兵士訓練場でひと暴れ
砦に戻ると、何やら閑散としている。そもそも働いているのが小間使いの魔法生物であるオークか、ハウスキーパーとして働く小鬼、ホブゴブリンくらいで、事務方の仕事部屋には誰もおらず、見張り台の当番が大欠伸しているのをたまに見掛けるくらいだ。国の運営が如何にいい加減に成されているかが丸分かりだ。
逆に振るわっていたのが兵士の訓練場だ。元々この砦の中で最も設備等が充実した施設で、元のエボニアムが特に武に力を入れていた事が伺えた。その近辺に近づくに連れ、活気に溢れた喧騒が大きくなって来る。
訓練場に入って行くと、入り口近くにいた者は俺に気付いて敬礼して来るが、ほとんどの者は訓練に夢中で気付かない様だ。訓練? 何か違和感が…。
訓練しているのは大半がオーガ等の大鬼族、そこに数は劣るが魔族が混じっている。そいつらが訓練と称して暴れているのだ。実戦的な訓練と言えば聞こえはいいが、どう見てもやり過ぎだ。何ヶ所か有る闘技台の上でスパーリング的なものが行なわれているが、実力拮抗の取り組みなんて所は無く、何処を見てもワンサイドゲーム、片方がもう片方を一方的にボコっているだけなのだ。やられている方は本当にボコボコで、血だらけで顔の形も変わってしまっている。ノリノリで攻めている方は寧ろ楽しげで、周りのギャラリーもゲラゲラ笑ったり煽ったり。何と醜悪な空間! 更に気付いたが、勝ってる奴と負けてる奴の獲物がまるで違う。前者が訓練にしては割と立派な剣を持たされていたのに対し、後者が持つのはただの木の棒、折れたり吹っ飛ばされたりして最早丸腰の者も居る。マッチングもおかしくて両者のガタイがそもそも違う。つまり全て出来レース、公開リンチに他ならない。
「随分一方的な試合いばかりだな。」
敢えて本質的な疑問を伏せて、単純な感想を傍らのネビルブにぶつけてみる。
「試合い…と言いますクワ、一種の見せしめですかな。あれは勝ってる方がグレムリー副将軍の子飼い共で、負けてる方は先日更迭されたジャコール元総務大臣の派閥の者達でクエ。大臣の失脚でその派閥の者達もすっかり力を無くしましたクワらな。今ではこうしてグレムリー一派の稽古台兼憂さ晴らし相手ですな。」
やっぱりそんな裏事情が有ったか。
「しかしこれじゃ訓練で死人が出るんじゃないか?」
「まあ鬼も魔族も頑丈ですクワらな。死ぬまでに至る事はほとんど無いかと。まあ何日か寝込んだり半身不随になったりする事位は有る様ですグワ。」
詳しく聞けば聞く程、俺の中で例の感情が頭をもたげて来る。
そんな俺の気持ちを逆撫でする様に、一際激しい喧騒が最奥から聞こえて来る。行って見ると目を覆う様な惨劇が繰り広げられている。そして狂った様に既に動く事も出来ない相手を打ち据えている大柄な鬼には見覚えが有った。て言うかさっき会ったばかりだ。
「よ〜う大将、珍しいな。」
別方向から呼び掛けられる、もちろんグレムリーだ。
「聞いたぜ、あんた何でもバイロンのおやつを横からかっさらったって言うじゃ無いかw。」
奴のいつもの気安い口調が今は殊更いやらしく感じられる。
「見なよバイロンの奴、気が立っちまって大荒れだ。相手の奴が可哀想だぜw。」
お前が言うか! 垂れ流され続ける奴の軽口にいよいよ苛立ちが募る。
そんな哀れな対戦相手は遂にその場に倒れ、ピクリとも動かなくなった。目は潰れ、歯は抜け落ち、手足はおかしな方向を向いている。ほぼ相手を捉える事の無かった木の棒がその手から転がり落ちる。
「でえ〜い手応えがねえ! 次イ、次の相手出て来いやァ!! 」
運び出される対戦相手(だった物?)に目もくれず、更に荒ぶるバイロン。あそこで木の棒を持たされて涙目で震えているのが次の対戦相手なのだろう。このままでは同じ悲劇が量産される。ちょっと責任も感じる。俺はつかつかと闘技台に向けて歩き出す。
「え、ちょ、大将⁈」
やや狼狽え気味なグレムリーをそこに残し、俺はバイロンの反対側から闘技台に上る。それまで訓練場内を満たしていた野次や煽り声がサーッと静まり、ざわつきに変わって行く。他の闘技台の対戦者さえ、試合いを止めてこちらを伺い見ている。
「あの…将軍、何を…?」
バイロンも一気に毒気を抜かれ、怪訝そうに呻く。
「なに、俺も訓練に参加させて貰おうと思ってな。勇者との戦闘で深傷を負ったばかりなんで、まあ、リハビリだ。」
「いや、それでも…、さ…さすがに…。」
腰が引けているバイロン。勝つと決まっている対戦以外やりたく無いってか? そうは行くか!
