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「シュウ!」
ミゼルが馬に乗って手を振っている。シュウは笑顔で手を振り返した。
ふたりは海岸近くの野原にいた。ミゼルが馬に乗る訓練をしているのである。
少しでも速くクスラ国へと向かうために、アルマが頑丈で足の速い馬を人数分用意してくれた。しかし、ずっと囚われていたミゼルは、馬に乗った経験が少なかった。そのためこれまではシュウと一緒に馬に乗っていたのだが、皆の負担になりたくないと、自ら乗馬の特訓を始めたのだった。
「気をつけて!」
シュウは片時もミゼルから目を離さない。それでも、ずっと気が気でない様子でオロオロとしていた初日に比べれば、ずいぶんと落ち着いて見ているシュウだった。
ミゼルがシュウに笑顔を返した時だった。
「あれ?」
と、ミゼルが上空に目をやった。シュウも振り返って顔を上げると、二頭のココラルが野原に向かって飛んで来ているのが見えた。
ミゼルは馬から降りると、手綱をひいてシュウのそばに近寄る。そんな二人の前に、美しい二頭のココラルが、静かに着地した。一方はトウで、隣にいるのは雌のココラルだった。
「トウ」
シュウが声をかけると、トウがシュウに近づいてきた。
トウの目の高さと同じになるようにシュウが膝をつくと、トウはいつものようにシュウの頬に自分の頬を擦り付けてからシュウの頬をペロリと舐めた。
シュウはそんなトウを優しく抱きしめた。
「わかってる。別れを言いに来たんだね」
トウがクゥンと甘えた声を出し、シュウは両手でトウの顔や頭を撫でた。
「彼女が君の伴侶かい?」
少し離れた所に座って、シュウたちを見つめている雌は、羽毛の所々が薄い水色の、とても美しいココラルだった。
「素敵なココラルだ」
シュウがにこりと笑ってトウに言った。
「今まで、君はずっと僕の味方でいてくれた。何度も何度も助けてもらった。本当にありがとう。
離れてしまうのは、とても寂しいけれど、君の新しい門出を、僕は喜んで応援する」
トウは再びシュウの頬に自分の頬を擦り付けた。そしてぐるりとシュウの周りを一周し、それからミゼルの周りも一周した。
トウは何度も振り返りながらシュウから離れて行く。そして雌の隣に戻ると、羽を広げた。
「きっと、また会おう!」
シュウの言葉に答えるように、その場で羽を何度か羽ばたかせると、トウは雌と共に飛び立った。
シュウとミゼルは、二頭の後ろ姿が見えなくなるまで、寄り添い合って眺めていた。
「さあ」
と、シュウがミゼルの目から流れる涙を指でぬぐった。
「僕らも行こう、クスラ国に」
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アルマ邸では、ルイが台所で旅のための食料の準備をしているところだった。
「何か手伝おうか?」
ウォルフが嬉しそうな顔で、机の上にある袋をのぞき込む。
「干し葡萄だね。こっちは小麦粉」
「ダジンもたくさん作っておくわね」
「嬉しい!」
ウォルフは元気よく頷くと、窓から外を見やった。中庭にはハクトがいて、相変わらず重しの付いた木刀を振り回していた。
「トシのお父さん、行っちゃったね」
外を眺めながら、ウォルフがぽつりと呟いた。
「そうね」
と、少し残念そうにルイは首を振った。
「トシはいっぱい話ができたみたいだから、良かったじゃない?」
「そうね。でも一緒に旅を続けられたなら、もっと良かったのにって、欲張りなことを考えてしまうの。トシのお父さんが、光の世界の平和と安全のために、影の世界にいなければならないことは理解しているのだけれど」
「その気持ち、わかるよ。僕ももっと話がしたかったな。ルイさんは何か話をした?」
「うーん……少しだけ。お父さん、無口で……」
「少しだけって、何を話したの?」
「トシのことをよろしく頼みますって……」
「うわぁ」
ウォルフは笑顔で頷く。
「フオグでは、結婚式はある?」
「もちろん。あるわよ」
「綺麗なんだろうな、ルイさんの花嫁姿」
ルイは困惑した表情でウォルフを見つめた。そして、ウォルフと目が合うと気まずそうに目をそらせ、焼き上がったダジンを窯から取り出して籠に移した。移し終えると、ルイは机の上をじっと見つめたまま固まった。
「どうしたの?ルイさん」
「ウォルフ……」
「何?」
「来てね、私たちの結婚式に」
