第320話 堕天使
私がヴェレスさんに見惚れている中、蓮さんがさらに踏み込んだ質問をした。
「関係ない質問かもしれないが、冒した禁忌っていうのはなんだ? 堕天使っていうぐらいだし、悪いやつなのか?」
「随分と難しい質問をしますね。あなたが思う“悪いやつ”も、その悪いやつ自身は自分を悪だと認識していないーーむしろ、正義だと思っている方が大半だと思いますよ。ふふふ、正義というのは、それぞれにあるものですからね」
「変な御託はいらないから! 悪いやつなのか良いやつなのか答えてよ!」
「あなたたちから見たら、悪いやつだと思いますよ。私が冒した禁忌というのは、同族殺しですからね」
「ということは、他の天使を殺したってことか!?」
「ええ。堕天使になってからは、いろいろなものを殺しました」
平然と言い放ったヴェレスさんの一言で、一瞬にして場の空気が張り詰める。
ただの廃墟見学のつもりだったけど、とんでもない展開になってきた。
「それは人間もか?」
「ええ、もちろん。かなり昔のことになりますが、ここで私を呼んだ者の依頼で殺しましたね。……おや、随分と怖い顔ですね。やはり人間も同族には強い愛を感じているのですか?」
「愛かは分からないけど、いい気はしないな」
「でも、あなた方も魔物を倒していますよね? 種族の違う私にとっては同じこと。それに、嬉々として殺すような快楽殺人ではありません。あくまでも依頼を受けて殺したまでです」
もし話が本当なら、神殿として機能していた頃にここでヴェレスさんを召喚する儀式が行われ、供え物と引き換えにさまざまな依頼をしていた、ということになる。
「魔物を殺しているのは襲ってきたからだよ! 正当防衛!」
「私も依頼されたからです。正当防衛――ではありませんが、理由があってのことです。それに、人を殺してほしいという依頼をしてきたのは、あなた方と同じ人間でしたよ」
人並み以上に知能が高く、敵意を見せないヴェレスさんに、蓮さんたちもどう接すればいいのか分からない様子だ。
人を殺したと聞いて私ももちろんいい気はしないけど、ここで敵対しても何も生まれない。
「依頼されて殺したとのことでしたが、私たちもヴェレスさんに依頼することはできるんですか?」
「ええ、もちろん。お供え物として食料を頂ければ、その量や質に応じて依頼を受けます。……ふふ、何も知らずに私を召喚した存在は、あなた方が初めてですよ」
そう言いながら、ヴェレスさんは楽しそうに笑った。
ここまでをまとめると、この祭壇はヴェレスさんを呼び出すための魔方陣。
召喚されたヴェレスさんは堕天使で、人を殺したこともある。基本的になんでも引き受けてくれるが、依頼を受けるかどうかは食糧の質や量によって決まる。
言い方からすると、ヴェレスさんはこの場所だけでなく、いろいろなところに姿を現しているようだ。
また、「生物」とも言っていたことから、人間以外からの依頼も受けている可能性が高い。
「質問に答えて頂き、ありがとうございました。私も早速依頼してみたいんですが、よろしいですか?」
「ええ、もちろん。相応の食料を頂けるのであれば、何でもいたしますよ」
「えっ!? 佐藤、この堕天使に依頼するって正気!?」
「はい。怖い方ではありますが、悪い方ではなさそうですので。それに、勝手に呼び出しておいて何もせずに帰すというのは可哀想じゃないですか?」
「ふふ、ご配慮ありがとうございます」
「まぁ佐藤さんがいいって言うなら止めないけどよ! もしかして、人殺しの依頼をするわけじゃ……」
「しません! 依頼はなんでもいいんですもんね?」
「ええ、私にできることであれば」
さて、何を依頼しようかな。
パッと思いついたのは、靴の修理だ。
転移してきたときから履いている靴をずっと使っているけど、さすがにボロボロになってきている。
この世界の靴は嫌だし、買うとなるとNP消費がもったいない。
異世界の食品を渡して靴を直してもらえるなら、買うよりも安上がりで済む。
「私の靴の修復ってできますか? 可能ならお願いしたいんですけど……」
「靴の修復? できますが……。ふふふ、随分とおかしなことを頼むのですね」
「本当に変!」
蓮さんたちは戦闘職ということもあり、靴はこの世界仕様の丈夫なものに履き替えている。
全員から笑われてしまったけど、本当に直してもらいたいのだから仕方がない。
私はタブレットを操作し、適当にお菓子をいくつか購入してヴェレスさんに手渡した。
この量でやってくれるか心配だったけど、ヴェレスさんはお菓子を受け取ると、私の靴を手に取り、魔法のような力で包み込んだ。
「1時間ほどお待ちください。集中しますので声はかけないでくださいね」
「結構時間かかるんだ!」
「いや、靴を1時間で直せるなら早いんじゃないか?」
「確かに、それはそうかも!」
ヴェレスさんが靴を直している間、私たちは雑談をして待つことにした。
祭壇の上で靴を修復している堕天使を横目に、なんてことのない会話をする私たち。
構図としてはおかしすぎるけど、あまり深くは考えないようにして、1時間経つのを待ったのだった。