果たせなかった事、起きてしまった惨劇
次の日も先ずは見回りから始める。パターンを覚えられない様に昨日とは逆の順番で回ったりして。どこへ顔を出しても露骨に迷惑そうにされるので傷付くが、トラブルへの遭遇率は減った気がするので良しとする。
そしていよいよ、計画を実行する為に食糧庫へ。今日はネビルブも連れている。俺が事に至るいきさつを証言してもらう為だ。
俺が到着した時、やはりチャーリーは神経衰弱の研究中だった。俺が来たのに気付くと会釈して来る。最初に比べ、随分愛想良くなったものだ。
ふと気になったのは、彼が首から下げているペンダント。簡素極まる彼の出立ちの中に有って、如何にも唐突だった。
「そんな物、前から付けていたか?」
「え、ああ、これですか。昨日の夜、突然グレムリー閣下が持って来られて、"その日"の為に付けとけと言われたんです。」
「グレムリーが?」
かなり訝しむ俺に、ネビルブが情報をくれる。
「そのペンダントに付いた赤い宝石の様な石は"魔結晶"という魔力の因子そのものを結晶化させた物でクエ。特定の魔法を封じておく事が出来るので、副将軍が持って来たのなら何か体に影響を与える魔法が込められているのでしょうクワな。」
「体に影響? 太らせよう…とかか?」
「あ〜あ、有り得ますな。この人間、貧相で不味そうですクワらな。」
「な…何だか失礼だなこのカラス。」
まあ、グレムリーのやりそうな事だとは思うが、とりあえず今は保留だ。
「それはそうと、神経衰弱が随分と気に入っている様だな。」
俺の問い掛けにチャーリーは少し笑顔を見せる。
「このゲームは面白いですね。一人で大分研究しました。もうかなりコツを掴みましたよ。」
「はっはっは…、神経衰弱は俺も最も得意とするゲームだ。多少練習したところでまだまだ俺の相手にはならないだろうがな」
「い…いえいえ、私とて、もうかなり上達したと思いますぞ。将軍閣下とだって充分いい勝負が出来ると存じますよ!」
敢えて煽った俺に、チャーリーが乗って来た。しめしめである。
「ほう…、なら、勝負してみるか?」
「の…望むところです!」
「ようっし、いい度胸だ。」
少しプレッシャーを掛けたが、もう捨てるものの無いチャーリーは引っ込まない。よしよし、さあ、此処からが本題だ。
「ではこうしよう。今から俺と神経衰弱を連続10回戦だ。10回の内、もし1回でもお前が俺に勝つ事が出来たならば…そうだなぁ…お前を町に返してやろう。」
俺の提案に一瞬ポカンとなるチャーリー、しかしやがてにわかに色めき立つ。
「それは…、一度町に帰って、娘に会って来ていいという事ですか?」
声が震えて裏返っている。
「いいや、もうずっと町に居ていいという事だ。貢ぎ物の状態から解放してやろう。」
「ほ…本当でごじゃりまするか?」
チャーリーの狼狽振りが更に増す。
「本当だとも。代わりの貢ぎ物を要求する事もしない。まあ、勝てればの話だ、有り得んがな。そして案の定お前が全敗したら、大口を叩いた罰として、お前は今夜の俺のディナーだ。」
「なな…なるほど。しかし…しかしこれは大きなチャンス、全てを投げ打ってでも賭ける価値が有る。勝って見せましょう! 何としても掴み取ってやりますとも!! 」
「ふはははは…、いいだろう、それでは運命の勝負の開始だ!」
さて実際のところ、俺にはこのゲームに絶対勝てる自信が有った。脳細胞の出来が違うからだろうか、一度見た物を完璧に記憶出来てしまうのだ。神経衰弱においてこれはもう無敵だ。つまり勝負は全て俺の手の平の上、手心も加え放題だ。
前半の5回くらいは多少手を抜いても俺の圧勝。チャーリーの顔に焦りの色が見える。6回、7回と段々手を抜く度合いを上げ、8回、9回とやや名勝負を演出した。
