第368話 ヒヤヒヤ
今日だけは農作業を早めに切り上げさせてもらい、リビングでクリスさんと話をすることにした。
クリスさんの部下の方に部屋の一室を貸してから、私はテーブルの上に預かっているベルベットさんとローゼさんの漫画を置いた。
「これが手紙にあった例の漫画ね? ここで読ませてもらったものと大きく違うのは、本当にこの世界で描かれた作品だからってこと?」
「そういうことです。読みやすいように本にする技術がありませんので、クリスさんにはこの原稿を本にすることと、大量生産の手伝いをお願いしたいと思っています」
「伝手はあるから、もちろんやらせてもらうわ。……ただ、漫画のクオリティ次第ではあるけれど。クオリティが低かったり、そもそも面白くなければこの話は引き受けられない。それは分かってくれるかしら?」
「もちろんです。読んでみて、判断していただければと思っています」
その覚悟は当然してきている。
お金にならないものに大金や人手を注ぎ込めないことはよく分かっているし、クリスさんの判断次第では、地道に私がやっていくことになるだろう。
「分かってくれているなら良かった。それじゃ、さっそく読んでもいいかしら?」
「もちろんです。ぜひ読んでみてください」
クリスさんはテーブルの上に置かれた漫画を手に取り、ゆっくりと読み始めた。
だが次第にページをめくるスピードが速くなり、最後の方は本当に読めているのか心配になるほど。
そして最後の1ページをめくり終えると、大きく息を吐いた。
表情からは感想を読み取れず、次に発せられる一言に全神経を集中させる。
「――面白い! これを描ける人がこの世界にいるなんて信じられないわ。佐藤さんが育てたの?」
「いえ、趣味の一環として描いていて、自力でここまで上達したんだと思います」
「自力でここまで仕上げたの? ……凄まじい才能ね」
「はい、私もそう思います。それでですが……お返事はどうでしょうか? 手伝っていただけますか?」
「もちろん。私の想像をはるかに超えるクオリティだったわ」
ようやくホッと一息つけた。
私が描いた漫画ではないけど、面白いと思ってもらえて本当に嬉しい。
「ホッとしました。理解したような態度を見せていましたが、内心は気が気ではなかったので」
「自信がなさそうにも見えたから、もっとクオリティの低いものが出てくると思っていたわ。それよりも、早く販売までこぎつけたいわね。作者は今ここにいるの?」
「いえ、ここでは暮らしておらず、つい先日帰ってしまったんです」
「会いたかったから残念ね。ちなみに、作者の素性は教えてもらえるの?」
「はい、許可をもらっています。1人はローゼさんといって、エルフの国に住むハイエルフの方です」
私がローゼさんのことを伝えると、クリスさんは目を見開いて固まった。
この反応からして、ローゼさんのことを知っているのだろうか?
「ハイエルフのローゼ? もしかして、次期王女の方?」
「はい、そうだと思います。次期王女かは分かりませんが、さすがはクリスさんですね。エルフの国のこともご存じなんですか?」
「当たり前じゃない。ハイエルフのローゼといえば、歴代のハイエルフの中でも随一の才能を持つと言われている人物よ?」
「歴代……? そんなにすごい方なんですか?」
「なんで佐藤さんが知らないのよ。ローゼが誕生して以来、各国がエルフの復権を警戒するほどなのに」
凄い方だとは思っていたけど、まさかそこまでとは知らなかった。
シーラさんからも聞いたことがなかったし、引きこもり気味の読書好きという印象しかなかった。
「付き合いは長いですが、全く知りませんでした」
「まぁローゼも、普通に接してくれるから佐藤さんと仲良くしているのかもね。でも……まさかあのローゼが作者だとは思わなかったわ」
「そのローゼさんは作画と背景を担当していまして、メインの作画はベルベットさんが担当しています。ベルベットさんには一度会ったことがあると思うのですが、覚えていますか?」
「もちろん覚えているわよ。この国の王女様よね? ハイエルフのローゼに王女のベルベット。……とんでもない人たちがこの漫画を描いているのね」
改めてページをめくりながら、そう呟いたクリスさん。
確かにとんでもない2人ではあるけれど、ある程度の環境が整っていたからこそ、漫画を描くことができたともいえる。
本を読む文化すらほとんどなく、絵を描いたことがある人も少ない。
漫画を描く時間を取れる人も限られているだろうし、分析してみれば、彼女たちが描くことになったのも必然だったのかもしれない。
もちろん、才能があったことが最大の要因ではあるんだけどね。
「はい。ですので、漫画の制作ペースはそこまで早くないと思います」
「それは残念。でも、ここまで描けているなら十分よ。ひとまず商品にはできる。ちなみに、どれくらいのペースで描いているの?」
「正確には分かりませんが、2ヵ月で1話くらいのペースだと思います」
「ん? それって遅いのかしら?」
「多分遅い方だと思うんですが……早いんですかね?」
「私は相当早いと思ってしまったけど、まぁ早いなら早いで嬉しいわ」
日本では週刊連載が当たり前のようになっている。
もちろん月刊もあるけど、週刊連載がメジャーなこともあって、月刊だと世間的には“遅い方”という認識が強いと思う。
だから、2ヵ月で1話は遅いと伝えたつもりだったけど、漫画文化のないこの世界では早いと感じるのが普通なのだろう。
とりあえず商品化できそうだし、この様子ならクリスさんもすぐに動いてくれそうで良かった。