ルイは顔を上げて、恐る恐るウォルフを見やった。ウォルフは微笑みながらルイに近づくと、ルイの頭に優しく手を置いた。
「いつだったか、同じようなことをしたね」
「大丈夫、心配しないでっていう意味でしょう?」
「その通り。でも今回は、僕のことは心配しないでっていう意味だよ」
「ウォルフ……」
「結婚式に招待されたのは初めてだよ。ありがとう、ルイさん」
ウォルフは頭から手を離すと、籠の中のダジンをパッと一つ手に取った。そして、エヘッとおどけてみせると、逃げるように台所から出ていった。
「もう……」
ルイは涙が出そうになるのを必死に堪えながら、深呼吸をした。そしてまた、小麦粉を練りはじめたのだった。
**********
「ハクト様」
木刀を置き、顔や頭から吹き出る汗を手ぬぐいで拭いていたハクトは、ダイチの呼びかけに振り返った。
「明日、お立ちになると伺いました」
「ああ」
ハクトは手ぬぐいを下ろすと、ダイチに向かって頭を下げる。
「長い間、世話になった。アルマさんにも、皆で挨拶に行こうと思っていたところだ」
ダイチは慌てた様子で両手を前に出し、ハクトに頭をあげるよう懇願した。
「お世話になったのはこちらの方でございます。いくらお礼をしても、し足りないぐらいでございます」
「いや。ここで起こったことの全ては我々に起因する。ダイチさんとアルマさんを巻き込んでしまい、申し訳なかった」
「そんなことを仰らないで下さい。聖剣を引き継ぎ、闇の炎を地上に迎えてくださったこと、心の底から感謝しております」
ダイチは深々とお辞儀をした。そしてしばらく頭を下げたまま、何かを言いたそうにもじもじとしていた。
「どうされた?」
ハクトが促すと、意を決した様子でダイチは顔を上げた。
「ハクト様、お願いがございます」
「何ですか?」
「クスラ国にて目的を達せられた後、またこの地に戻ってきてはいただけませんか?」
「なるほど。やはり聖剣は、炎の沈むこの地に戻すべきですか」
「いいえ、違います。聖剣も闇の炎も、その資格があると認められた方々が持っておくべきだというのが先祖代々の考えでございます。この地に戻って来ていただきたいのは別の理由でございます」
「別とは?」
「ハクト様に、アルマ様と夫婦になっていただきたいのです」
「は?」
ハクトはあんぐりと口を開けて固まった。あまりに突拍子もないことを言われて、ハクトは頭が真っ白になっていたのだった。
「ま……待て、ダイチさん。あ……アルマさんはまだ子供だろ」
「はい。ですからもう数年、アルマ様が大人になるまでは婚約者として……」
「ま、待ってくれ、ダイチさん。なぜ俺なのかは知らんが、それはアル……」
「アルマ様は」
と言いながらダイチはひざまずいた。
「神に近い存在であらせられます。そのような方に相応しいお相手は、聖剣の使い手であるハクト様をおいて他にない、私はそう確信いたしました。どうか……」
と、ダイチは手を前につき、額が地面に付くほどに頭を下げた。ハクトは困惑した表情でダイチの後頭部を見つめていたが、ふぅっと息を吐くとダイチの前に片膝をつき、ダイチの肩を軽くポンと叩いた。
「落ちつけ、ダイチさん。それはアルマさんの意向ではなく、あなたの希望かな?」
「は…………はい。しかし、私はアルマ様の将来についても、先代から指示を受けております。しかるべき方を結婚相手にと」
「勝手に結婚相手を決められたら、アルマさんが可哀想だ。彼女は確かに神の末裔なのかもしれない。しかしそれ以前にひとりの人間だ。アルマさんが好きになった人と結婚すべきだ」
「では、アルマ様がハクト様を好きだと仰れば、結婚していただけますか?」
「あ……」
ハクトは苦笑いを浮かべながら額にまた滲んできた汗を拭った。
「申し訳ないが俺には……故国に思い人がいるのだ」
「あっ……」
と、ダイチは口を開けた。そして少し顔を赤らめているハクトを見て、それが断るための嘘ではないことを悟った。
「そ……そうでしたか」
「申し訳ない」
「いえ、私こそ、とんだご無礼を。お恥ずかしい限りでございます」
「ダイチさん」
「はい」
「アルマさんはそそっかしいが、本当に純粋な方だ。あなたのようなしっかりとした人が側にいるから、我々も安心している。しかし、もしこれから先、アルマさんの身に危険が生じるようなことがあれば、必ず我々はこの地に駆けつける」
「ありがとうございます」
ダイチは涙を流しながら笑顔で頭を下げた。