そして運命の10回戦目、チャーリーは極限まで集中力を上げ、目などは血走ってさえいる。一度めくられたカードを良く覚え、確実にペアを作って行く。が、それでも俺の手の平の上から逃れる程では無く、俺はきっちり予定していた通りの枚数のカードを得、残りを全てチャーリーに取らせる様に仕向けた。そしてゲームは終わり、運命の獲得枚数のカウント。俺は24枚をカウントして終了、その時点で持ち札をあと4枚残していたチャーリーの勝利が確定した。
「…やった? 勝った? 私の…勝ち⁈……」
手に残った4枚のカードを見つめながら、未だ半信半疑のチャーリー。
「ちぃっ! あとちょっとだったのに忌々しい!」
床を殴って不機嫌を装う俺。
「お前の勝ちだ。まあ仕方ない、約束だ。」
俺は檻の錠前を掴み力を込める。ものは試しぐらいのつもりだったが、錠前はあっさり引き千切れた。それでやっとチャーリーは自分が一世一代の賭けに勝利した事を実感した様だ。
「やった…、やっっったああああっ!! 」
大きく万歳をし、檻の天井に手をしたたかぶつけるが気にしない。涙腺は絶賛崩壊中だ。
「やったぞブラン! 父さんやったぞおおぉ!」
ブランというのが娘さんの名かなとか考えながら、檻の扉を開けてやる。
「ああ…、有難う、有難う…。」
座った状態で集中し過ぎていた為か、少しよたよたしながらチャーリーが檻の扉をくぐる…その瞬間!
「あっ!」
ネビルブが異変を察知する。直後にチャーリーの下げたペンダントの石が光り出す。赤く揺らぐ光は、やがて明滅する様に…。何だ? 俺は何が起こったか分からない。チャーリーは全く気付かずに小躍りしている。だが次に起こったのは…。
「ん?…ぐ…うぐぐぐ!…」
チャーリーが自分の体の異変に気付く。それは傍目にも分かる異変。そして、俺はこの異変を見た事が有る! チャーリーの腹が見る見る膨れて行くのだ。これ…まずいよね…いや、まずいに決まってんじゃん! 俺は慌ててチャーリーの首から既に光を失ったペンダントを引き千切る。が、魔法の進行は止まらない!
「それじゃ駄目クエ! その魔結晶は既に仕込まれた魔法を放出し終わってるクエ。外しても壊してももう意味無いクエ。魔法で打ち消さなくては!! 」
叫ぶネビルブ。そんな事言われたって、どうやればいいんだよ! 俺はオロオロするばかり。そうしている間にも膨らみ続けるチャーリー。
「ははは…やっぱり嘘だったんだ、出してくれる気なんか無かったんですね…。」
既に倍程に膨れ上がったチャーリーが俺に怨嗟のこもった目を向ける。だが…為す術が無い!
「ああ、ブラン…、チキショウ!! せっかく諦めてたのに、期待を持たせやがって、弄びやがってェ! 恨むぞぉっ、絶対許さねえっ! 地獄から呪い続けてやるうぅぼあぁッ…」
チャーリーが、爆裂した。最後は風船の様になって、弾けた。血が、肉片が、チャーリーだったものが、四散し、一面に飛び散り、部屋中を赤く染めた。その只中で血と肉の雨嵐を頭から浴び、俺は茫然自失で立ち尽くす。チャーリーの最後の顔が頭から離れない。あの、悔しさ、悲しさ、自嘲、激しい憎しみ、あらゆる負の感情が入り混じったあの目を、あの表情を、俺は一生忘れる事は出来ないだろう。声も無く、動く事も出来ないでいる俺の周りを、死の静寂が包む。
しかしそれは一瞬で終わった。
「ぶぶぶ…ぶわあっはっはっは…ひいっひっひっ…」
突然静まり返った室内に下卑た馬鹿笑いが響き渡った。食糧庫出入り口の陰から聞こえて来るその笑い声には聞き覚えが有る。
