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6

 それから数日後、ファジルは起き上がって自ら食事がとれるほどまでに回復していた。  


 ウォルフはファジルの部屋を扉の隙間から覗き、ファジルが自分で粥を口に運んでいるのを見ていた。横にはルイが座っていて、ファジルの様子を見守っている。ファジルの足首には、まだ白い糸が光っていた。


「では、また来ますね」


 ルイはファジルにそう声をかけると、立ち上がった。

 

「トシ、まだお父さんと話してない?」


と、部屋から出てきたルイに、ウォルフが尋ねる。


「そうなの」


 ため息混じりにルイは言った。


「トシは」


と、ウォルフは白い糸が伸びる先を目で追った。


「またあの部屋?」


 ウォルフの問いに、ルイはこくりと頷いた。




 ウォルフは、アルマの祈祷部屋に向かった。白い糸がたとえなかったとしても、自分の気配を消していても、トシが祈祷部屋にいることはわかっていた。


 ウォルフは部屋の扉をトントンと叩いた。


「トシ、入っていい?」


「いいよ」


 ウォルフが部屋に入ると、いつものようにトシは部屋の真ん中で座っていた。


「この部屋が好きだね」


「無だからな。心が休まるんだ」


 トシは目を閉じたまま言った。瞼を開けると少し痛みがあるので、トシは目を閉じたまま過ごしている。


 アルマが祈祷すると、海の底にある炎が呼応する。その炎の気配は、祈祷が終わっても少しばかり残る。そのため、この部屋には影の住人は近寄ってこないのだ。


 病気によって光と影の世界に区別がなくなったトシにとって、影の住人が全くいないこの空間が貴重だった。


 トシは鼻をクンクンと動かした。

 

「ダジンか?」


「ああ」


と、ウォルフは手に持っていた籠を見やった。


「ルイさんがね、持って行けって」


 ウォルフはトシの右手を取ると、その手にダジンをひとつ乗せ、トシの横に座った。


「一緒に食べよう」


 ウォルフはダジンにかぶりついた。

 

「ウォルフはこれが好きだな」


と言いながら、トシもダジンにかぶりつく。木の実の香りが鼻に抜け、トシは「美味い」と呟いた。

 

「母さんもこれを作ってくれたんだ」


 ウォルフはダジンを眺めながら言った。


「父さんと三人で食べたなって……みんな笑顔だったなって、前にこれを食べた時に思い出したんだ」


 トシはダジンを持っていた手を下におろし、顔をウォルフに向けた。


「初めて聞く話だ」


「うん、初めて話した」


「それは……その思い出はウォルフにとって……」


「うん、いい思い出だよ」


 ウォルフは笑顔で頷いた。


「そうか……良かった」


「そんな幸せな家族の顔は、もう見れないけどね。シュウの話だと、父さんはとうとう化け物になっちゃってるみたいだし」


と、ウォルフはダジンに再びかぶりついた。


 シュウはファジルから受け取ったカインの記憶について、隠さずに全て皆に話して聞かせてくれていた。ウォルフは、自分の父親がナバルの城の地下牢にいることを、その時初めて知ったのだった。


「ウォルフは……」


 トシはウォルフの感情を探りながら遠慮がちに言った。


「その……お父さんみたいにはならない……と俺は思う」


 ウォルフは口をもぐもぐと動かしながら、口角を上げた。


「そう?どうしてそう思う?」


「どうしてって……それはだってさ、ウォルフみたいな優しい男が、化け物になんかなるわけがない」


「その理由には根拠がない」


「根拠なんかいらないだろ?一緒に旅をしてきて、ウォルフのいろいろな姿を見てきたんだ。どんな男かってことぐらい、感覚でわかる」


「ますます根拠がないね。でも僕も思ってる。トシみたいな優しい男が、あんな悪意の塊になんかなるわけがないって。もちろんファジルさんも。だから怖がらなくても大丈夫だと思う。お互いに」


