄ちゃんを連れていっちゃう人も嫌い。蹴り飛ばしちゃおう」


 ぴょんと飛び上がってハクトの前に降り立ち、ラントは右足をぐっと後ろへ曲げた。しかし、その足でハクトを蹴ることはなかった。ウォルフが、ハクトの前で立ちはだかったからだった。


「お兄ちゃん、そこ退いて」


「やめろ」


「どうして?その人、悪い人だよ」


「悪い人じゃない」


「お兄ちゃんを連れていっちゃう人は悪い人だ。家族はずっと一緒にいないとね」


「君が連れて行った大勢の女の人たちにも家族がいたんだ。君は、とても悪いことをしているんだ」


 ラントは足を下ろすと、駄々っ子のように口を尖らせた。


「でも、あの女の人たちはお母さんと一緒になって、永遠に生きられるんだよ。お父さんが言ってた。ばらばらになってしまったお母さんの身体を元に戻してるんだって。僕は悪くないよ」


「身体を使われた女の人たちが永遠に生きているわけじゃない。父さんは君を騙している」


「でも、でも……女の人たちの魂も移したからってお父さん言ってたよ。だから残りの殻は埋めてきなさいって……お父さんは天才だから何でもできるんだ」


「天才なんかじゃない。恐ろしい化け物だ」


 ウォルフはラントを睨みつけた。


「お兄ちゃん……」


 ラントが再び牙をむいた。


「そんなこと言ったら、お兄ちゃんでも許さないよ」


 怒った様子で叫ぶと、ラントはウォルフを蹴り飛ばした。ハクトが朦朧としながら腕を伸ばし、トシがラントに動きを止める術を使ったが間に合わなかった。ウォルフの身体は放たれた矢のような速度で飛んでいき、木の幹に打ち付けられた。それからウォルフは、ぐったりとした様子で木の根元に倒れ込んだ。


「また何かした?」


 ウォルフを蹴り飛ばした後でトシの術にかかって動けなくなっていたラントだったが、牙に隠された影がその術を弾き飛ばし、すぐに動くことができるようになっていた。


 ラントはトシに向かって獣のように吠えた。


「だから、ソルアは大っ嫌いだって言ってるでしょ!」


 そう言い終わらないうちにトシの至近距離に迫ったラントは、そのままトシに体当たりした。正面から攻撃を受けたトシは、後方の湖まで飛ばされ、大きな音を立てながら湖に落ちた。


 ラントはハクトの前に戻ると、腰にさしてある聖剣をじっと見つめた。ハクトが身体の左側面を上にして倒れていたので、聖剣が丸見えだったのだ。ハクトが動く気配はない。ラントはにこりと口角を上げ、聖剣に顔を近づけた。


「この剣、すごく綺麗。光るなんてすごい。こんなの見たことない。もらっておこうかな。ナバルに渡したら、お父さんとお母さんをあそこから出してもらえるかも」


 ラントはしゃがんで聖剣に手を伸ばす。しかしハクトの左手が聖剣の柄を素早くつかんだ。


 一段と強い光が聖剣から溢れ出る。その光はすぐ近くで見ていたラントの目に入り、思わず「あっ!」とのけぞりながら目を瞑った。


 ハクトは聖剣を抜き、身体を起こしながら剣を振る。聖剣はラントの開けた口の中を横切り、二本の牙を切り落とした。


「痛い!」


 ラントは叫ぶと口を押さえる。


「僕の大事な牙を!よくもやったな!」


 ラントは折れた牙を拾い、元に戻そうと歯茎に近づけた。聖剣の先が唇の左右の口角にも当たり、その部分が裂けている。


 ハクトはまだ意識が朦朧としていて、よろけて膝をついた。


「あれ?……あれ?」


 ラントは牙を見つめ、もう一度接着させようと試みる。しかし牙が元に戻ることはなく、新しい牙が生えてくることもなかった。そして折れた牙は灰になってパラパラと地面に消えていった。


「ああ!どうして?この牙は灰にはならないはずなのに!」


 ラントが悲しげに叫んだ。ラントに漂う影の気配がひとまわり小さくなっていた。


「それにどうして?傷も治らない」


 ラントは困惑した様子で口角を触っている。裂けた口角は、一向に治る様子を見せなかった。


 ようやく意識がはっきりしてきたハクトは、立ち上がって聖剣を構える。ずぶ濡れになったトシも姿を現し、ハクトの横でラントの気配を見据えた。傷が治らないことに動揺していたラントは、その場から二、三歩退いた。


「何?どうして?その剣……」


 ラントが怯えた様子で聖剣に目を向けている。ハクトはラントの裂けた口角を見て、ハッと息をのんだ。


(聖剣でできた傷は治らないのか……)


 ハクトの顔が熱くなり、変な汗が額から噴き出てくる。ラントの姿にウォルフが重なって見え、ハクトは首を横に振った。


「お兄ちゃん!」


 ラントが悲鳴のような声を上げた。


「お兄ちゃん!」


 その声に、木の根元で倒れていたウォルフが、少し顔を上げた。


「お兄ちゃん!助けて!傷が治らないよ!」


 ウォルフはラントの裂けた口角と聖剣の青い光を交互に見つめると、にこりと笑った。これが聖剣の力なのだと安心したからだった。


「ラント、その傷は治らない。その剣は聖剣だから。影を斬ることができる聖剣は、僕らを斬り刻むことができるんだ」


 ラントはウォルフに向かって獣のように吠えた。


「お兄ちゃんは、僕が斬り刻まれてもいいの?家族でしょう?」


 ウォルフはラントをじっと見つめながら頷いた。


「いい。君は母さんを作るために女の人をたくさん拉致した。そして残酷なことをして殺したんだ……たくさん、たくさん……その異常さに気付かない君は、まぎれもなく化け物だ。もちろん、君を作った父さんが一番悪い。だけど、君みたいな化け物を野放しにはできない」


「ひどいよ!僕は化け物じゃない!お兄ちゃんは僕の家族でしょう?」


「ああ。だから僕も化け物だ」


 ラントが涙を流しながら空に向かって吠えた。ラントの怒りと悲しみが全身に駆け巡り、身体の深部に存在していた影の気配を一気に膨張させる。


「まずい」


 トシが呟いた。今までに出会ったことがないほどの大きさの影がラントの中から姿を現したのだ。その影は湖とその周辺を覆いつくすほど巨大だった。


「あの猿から愛情が消えた。おそらく愛情があの影を閉じ込めていたんだ。自分の身に危険が迫ったら解放されるように仕組まれていたのかもしれない」


「今までは本気ではなかったということか?」


 ハクトの問いに、トシは冷や汗を浮かべながら頷いた。


「トシ、ファジル殿のように瞬間的に移動して、シュウを連れて来られるか?」


「ああ、やってみる」


 そう言うと、トシはフッと姿を消した。



 

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