「だっはっはっは…ひいひい…何であんたまともに" お釣り"を貰っちまってるんだよ!ひいっひっひ…」
笑いながら戸を開けて入って来たのは果たしてグレムリーだった。
「あんたなら魔法が発動したと分かった時点で逃げられただろうに、そんなにその貧相な人間の肉が欲しかったかい? うひいっひっひっひ…」
笑い続けながら、こちらへとやって来る。
「ひゃっひゃっひゃっ…、大体あんたがズルしようとするからだぜ。そいつを出してやるとか騙して連れ出して、独り占めでいただく気だったんだろ。昨日料理長からの報告を聞いてピンと来たぜ、うっひっひっひ…。だからちょっと仕掛けしといたんだが、こんなに見事にハマるとは、…だ〜っひゃっひゃっひゃっ…」
「檻の入り口の上の、扉を閉めると見えなくなる所にルーン文字が書かれてたクエ。その真下を通るとペンダントの魔法が発動する仕掛けだったクエ。」
ネビルブの状況説明。
「そうそう、うまく考えたろ? ひっひっひ…、いやあしかしあの人間、いい感じの恨み節を残していたねぇ、間近で見てたあんたはあの男の悔しげな断末魔の泣きっ面まで堪能出来たんだろ、羨ましいねぇ、くっくっく…、それにしても何であんなくたびれたおっさんがそんなに食いたかったんだ? 今度もっと美味そうな女や子供を適当に理由付けて貰って来てやるよ。そうそう、あのおっさんの娘とか…」
グレムリーの鼻面のど真ん中に俺の拳がめり込んだのは丁度その時だった。今迄人なんか殴った事が無かった…殴ろうとした事は有ったがまともに当たった事が無かった俺の拳が、思った通りの場所にあまりにキレイにヒットし、自分で驚く。鼻の骨が砕ける感触の後、グレムリーの体が吹っ飛ぶ。2、3台の食糧棚を薙ぎ倒し、壁に激突してこれを崩壊させ、やっと止まる。
瞬間は自分を見失う程激昂した俺だったが、思った以上の大惨事に少し我に帰る。あちゃー、やっちゃった…。そんな感じだ。ひょっとして、死んじゃったかな? …まあ、死んではいなかった。崩れた壁の瓦礫の下から這い出て来るグレムリー。潰れた顔からダラダラと鼻血を流している、ドス黒い血。目が異様な光を帯びている。もう冗談でしたでは済まないだろう、済ます気も無い。
「…なんて事…、…しやぁがる…」
呻く様なグレムリーの低い声。
「何が…気に入らなかったか知らねえが…、これはねえんじゃないかい?」
ヨロヨロと立ち上がり、にじり寄って来る。
「最近やたらと街で俺の部下共の仕事を邪魔して回ってる様だが、主義でも変わったか? 今まで運営は俺に丸投げで好き勝手してたんだろうに。」
好き勝手はお前もだろう。
「ナニか、食材を無駄にしたのが気に入らねえってのか? そんなもんいくらでも追加で調達して来てやるってんだ!」
その辺の考え方とか…、やっぱりお前とは分かり合え無いよ。
「チキショウ、許さねえ、許さねえぞ、殺してやる…。」
グレムリーはある程度の距離まで寄って来たところで立ち止まった。緊張が走る。
「ぐへへぇ….知ってるんだぜ。てめえ、勇者と戦って来て以来、魔法器官が機能していないんだろう。使う事はおろか、感知する事さえも出来ない様じゃねえか。さっき返り血をまともに喰らってたのがその証拠だ。ゲヘヘヘ…、魔法の使えねえてめえなんざ、腕っ節だけのトロールと変わらねえ!! 」