 トシは、あっ……と口を開けると、髪をかきあげて苦笑いを浮かべた。


「ウォルフには敵わないな」


「当たり前でしょ。六百五十九歳をなめないでよね」


 ウォルフは最後の一口を食べ終わるとぴょんと立ち上がり、トシの手首に絡まった白い光の糸を見やった。


「早く会いに行ってあげたら?そんな光の糸なんて、ファジルさんなら簡単に切って逃げられるでしょう?それなのに何もせず、そのままにしてるってことは、トシが会いに来てくれるのをずっと待っているんだと思うよ」


「わかってる。わかってるんだけどさ」


と、トシはため息をついた。


「何から話せばいいのか、何と言って話しかけたらいいのか、正直、わからないんだ」


「二人とも、全部自分一人で抱え込んでしまう質だからね」


 ウォルフは、うんうんと頷いた。


「何でもいいと思うけど?どうしていつもすぐに消えちゃうんだって怒ってもいい、とっておきの技を教えてもらってもいい、お母さんがどんな人だったのか聞いてもいい。お父さんに聞きたいこと、本当はたくさんあるんでしょう?

 向かい合って話すことができるって、素敵なことだよ。トシが羨ましい。僕の父さんには、もう何を言っても届かないと思うから。

 この機会を逃したら、もう一生話すことができなくなるかもしれない。後悔することになってもいいの?」


 トシは無言のままダジンにかぶりつくと、残りを一気に食べてしまった。そして、鼻息荒く息をついた。


「わかった。行ってくる」


 そしてトシはふっと姿を消した。まるで蝋燭の火が消える時のように。


「ますます似てきたね」


 ウォルフは微笑んだ。




 ファジルは食べ終わった粥の器を、布団の横にある盆の上に置いた。そして身体を前に向き直した時、足元にトシがふっと姿を現したのだった。


 二人はしばらく無言のまま向かい合っていた。


 その沈黙に耐えきれなくなった頃、トシは髪をかきあげながら、決意を固めて口を開く。と同時に、ファジルが口火を切った。


「いい娘だ」


 え……?と、突然のことにトシの声は出ず、ただ唇だけが動いた。


「ルイさんのことだ」


「あぁ……」


 ようやく声が出たトシは、少し恥ずかしげな笑みを浮かべた。


「大事にしろ」


 そう言うと、ファジルは視線を落とした。


「私が偉そうに言えることではないが」


 トシは思わずハッと目を見開いた。しかし痛みが走り、すぐに目を閉じる。


「父さん、負の感情が……」


 漏れまくっている……とまでは言えなかったトシだった。そして二人の間に壁を作っていたのは、ファジルではなく自分の方だったのかもしれないと思った。


「ああ、油断している」


 当然だというような口調でファジルは言った。


「気が張れないほど身体が弱っていた。しかも、油断していた方が怪我の治りが速いのだ。私が治らないと出発しない、とシュウが言っている。速く治すために油断している」


「そっか……どうりでこの部屋に影が入ってこようとするわけだ」


 ファジルの前に現れる前に、数体いた影の住人を軽く追い払っていたトシだった。


「面倒をかけてすまない」


「そんなこと……本当はゆっくり治してほしいくらいだ。いろいろと……話したいことがあるから」


 ファジルは顔を上げ、トシを優しい表情で見つめた。


「いろいろとは?」


「い……いろいろ……母さんがどんな人だったのか、とか……技のことだって聞きたいし、今まで父さんにどんなことがあったのかも知りたい」


「わかった。私もひとつだけ、お前にしたいことがある」


「え?何?」


 ファジルはゆっくりと立ち上がると、トシの前に進み両膝をついた。そして怪我をしていない右腕をトシの身体に回すと、ぐっと引き寄せてトシを抱きしめた。


「ずっと、こうしたかったのだ。

お前をひとりにして、悪かった」


 トシの閉ざされた目から涙が溢れ出た。


「よく言うよ」


 震えながらトシは言った。


「ずっと側にいてくれたくせに」


 トシはファジルの胸に顔をうずめ、ファジルはより一層強くトシを抱きしめたのだった。


 

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