「なぁに、俺は魔法を使わない様にするし、武器もこれでいい。」
俺はその場に残されていたさっきの対戦相手の落とした木の棒を拾い上げる。魔法はそもそも使えないのだが内緒だ。
「いや…、しかし…」
と、そこで、未だ難色を示すバイロンに、何やらグレムリーが耳打ちする。
「分かりました、お相手しますぜ。」
未だ渋々では有るが、バイロンは剣を構え直す。何か悪巧みをしたのだろうが、敢えて気付かぬ振りでこちらも棒を構える。
「ぐらあぁ〜〜っ!! 」
バイロンが打ち込んで来た。俺はそれをスッと避けて見せる。真っ直ぐ振り下ろされて終わったと思われたその剣は、しかし突如軌道を変え横薙ぎに再度俺に迫る。警戒していた俺は何とかこれも避ける。だが更に奴はデカい身体を翻し、斜め上から振り下ろす第3撃を繰り出して来る。さすがにこれは予想出来ず紙一重となったが、辛うじて俺はこれもかわす。
渾身の3連撃を全てかわされて気が焦ったか、次はやや雑な打ち込み。俺は敢えてこれをギリギリ迄引きつけてからサッと身をかわす。勢い余って体勢を崩したバイロンの尻を棒で叩くと、奴はそのまま台から転げ落ちる。見物客を数人巻き込んで、中々の阿鼻叫喚だ。
実のところ俺はこの程度の勝負になるだろう事は最初から予想出来ていた。先に奴の戦い振りを見た時に、勇者の打ち込みと比べて随分ゆったりとした動きだと感じた。これなら苦も無く避けられるという確信があったのだ。最初の3連撃はフェイントも有って先の対戦より中々鋭かったが、それでも全然予想の範囲内だった。とにかくこの体の身体能力と動体視力は別格だ、と言う事を再確認した。
と、バイロンがやっと闘技台に戻って来た。大分殺気立っている。ま、怖くも無いけどな!
「ンぐお〜〜うっ!! 」
吠えながら又打ち込んで来るバイロン。あれ? そこで俺は異変に気付く。奴のスピードが大幅に上がり、俺の予想を超えて来たのだ。キレこそ劣るが、剣速は勇者に勝るとも劣らない。俺はさっき迄の余裕は何処へやら、身をかわすのがギリギリとなった。途中又あの3連撃が来たが、最初にこの技を見ていなかったら確実にフェイントにやられていただろう。本当にギリギリで、かなり不恰好に避ける事を余儀なくされる。バイロンもそれを察したのか、さっきの様にヤケにはならず、雑で無い攻撃を次々と繰り出して来る。たまに剣先を掠められたり服の裾を切られたり、とても横綱相撲とは行かなくなったぞ…等と少し焦ったのも束の間、バイロンの打ち込みが単調でこちらの目が慣れて来たのと、調子に乗ったバイロンの打ち込みが雑に戻って来た事で、段々と余裕が出来てきた。
そうすると分かって来たが、バイロンの動きが早くなった訳じゃ無くて、俺の方の反応速度が阻害されている様だ。周囲のヤジが、不自然に早口なのだ。これは… 弛緩の魔法か? バイロンには余裕は無さそうなので、恐らく外からの横槍だ。
俺はすっかり雑に打ち込んで来るバイロンの足をひょいと尻尾で引っ掛けた。するとバランスを崩した奴さんは、狙い通りの方向へ突っ込んで行く。果たしてそこにはグレムリーが居たのだが、別の事に気を取られていた奴は一瞬逃げ遅れる。倒れ込んで来たバイロンをギリギリで避けるが、バイロンの持つ剣の先が奴の頬を掠める。
「ぐあっ!」
呻きながら頬を抑えるグレムリー。その途端、全てのスピードが元に戻った。やっぱりあいつの仕業だったのか。
「お前えェ…なあぁにやってやがんだあぁ!! 」
激昂するグレムリー、普段の相手を小馬鹿にした様なヘラヘラした態度は何処へやらだ。頬を抑えたのとは反対の手をバイロンにかざす。すると突然バイロンの元々出た腹が余計に膨らみ出す。
「おわわっ、申し訳有りません、どうかお許しをォ!! 」
慌てふためいてグレムリーに土下座のバイロン。
「ふんっ!」
謝罪を受け、かざした手を引っ込めるグレムリー。するとバイロンの腹は萎み、安堵の表情のバイロン。
「グレムリー副将軍はああいう相手の身体機能に影響を与える魔法が得意でクエ。今のはバイロンの体内の水分を沸騰させたんてすな。腹の中の水が沸騰しただけで済んだ様ですグワ、あのまま術をかけられ続ければ体液まで沸騰して…ポオンッ!!…でクエ。」
隙を見て寄って来たネビルブが解説を加えてくれる。成程、俺のスピードが遅くなったのも、その系統の術を掛けられたせいだった訳だ。
その後は番狂わせは無し。グレムリーに尻を蹴り上げられて闘技台に戻って来たバイロンは、すっかり雑に戻った全力の打ち込みをへとへとになるまで続けた挙句、更に3回程見物客の只中に転がり込んで、最後は延びてしまった。
その頃にはもうグレムリーの姿は無く、訓練場全体が白けたムードに包まれ、他の闘技台は全て開店休業。観客もどんどん退出しており、来た時の盛況が嘘の様な閑散ぶりだ。グレムリー一派が如何に砦内を牛耳っているかと、俺の人望の無さを再確認だ。
「お疲れ様でクエ。」
頭を悩ませる俺と対照的に何やら楽し気なネビルブを引き連れ、俺は訓練場を後にする。