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悪意が消滅してから五日が経っていた。村の人々が大勢やってきて、アルマの屋敷の壊れた屋根や壁を修繕してくれている。
金槌の音が響く中、「アルマ様!サトさんの船が戻ってきました!」と、村人の弾んだ声が聞こえてきて、驚きのあまり飛び上がったアルマは、床にあった雑巾で足を滑らせた。
「アルマ様!」
尻もちをつきそうになったアルマをダイチが受け止める。
「大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。またやってしまいました」
「お怪我がなくて、なによりです」
と、ダイチはアルマの身体を支えながら起き上がらせると、吉報をもたらした村人に尋ねた。
「船に乗っていた方々は?」
「全員、無事です」
そこにいた人々が歓声をあげた。
「ダイチ」
アルマがキラキラと目を輝かせながらダイチに顔を向ける。
「はい」
「神様に御礼の祈りをせねばなりません」
「では、準備を整えます」
と、ダイチはアルマの祈りの場所を整えるために隣の部屋へと移動した。その後ろ姿を見ながら、アルマはほっとした表情を浮かべていた。
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悪意が消滅してから、アルマとダイチが目覚めるまでに時間はかからなかった。そして、目を覚ましたダイチは、平身低頭でアルマに謝罪した。
「悪いものに取り憑かれたのです。ダイチは何も悪くはありません」
「いいえ。数々のご無礼、なんとお詫び申し上げたらよいか……」
悪意に支配されている間の記憶は、ダイチ自身に残っていた。ちがう!やめろ!やめてくれ……心の中で何度も叫んだが、悪意が入り込んでいる間に自分の体が戻ってくることはなかった。その出来事は、ダイチの心に深い傷を残した。
…………いつも我慢していたんですよ。あなたの補助をすることが私の生きる意味だと言い聞かされて育ってきましたから…………
…………あなたに才能があるとは思えない…………
あの時にアルマに言ったこと全てが、ダイチ自身の中に何の根拠もないものであったら、少しは気が楽だったのかもしれない。ダイチは顔を上げることができなかった。
「アルマ様。どうか、私に罰が下りますように、神に祈ってください」
「ダイチ……」
二人の側にはハクトとシュウがいた。アルマは助けを求めるように二人を交互に見つめた。
「私はまだ未熟者で、能力もありません。なによりそそっかしくて……ダイチに迷惑をかけ続けてきたことは事実です」
「いいえ、アルマ様。未熟なのは私の方です。弁解の仕様もございません。どうか、罰してください」
「どうしましょう……お祖父様から、そんな罰を下すような祈りの方法は教わっていません」
と、眉を八の字にするアルマを見て、シュウは微笑んだ。
「そのような祈りは存在しないと思いますよ」
シュウはアルマに優しく言うと、膝をついてダイチの肩に手を当てた。
「ダイチさん、あなたにはもう罰が下ったではありませんか。僕の剣があなたに刺さって、あなたは一度死んだのですから」
「あ……あれはしかし……」
「そしてこの剣の柄が、あなたを助けた。きっと、あなたはその時に許されたのです」
「そ……そうです!私もそう思います」
と、アルマは正座をすると両手を前につき頭を下げた。
「ダイチ、お願いします。これからも私の側にいてください」
ダイチは両手を顔に当てた。そして声をあげて泣いたのだった。
「ひとつ、確認したいことがあるのだが……」
ダイチが落ち着くと、ハクトがアルマに尋ねた。
「アルマさんが神の末裔だというのは、本当なのか?」
「それは一体、何のお話でしょう?」
アルマはキョトンとした顔で答えた。
「あの男が言っていたのだが?」
「前にもご説明しましたが、神はメシュル島にある炎です。私の家は島主の役目のひとつとして、祈りを捧げています。神の末裔だなんて、とんでもないことです」
アルマは、そうよね?というような顔でダイチを見つめた。ダイチはアルマと目が合うと、ぎこちなくうなずいた。
「何か知っているのでは?」
と、ハクトは顎を下げてダイチを見据えた。しかしダイチはハクトから目をそらせるように俯いた。
「炎が神だというのなら、あの炎の剣は一体何なのか、教えてもらいたいんだが」
「炎の剣?」
ダイチもアルマも気を失っていたので、シュウの炎の剣を見てはいなかった。ダイチはハッと息をのみ、アルマは首を傾げた。ハクトに促されたシュウが剣を鞘から出すと、二人は同時に声を上げた。
「まあ!」
「まさか!」
アルマは目を輝かせながら、手を前で合わせている。そして目を瞑るとブツブツと小さな声で祈りを捧げ始めた。
シュウが、あっと口を開けながらハクトに顔を向けると、ハクトはこくりと頷く。
「兄上、聞こえましたか?」
「ああ。アルマに会えて嬉しいと、その炎から聞こえた」
アルマはにこりと微笑みながら瞳をパチリと開いた。アルマが炎に手を伸ばすと、炎は少し広がってアルマの手を包んだ。
「アルマ様!」
ダイチは驚いたが、アルマは冷静だった。
「大丈夫です、ダイチ」
まるで握手をしているかのように、アルマは炎と手をつないでいた。しばらくすると炎はアルマの手から離れたが、アルマの手に火傷の跡などは一切なかった。アルマはその手を胸に当てると、大きく息を吸った。
「どうされましたか?」
シュウが尋ねると、アルマは涙で潤んだ瞳をシュウに向けた。
「父さまや母さまやじっちゃんに、会えた気がして……」
そしてポロポロと涙を流しながら、アルマはにこりと笑った。
「じ……実は……」
と、ダイチが額にかいた汗を手で拭った。
「実は、先代から託された書簡があるのです。アルマ様が成人を迎えられたら、あるいは、お渡ししても良いと私が判断したら、その時にお渡しするように、と」
そう言うと、ダイチは再び平身低頭となった。
「ダイチ……一体どうしたのですか?」
「私は自分を恥じているのでございます。ずっとこれまで半信半疑でいたことを。炎など単なる伝説だと、祈りなど単なる儀式だと、心のどこかで軽んじていたのでございます。私は本当に、情けない男でございます」
そう言うと、ダイチは立ち上がって隣の部屋へと向かった。隣は、アルマがいつも祈祷している部屋だ。ダイチが部屋の中央の床板の一部を何度か拳で叩くと、短い床板が一枚跳ね上がった。ダイチはその床板を横に置くと、床下に腕を伸ばして筒を取り出した。
「そんな所に?」
アルマが目を丸くしている。そしてアルマは、大事そうに筒を抱えて戻ってきたダイチから、それを受け取った。
「これを、じっちゃ……お祖父様が?」
「はい」
「でも、私はまだ成人していません」
「いいえ。今がお渡しすべき時だと判断いたしました」
アルマは戸惑った様子で書簡の入った筒を眺めている。
「兄上、僕たちは遠慮しておいた方が良いかと」
剣を鞘におさめながらシュウが言うと、ハクトは「そうだな」と頷いた。
「お待ち下さい。お二人にも、ぜひ一緒に見ていただきたく存じます」
「いや、しかしこの書簡は部外者が見てもよいものではないだろう?」
「いいえ。お二方は部外者などではありません。聖剣に認められ、闇の炎に拠り所とされた方々ですから」
「ではやはり、これは闇の炎なのですか?」
シュウが尋ねると、ダイチとアルマが口を揃えて言った。
「はい、間違いなく」




