4
「まったく……君たち親子は私を簡単には死なせてくれないようだ」
ファジルは薬を飲まされてから一日半眠り、真夜中に目を覚ました。瞼を開けると、自分を覗きこむように見つめているシュウに向かって、こう呟いたのだった。
「ファジル殿は運が良いのだと思います。昔も今回も、急所は外れていたのでしょう」
「いや、運などではないだろう」
と、ファジルはシュウと目を合わせた。
「闇の炎が君を見つけたのは、宿が火事になった時だ。君は気が付いていなかったが、あの時から闇の炎は君の中に入っていたのだ」
シュウは、火事から逃げるために影の世界に入った時、赤い光の膜がミゼルを守っていたことを思い出し、あっ……と口を開けた。
「ファジル殿が守ってくださっているのだと思っていました」
「私の首を君が押さえた時、君の手から炎の力を感じた。炎が君の心に寄り添った結果、私は生かされた。あの炎には癒しの力がある」
ファジルの声はまだ弱々しく、話をしただけで呼吸が乱れていた。顔を歪めるファジルを見て、シュウはファジルの胸に手を置いた。
「今はお休みください。話は、もうすこし体力が回復してからにいたしましょう」
しかしファジルは話を続けた。
「闇の炎の周りには、それを守るソルアの魂がある。君はソルアではないが、ソルアが使う言葉を唱えれば、炎は答えてくれるだろう。私がその言葉を君に伝え……」
「ファジル殿」
シュウがファジルを遮った。
「また消えるおつもりですか?」
ファジルはふっと口元を緩めた。
「そんな力が残っているほど、私は若くない。それに……」
と、ファジルは自分の足元を指差した。
シュウが行灯を手に持ち、ファジルの足元を照らすと、布団の下から白い糸が出ているのが見えた。布団をめくると、ファジルの右足首にぐるぐると巻かれた白い糸は、トシが寝ている隣の部屋に伸びている。シュウはにこりと微笑んだ。
「捕まっていましたか、トシに」
「ああ」
「これでは逃げられませんね」
「私のことはいい。一刻も早くナバルを倒しに行け」
シュウは行灯を元の位置に戻すと、ファジルに向き直った。
「急がなければならないことはわかっています。しかし、ファジル殿をこの状態で置いていくことはできません」
「こうしているうちにも、ナバルは勢力を拡大し続けている。周辺諸国を制圧し、人々を迫害している。早く止めなければならない」
「わかっています。しかし、今のトシにはあなたが必要です。僕たちには何も言ってくれませんが、目が見えなくなった不安に加えて、フオグを乗っ取ったあのソルアが自分と血の繋がりがあったと分かり、トシは混乱しているはずです。ですからもう少し、ファジル殿にはトシの側にいてあげてほしいのです」
「私がいなくとも、あの子は自分で乗り越えられる」
「そうかもしれませんが、あなたを放っておけない理由がもう一つあります。
炎の剣を持つことで、僕も影の住人の気配が見えるようになりました。それでわかったのですが、ファジル殿に復讐しよう、あるいは悪戯しようとする影が、あなたが弱っている今が好機とばかりに、毎日たくさん寄ってきているのです。今、起き上がることもできないあなたを放置して行ってしまえば、あなたはすぐに影の住人の餌食となってしまうでしょう」
「そうなったとしても、私は構わない」
「駄目です。あなたが良くても、僕は許しません」
「なぜだ。医者だからか?」
「家族だからです」
ファジルは目を見開くと、シュウのまっすぐな瞳を見つめた。
「トシは僕たちの兄弟であり、あなたはトシのお父さんですから。それに、あなたは弟のような存在だったと、昔、父から聞いたことがあります。そんな人を見殺しにはできません。ですから、あきらめてください」
ファジルが思わず声を出して笑ったので、今度はシュウが目を丸くする番だった。
「なるほど。君はサラ様によく似ている」
「母に?……頑固なところですか?」
「お茶目なところだ」
