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5

 ウォルフは湖の周りにある草むらの中に佇んでいた。辺りが暗くなり、満月の明かりが湖面とウォルフの白い肌を照らしている。


 湖はボジュア国とジーガル国との国境にあった。湖のボジュア国側の茂みの中には、ナオが言っていた通り、化け物を捕まえようとする十人ほどの男たちの気配がしていたが、ウォルフが木々の間に隠れながら、「化け物が町に現れたぞ!」と野太い声を出すと、皆慌てて町の方へと戻って行った。ずっと全力で走り続けたとしても、湖から町まで二時間はかかる。町に化け物がいないとわかっても、湖に戻ってくるまでには相当時間がかかるだろう。


 ウォルフは湖を背にして立っていた。肌が白く華奢な身体で、花柄の可愛い服をまとったウォルフの後ろ姿は、髪は短いものの十代の女の子に見えた。


(ハクトが知ったら、激怒するだろうな……でも、どうしても僕は、真っ先に知りたかったんだ)


 ウォルフは手を広げて冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。目をつむり、湖の奥底までに神経を向ける。


(来た……)


 微かな影の気配、それはウォルフが持っているのと同じくらいの影の気配が湖の底から浮かび上がってくるのがウォルフにはわかった。


 その気配の主は、あまり音を立てないように静かに湖から飛び出すと、ウォルフの後ろの地面に降り立った。そして驚くほど可愛らしい声で話しかけた。


「あれ?君、どうしたの?森で迷子になったの?」


 それは、幼い男の子の声のようだった。ウォルフは動揺した。それが、自分が予期していた声ではなかったからだった。


「僕が素敵な場所に連れて行ってあげるよ。そこに行けば、永遠に生きることができるんだ。怪我をしてもすぐに治るし、病気になんてならないんだ。優しいお父さんもいるよ。ねぇ、一緒に行こうよ」


 そう言いながら、化け物は少しずつウォルフに近づいてきていた。


 ウォルフは戸惑った。化け物には悪意などかけらほどもなく、ただ、子供が友達に遊ぼうよと誘っているかのような、そんな楽しい感情しか見えなかったのだ。


 ウォルフはゆっくりと振り返った。


 そこにいたのは、やはり大きな猿。


 ウォルフの脳裏に、五百年以上も前の光景が浮かぶ。

 逃げろ!……そうウォルフに告げ、牢屋のような部屋から逃がしてくれた大きな猿が、今、再び目の前に現れたのだ。


「ラント」


と、ウォルフは呟いた。


 ラントは、目をグッと広げて動きを止めた。


「どうして僕の名前を知ってるの?」


 ウォルフは何も答えずに、ラントを凝視した。


(僕を逃がしてくれた時のラントには、ソルアが乗り移っていた。だからあの時に聞いたラントの声はソルアの声だ。でも今のラントの中にソルアの気配は無い。じゃあ、この声の主は一体……誰?)


 ラントは興味深そうにウォルフの顔を覗き込んでいる。正面から穴が開くほど見つめ、少し横にずれて左右の横顔も確認する。そして大きく口を開け、両手を頭の上に乗せた。


「ああ!ひょっとして、ウォルフお兄ちゃん?」


「お……にいちゃん?」


「違った?だって、そっくりなんだもん。お父さんが作ってるお母さんの顔に。お父さんが言ってたんだ。ウォルフお兄ちゃんはお母さん似なんだって、だから会ったらすぐにわかるよって」


「母さんを作っている……?」


 蘇らせようとしている、の間違いではなく……?嫌な予感に、ウォルフの心臓がバクバクと鼓動し始めた。


「やっぱりウォルフお兄ちゃんなんでしょ?ずいぶん可愛い服を着ているんだね」


「僕に弟はいなかったはずだ」


 ウォルフはラントの感情を探りながら言った。


「お兄ちゃんがいなくなってから僕はお父さんの子供になったからね。知らないはずだよ」


 やはりラントには負の感情が微塵もなかった。ただ、純粋な喜びだけが存在していた。


「確かに、僕はウォルフだ」


 ウォルフがそう言うと、ラントは口角をめいいっぱい上げながらウォルフをぎゅうっと抱きしめた。


「やっぱり!嬉しい!ずっと会いたかったんだ。お父さんもずっと待ってるよ!僕と一緒に帰ろう!」


 ウォルフは「待って……」と、ラントの腕の中から抜け出した。


「教えてほしい。母さんを作ってるって言ったけど、一体どうやって?」


「女の人を連れてきて、切って貼ったり、取り出してはめ込んだりするんだ。そうしたらね、みんなお母さんの身体の一部になって、永遠に生きられるんだ」


 ラントは目をキラキラと輝かせていた。その瞳は、フウさんの紙鳥を見ている子供たちや、ハクトに手作りのお守りを渡す子供たちの希望に満ちた瞳と、何ら変わりはなかった。


「もう完成したと思ったんだけどね、爪が違うんだって。もうちょっと細くて艶がある爪が欲しいって。だからね、僕、探しに来たんだよ」


 視界がぐらりと揺らぎ、めまいを感じたウォルフは身体をふらつかせた。両膝に手を置きめまいに耐えると、今度は吐き気がしてきて手を口に当てた。精神的な苦痛が、ウォルフの肉体を痛めつけているようだった。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 ラントは身をかがめると、ウォルフの口に当てられた手を見て頷いた。


「そうそう、きっとこういう爪。やっぱりお兄ちゃんはお母さん似なんだね。でも、僕らの爪とか髪とかって、切るとすぐに灰になっちゃうから、お兄ちゃんの爪を使うことはできないよね」


 そう言いながら、ラントは指でウォルフの爪を突っついている。ウォルフはラントの手を払い退けながら後ずさった。


「どうしたの?お兄ちゃん」


 ラントはきょとんとした表情で首を傾げる。


「気分が悪いの?」


 ウォルフは頭に手を当てた。ひどく頭痛がしてきたのだ。痛みで顔を歪ませながら、ウォルフはうめくように言った。


「今まで、何人の女の人を連れて行った?」


「う〜ん。そうだなぁ……」


 ラントは腕組みをしながら地面にぺたんと腰を下ろした。


「ナバルに連れてかれる前から数えたら、九十人くらいかなぁ……目がなかなか見つからなくて苦労したんだよね。ちょっと前にようやく良い目を見つけて、褒められたんだよ。すごいでしょ」


 ウォルフは頭を抱えてうずくまった。そして小さく「化け物……」と呟いたが、ラントには聞こえなかった。


「本当に大丈夫?」


 ラントは這いつくばってウォルフに近づくと、ウォルフの顔を覗き込んだ。そこには、何の偽りもない純粋な愛情が存在していた。


(いけない……ここで倒れるわけには……)


 ウォルフは歯を食いしばったが、身体は言うことを聞いてくれなかった。ひどく頭を打ちつけたような感覚がして、ウォルフは気を失って倒れてしまったのだった。

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