グレムリーが手の平を俺にかざし、モゴモゴと何かを唱える。するとにわかに俺の腹の中が熱くなって来た。もう何度も見たやつだ、これがこいつの得意技らしい。まずい! 確かにこいつの言う通り、魔法への対処方法など知らない。このままでは俺もチャーリーの二の舞だ。腹も膨れて来たし、全身が熱くなり始めた。焦りが募る。とは言え、今度は未だ魔法は唱えている最中、完成はしていない。そして魔法を紡いでいる本人は目の前だ。俺は直ぐに動いた。ダッシュで奴との距離を詰め、パンチを繰り出す。さすがに今度は奴も警戒しており、スレスレでかわされる。しかし案の定魔法は中断され、俺の腹は元に戻っていく。やはり魔法の行使にはかなりの集中力を要する様だ。それでもグレムリーは再び俺から距離を取り、魔法を試みる。今度はこちらも直ぐに追いすがり、パンチを出し、避けられる、魔法は中断する。このルーティーンを何度か繰り返し、埒が開かないと思ったかグレムリーが怒鳴る。
「てめえら日和り見てんじゃねえっ! とっとと出て来て肉の壁になりやがれ!! 」
すると、部屋の外からグレムリーの取り巻きらしき大鬼共数人がゾロゾロと入って来る。先頭はバイロンなので、戦力としては…、まあ、お察しだ。バイロンなどは明らかに渋々である、気の毒に。参戦して来た奴等は俺とグレムリーの間にまばらに並び、ゾーンディフェンスを形成する。そして満を持してグレムリーは魔法の詠唱を始める。俺はサッカーもラグビーも学校の授業ぐらいでしかやった事は無いが、そういう感じの動きで、ペナルティ上等で止めに来るディフェンス共をパスして行く。士気も低けりゃ動きも鈍い大鬼共を抜くのは簡単で、たちまちゴールのグレムリーの元へ辿り着き、拳を繰り出す。多少なり手下共の守りを期待してしまっていたグレムリーは避けるのが遅れ、片方の角をへし折られる。
「ぐああっ!」
慌てて又距離を取り直すグレムリー。
「くそ、役に立たねえ! え〜いチキショウッ!…」
と、急に何やら身体のあちこちに痛みを覚える。怪我をした訳では無く、純粋に"痛み"だ、つねられた程度では有るが。かと思えばあちこちが冬場の静電気レベルの痺れを感じたり、スッと眠気に襲われたり。どうやらグレムリーが手早く放てる魔法を乱発している様だ。大したダメージでは無いが、割と鬱陶しい。グレムリー本人も嫌がらせにもならない効果に不満が爆発。
「てめえら、もっと固まって俺を守りやがれっ! ちったぁ役に立て!! 」
パワハラ上司に叱責されて、渋々グレムリーを中へ収める様にスクラムを組む手下達。そして改めて得意の必殺魔法を編み始めるグレムリー、これは一刻の猶予も無い。手下共を蹴散らして中身に肉薄する事も出来るが手間取りそうだし、ちょっと可哀想かなと思わなくも無い、暫しの逡巡、決断した俺は翼も使って大きくジャンプ、天井スレスレまで上がると、スクラムを飛び越え、ガラ空きのグレムリーの頭に向かって拳を振り下ろす。身をかわそうとするグレムリー、ああしかし、スクラムが邪魔でかわせない。俺の拳は俺自身が驚く程まともに奴の頭を捉えた。さっきの最初の一発は横に吹っ飛ぶ事で力を逃したが、今度は上から下。逃げ場のない力を丸々受け持った奴の頭は呆気なく粉砕、スイカ割りの様相を呈する。呆気無くも悲惨な幕切れ。
あちゃーっ! 魔法を止めるつもりが息の根を止めてしまった。自分のした事に自分でドン引きの俺、茫然とその場でホバリング。下では元々無かった戦意を完全に喪失した手下共が蜘蛛の子を散らす様に逃げて行く。俺もいたたまれずその場を後にする。すると今迄どこにいたのかネビルブが後を追って来るが、さすがのKYカラスも掛ける言葉が無い様だ。
そしてそのまま自室に帰った俺は、風呂を浴び、寝台に横になった。眠れる訳でも無く、一晩中思いを巡らす。2つの粉砕シーンが頭から離れない。今夜はネビルブに傍らに居てもらい、助言や情報を貰う。考えなくてはいけない事と考えたく無い事が多過ぎて、心が押し潰されそうだ。しかしもう動くしか無いのだ。事態はもう坂道を転がり落ち始めてしまった…。