「お茶目なところですか……初めて言われましたが、確かに、そうかもしれません。でも安心しました。ファジル殿の笑顔を見ることができて」
ファジルは少しだけ首を横に振った。
「自分でも驚くほどに油断している。いや、気を張ることができないほど、私の身体は弱っているということなのだろう。君の言う通り、消えるのは当分あきらめることにしよう」
シュウはファジルの頭と肩を支えながら少しだけ起こすと、ファジルに水を飲ませた。
「影の毒は解毒できていると思いますが、腕と首の傷はまだしばらくかかりそうです。布を替えますね」
そう言うと、シュウはファジルの腕の包帯を取り始めた。そして傷に当てている布をそっと取り、薬草を練ったものを傷に塗ると、また綺麗な布を当ててから包帯で巻いていった。
「面倒をかけてすまない」
「面倒などと思ったことはありません。これまで何度もファジル殿に助けられてきたのです。少しでも恩返しがしたい。
しかしひとつだけ、皆が起きてくる前に、油断しているファジル殿にお聞きしたいことがあるのですが」
シュウが首に当てた布をそっと取り除いている。ファジルは上を向いたまま、「何だ?」と答えた。
「いつも、ぎりぎりまで僕たちの様子を見ていましたか?」
シュウは首の傷を見て、濃度の高い酒を傷にかけた。傷口がしみ、ファジルは顔をしかめる。シュウはそこに薬をたっぷりと塗りつけると、布を当てた。
「ファジル殿にすぐに助けられていたら、我々は成長できていなかったと思います。僕たちの後がなくなるまで助けないようにと、父に頼まれたのですか?」
「まいったな」
ファジルはため息をついた。
「本当に、サラ様と話をしているかのようだ」
「隠し事はできません。そもそも、傷ついたカイン殿を影の世界を通って運び、私に発見させたのも、あなたですよね?」
ファジルは優しく頷くと、シュウを見つめた。
「君たちなら、聖剣と炎の使い手になれるとユアン様に進言したのも私だ。そしてユアン様から、君たちを支えてほしいと頼まれた。言われるまでもなく、私はそのつもりだった。トシを付け狙うあの悪意のこともあったからだ」
「やはりそうでしたか。この地に闇の炎があることも、あなたはご存知だった」
「まあ……そうだ」
「さすがに、それくらいはあらかじめ教えていただいていても良かったと思いますが?」
ファジルは頬を緩めた。
「それは……私が教える前に君が答えを出していたのだ。それにずっと君たちのそばにいたわけではない。世界のどこかで影の力が巨大化していたら、そこに駆け付けなければならない。それが影に生きるソルアの役目だ。君たちがキレスの所にいた頃には、フオグではルシフ国王が亡くなり、国が悲しみで溢れていた」
「ルシフ国王が?…………そうですか…………お亡くなりに……」
シュウは悲しげに目を伏せた。
「私の使命はフオグの平和を守ること、そしてあの男のような化け物を、二度と生み出さないようにすることだ。
しかし、再びナバルという化け物が現れた。あれを倒せるのは君たちしかいないと思った」
「なにもかもご存じで、なにもかもお見通しだったのですね。ならば、なぜカイン殿が殺されなければならなかったのかも、ご存知なのですね?」
ファジルは「ああ」と言って右手をシュウの前に出した。
「君とカインは仲が良かったことも知っている。いつも楽しそうに剣術の稽古をしていたな。
友が最期に見たものや記憶を知る覚悟はあるか?」
「それは……つまり?」
「カインの記憶を私の頭の中に複写する術を使った。君に覚悟があるなら、君の頭にそれを映すことができる」
シュウは息を吸ったまま固まり、ファジルという神のような天才を見つめた。そして、もしファジルがあの悪意に支配されていたとしたら、世界は終わっていただろうと震えた。
「覚悟はあります。教えてください、カイン殿が何を見て、なぜ殺されたのかを」
ファジルは穏やかな表情のまま、右手をシュウの頭の上に置いた。そして小さく呟いた。
「光よ力を
伝えよ 、死者の叫びを」




