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あのソルアが影の世界に悪意を留めた時、煙の塊のような姿となった悪意は影の世界を漂った。
それとは真逆の出来事が、はるか昔のメシュル島で起こっていた。
光の世界に生きる聖人ゴラが死の淵に立った時、溢れるほどの愛情を光の世界に留めた。ゴラの愛情は炎のような姿となって何年も何年も燃え続けた。そしてその炎には、影の住人の精気を削ぎ取る力があった。
ソルアではないゴラに何故そのような奇跡を起こすことができたのか、それは誰にもわからなかった。だからこそ、ゴラは神だったのだと皆は考えた。
当時、影の住人は力が溜まって大きくなると、嵐を起こして漁師たちの命を奪っていた。島にソルアはいたが、当時のソルアは術が今ほど発達しておらず、巨大な影には太刀打ちできなかった。
ゴラの子孫は炎に向かって祈り、己の愛情を炎に注いだ。すると炎は燃え広がり、影の住人の体を小さくすることができた。そうやって小さくなった影をソルアが追い払った。ゴラの子孫は島主となり、ソルアと協力しながら炎と島と島民を守り続けた。
「つまり、ゴラという方は……」
「はい。アルマ様のご先祖です」
アルマは目を一段と大きく見開いた。ダイチとハクト、そしてシュウと共に、祖父からの書簡を読んでいるところだった。そこには、聖剣の誕生について記されていた。
ゴラの子孫たちは愛情を炎に注ぐことで、炎の勢いを長い年月のあいだ保ってきた。しかしそれは、彼らと炎が影の住人からの攻撃に常に晒されることを意味した。
そこで彼らは、より強力な武器が必要だと考えた。そして二本の剣を作った。一本は刀身まで作られた剣、もう一本は刀身のない剣である。彼らはその二本の剣を炎の中に投じた。炎は剣を包み込み、その力を剣に与えた。
そうして、のちに聖剣と呼ばれる青く光る剣と、燃えながら刀身を形作る赤い炎の剣が生まれたのである。
「待って……私が聞いていたことと全く違うのだけれど?」
アルマは首を傾げた。
「聖剣をもう一本作ろうとしていた途中に大地震が起きた、あるいは作ろうとしたところで神様に止められたと聞いていたのに」
「アルマ様がご存知だったのは、表向きのものです。あの剣の柄に、そんな力があることを知られてしまわないようにするためでございます」
「では、ここに書かれてあることが、真実なのですね?本当の本当に、真実なのですね?」
「はい」
「わかりました」
アルマはにこりと笑った。
「じっちゃんが、私が成人するまではこれを渡さないように言った意味がわかりました。うっかり者の私には、荷が重すぎます」
「アルマ様……」
「ダイチ、私は大丈夫です」
アルマは深呼吸をして、力強く頷いた。
「島主としての覚悟を持って読みます」
と、アルマは再び書簡に目を落とした。
聖剣と炎の剣は誕生したものの、その剣をゴラの子孫の中で使いこなせる者はいなかった。ソルアの中にもいなかった。炎の中から取り出した聖剣は青い光を失い、炎の剣の刀身は消えていたのだ。
しかし、ただ一人、メシュル島にやって来た修行中の若い剣士だけが、炎に導かれるままに二本の剣を手に取り、その力を使うことができた。剣士は、祈りを捧げていた島主やそれを守っていたソルアを飲み込んでしまった化け物を、一瞬のうちに退治したのだった。
彼は炎を消さんと近づいてくる影の住人を片っ端から退治した。ソルアにも炎にも不可能なことを、その二本の剣と剣士は可能にした。つまり、影の住人の息の根を止めることができたのだ。
島を包むほどに増加していた影は、ほとんどが退治されるか逃げ出すかして、島には平穏が訪れた。
これらの出来事は、ゴラの子孫たちやソルアたちが多くを語らなかったため、目撃者によって伝承され、『全地創世伝』にあったような神話的なものとなったのである。
「俺たちが知っている話とも、ずいぶん違うな」
