第321話 貴重な経験
雑談が盛り上がり、靴を直してもらっていることを若干忘れかけたタイミングで、ヴェレスさんが久しぶりに声を出した。
「ようやく終わりました。意外とかかってしまいましたね」
「本当ですか? ありがとうございます」
私は直してもらった靴を確認する。
汚れは残っているものの、驚くことにボロボロだった部分は完全に修復されていた。
「おおー! 本当に直っています。すごいですね」
「これくらいなら簡単に直せますよ。ただ、かなり特殊な素材ですね」
「ええ、異世界のものなので。ヴェレスさんは異世界人とは会ったことがありませんか?」
「あなたたちは異世界から来た人間だったのですか。道理で違和感があったわけですね。長いこと生きていますが、異世界人と出会ったのは初めてですよ」
長生きしているというヴェレスさんですら、私たち以外には異世界人と会ったことがないのか。
昔の本や伝記などには登場するという話をベルベットさんから聞いたし、過去を遡ればたくさんいてもおかしくないとは思っていたんだけど。
「へー! やっぱり異世界から来た人って珍しいんだ!」
「噂では聞いたことがありますが、希少種ですね。あなたたちとは仲良くしておきたいので、また何かあればいつでも呼んでください」
「はい。また頼みたいことができたら呼び出させていただきます。ここに来ればいつでも呼び出せるって認識で大丈夫でしょうか?」
「ええ。呼び出されないときは他で召喚されています。少しお待ち頂ければ、呼び出せると思いますので。それから1つ注意事項なのですが……夜に呼び出すのは緊急時以外は控えてください」
「堕天使なのに、夜に呼び出せないのか?」
「あなた方の堕天使のイメージは知りませんが、私は日中に活動していて、夜は寝ています」
意外と人間に近い生活をしていることに驚きつつも、日中に活動しているというのはこちらとしても好都合。
まあ、ここまで距離があるし、本当に頼みたいことがない限りは来ないと思うけどね。
「堕天使の生活が気になる! というか、帰る時はどうするの? また魔力を流さないといけなかったりする?」
「いいえ。このまま勝手に帰らせていただきます。それでは、もう用がなければ帰らせていただきますね」
「ヴェレスさん、ありがとうございました。また何かあった時はよろしくお願いします」
私のお礼に対し、軽く手を挙げて答えてから、渡したお菓子を持って魔法陣へと歩いていったヴェレスさん。
そして姿が消えると同時に、魔法陣の光も収まった。
なんというか、すごい体験だったなぁ。
魔法陣から現れたときに驚き、堕天使であり人を殺したことがあるという言葉に恐怖し、靴を直してもらって感謝する。
サレヴォ廃聖堂に来ていなければ、絶対に味わえなかった体験だ。
「とんでもなく悪いやつだと思ってたけど、意外にいい堕天使だったね!」
「人を殺したことがあると聞いたときには、一戦交えることを覚悟したからな」
「佐藤さんがすごすぎましたね。よくヴェレスさんに普通に話しかけましたね」
「ええ、悪い方には見えなかったので。結果的に良好な関係を築くことができて良かったです」
堕天使であり、依頼次第では何でもやるというスタンスは怖くもあるが、良好な関係を築けたのはプラスだと思う。
「最後に良い体験ができたぜ! 廃聖堂に危険な魔物が住み着いているって話だったけど、ヴェレスのことだったのかな?」
「そうじゃないの? 召喚されたときは魔物かと思ったし!」
「とりあえず、これで廃聖堂の全部屋を見終えたし、ジレットの街に帰るとしよう」
地下室から上の部屋へと戻り、しっかりと元の状態に戻しておく。
ヴェレスさんを悪用する人が現れないように、隠しておいた方がいいのは間違いない。
「短かったけど良い思い出が作れた。ただ、この神殿を作っていた団体が何をしていたのかは気になるな」
「ヴェレスを呼び出す魔法陣を地下に描いていたってことだもんね! もう廃れているから考えたところで仕方がないけど、どんな団体だったのかは気になるかも!」
帰りの馬車の中では、サレヴォ神殿を造った人たちについての議論が繰り広げられていた。
なんというか、いい映画を見終えた後に感想を言い合う感じに似ている。
みんなは、サレヴォ神殿を造った団体がヴェレスさんの魔法陣も描き、邪魔な人たちをヴェレスさんに消してもらっていた、という方向で盛り上がっていた。
ただ、私の考えは少しだけ違う。
地下の隠し祭壇は、サレヴォ神殿が造られた時に作られたものだろうけど、魔法陣は廃神殿となってから描かれたものなのではないかと思っている。
食料と引き換えに頼みを聞くというヴェレスさんと、祭壇に置かれていた腐りきった食料らしきものとの間に関連はある。
だけど、もしそれがヴェレスさんに渡す食料だったとしたら、あの場に残っていたのはおかしい。
あの腐りきっていた食料は、神様へのお供え物として捧げられていたものと考えるのが正しいはず。
それらのことから、神殿が廃れた後にあの地下の祭壇を見つけた誰かが、魔法陣を描いてヴェレスさんを呼び出す部屋にしていたと考える方が自然だ。
みんなの話を聞きながら私も考察をしていたけど、結局はヴェレスさんに聞けば解決すること。
最後に召喚されたのは昔だと言っていたし、今は使われていないことが確定しているから、色々な心配がいらないのも大きい。
祭壇についての話し合いをしているうちに、あっという間にジレットの街に到着。
私たちはジレットの街で一泊してから、翌朝に王都へと帰ったのだった。