とハクトが呟くと、シュウは少し頷いた。
「そうですね。それに僕の推論も違っていたようです」
「伝承など当てにならんということか」
「どうでしょうか……ミュンアンで出会った子供たちから、英雄ユアンの物語を聞かせてもらったのですが、父上がずいぶんと美化されていました。母上に叱られている父上を見てきた僕には、それがおかしくて……しかし、その物語は全くのでたらめというわけではありません。父上は確かに聖剣の使い手であり、国を守ったのですから。
言い伝えには、根拠となる事実が必ずあると思うのです。ただ、その時代、伝承していく人々の思想、思惑、願望といったものが事実にまとわりつき、人々の歴史の中で姿を変えていくのではないかと思います」
その後、若い剣士は二本の剣を炎に返した。いつかまた長い年月の後に、剣を必要になった誰かが、そして炎に認められた誰かが現れると剣士は思ったからである。
剣士が考えた通り、それから何百年か経った後、剣が必要となる時がやってきた。しかし、強大な影がメシュル島を海の底に沈めようとした時に、炎に認められた者は現れなかった。島主は刀身のない剣だけはかろうじて持って逃げることができたが、刀身のある剣と炎と、炎を守ろうとした勇敢なソルアは海の底に沈められてしまった。
勇敢なソルアは、自らの身体を炎を守る盾にした。肉体は滅びても、ソルアの強い意思は炎を包み守った。そうして、炎は深海の底にあっても燃え続けた。深海の闇の中にあっても燃え続ける神聖な炎を、残された人々は闇の炎と呼ぶようになったのである。
「さすがに、これは推論だろう?」
ハクトの呟きに、アルマは首を横に振って否定した。
「私が教わった数々の祈りの言葉ですが、それらはソルアが術を出す時に使う言葉と同じなのです。これまでずっと不思議に思っていました。どうしてソルアの呪文と同じ言葉なのだろうかと……私はソルアではないのに……祈りの言葉を唱えると炎の存在を感じることができるのはどうしてなのだろうかと。もし海底の炎がソルアの意思で包まれているのだとしたら、ソルアの言葉で祈りを捧げることは、そのソルアの意思に語りかけること、ということになります」
「つまり、アルマさんの祈りが海底のソルアに届き、そのソルアが炎の力をアルマさんに送っている、ということか?」
「はい」
「ファジル殿やトシのようなソルアなら、可能かもしれませんね」
とシュウが言うと、ハクトは頷いた。
「ああ、あの二人なら。あの…………しかし……」
「どうされました?」
「この書簡に書かれてあることは、この島の者ですら知らないことか?」
尋ねられたダイチは「もちろんでございます」と答えた。
「島主とその側近だけが知っていることです。その家族ですら知りません」
「ならばなぜ、あのソルアはアルマさんが神の末裔などと言ったのだろうか」
しばらくの沈黙の後、ハクトとシュウが目を合わせた時だった。ドタバタという足音が聞こえてきて、ウォルフがやって来た。
「シュウ!」
ウォルフは部屋に入ってくるなりシュウに抱きついた。
「やったね、シュウ!」
「ウォルフ?」
「やっと目が覚めて、ミゼルさんから聞いたよ!シュウが炎の剣であいつをやっつけたって。それって、闇の炎でしょ?」
ウォルフはキラキラとした瞳でシュウの顔を覗き込んだ。
「これで、ナバルを倒せる!」
「そうだね」
シュウはウォルフの肩に手を置くと、優しく微笑みながら頷いた。
…………聖剣の使い手と闇の炎を手に入れてナバルを倒すことができたら……そうしたら僕を……僕を微塵も残さず消し去ってほしい…………
美しい花畑の中でのウォルフの言葉がシュウの頭に響いている。
…………その答えを出す時間を、もう少し僕たちにもらえるかい?…………
(僕に、その答えが出せるのだろうか………)
シュウはウォルフをぎゅっと抱きしめた。
「みんなを守ってくれてありがとう」
ウォルフは嬉しそうな顔で、「うん」と頷いた。




