光明神の葛藤
「みんな、あともう一息だ! 決めるぞ!!」
「おおーっ!!」
戦場に立つ数人の戦士達、リーダーらしき男が鼓舞する声に、他の者達が答える。彼等の対する先にはやや大柄な人影…いや、人では無い。禍々しい気を纏ったそれは、明らかに魔の者、それも相当位の高い者で有る事が伺える。
存在自体が災害級の脅威であろうそれは、今はしかし何らかの見えざる力によりその行動を大きく制限されている。ほとんどの特殊能力を封じられ、ほぼその場を動く事さえ出来ないでいる様だ。
もうあと一撃最大級の攻撃が入れば片が付くかも知れない、そんな期待を込めての先のリーダーの呼び掛けなのだろう。但しその一撃を繰り出すのが容易な事では無いのも明らかだ。前衛の戦士達、特にリーダーは、超自然的な加護を身に纏ってはいるもののほぼ満身創痍、ついさっき治ったばかりの様な大怪我の跡が身体中に有り、武器も装備もズタボロだ。彼以外の戦士達も似た様な状態で、立っているのもやっとな様子。後衛はと言えば何人かは今も必死の形相で呪文を練っている。恐らく魔人の能力を封じる役を担っているのだろう。抵抗を試みる魔人とのせめぎ合いはかなりギリギリな様子で、魔術師(?)は泡でも吹かんばかりの苦悶の表情を浮かべながら封じ込めを維持しているが、明らかにそう長くは保たないだろう。
そんな中、僧侶らしき男も忙しく働いている。次から次へ休む事無く仲間達に彼の信奉する神の祝福を与えて行く。すると有る者は生気を取り戻し、有る者は重篤な負傷から回復し、有る者は祝福そのものをその身に纏った。そして、高位の僧侶である彼にはもう一つ重要な役目が有った。
「ホイットニー!」
リーダー氏が僧侶に呼び掛ける。
「ホイットニー、神は…神は何と仰せだ? 奴は、エボニアムは本当にこれで倒せるのか?! 」
「どうした勇者レダン? 迷っておるのか、お前らしくも無い。今迄どんな窮状も剣ひとつで切り拓いて来たでは無いか?!」
「臆病に駆られて言っている訳じゃ無いんだ、追い詰めている手応えは有る。だが気になるんだ、奴のあの、余裕に満ちた様な顔が!!」
奴というのが彼等が今相対しているエボニアムと呼ばれた魔人の事だろう。リーダー…勇者レダンが言う通り、かなり追い詰められて見える。その能力の大半を封じられ、ほとんど身動きも取れない様で、ダメージも蓄積されている。しかし顔は…、その表情は恐れも焦りもたたえてはおらず、笑みさえ浮かべているのである。
勇者の懸念に僧侶…ホイットニーも同意し、彼のもう一つの役割、彼等を見守り続けている神との意思疎通を試みる。
(我等をお導き下さる神よ、光明神アイボリオよ、お教え下さい。我々はこの怪物を、魔王の側近たる闇の魔神エボニアムを、本当にこのまま滅ぼす事が可能なのでしょうか。)
虚空に向かい、ホイットニーが念じる。彼の徳の高さ故、加えてこの世界の神が現世と近しい存在である為も有り、その問い掛けに対する神からの回答は意外な程明瞭、明確だ。そしてそれは彼等が期待していたものでは無かった。
(このまま…では難しいだろう。)
(そ…それはどういう事なのでしょうか?!)
ホイットニーの表情が強張る。
(奴の肉体を滅ぼす事は出来るだろう、一旦はな。)
(肉体…を、一旦は…ですか?)
(あれは、エボニアムはただの魔物では無い、神なのだ。光の属性を持つ我と対をなす闇の眷属、不和と争いと理不尽を体現する魔神だ。その本質は我と同じ、観念や精神体に近いものだ。今そなた等が相対しているのはその悪意を現世に体現する為の肉体という装置に過ぎない。神の力の大半をも使って練り上げられたこの装置は唯一無二にして不滅。例えあの肉体を物理的に滅ぼせたとしてもそれは奴の死では無い。不滅の性質を持つその肉体は直ぐに元通り復活してしまうだろう。魔法による数々の弛緩の効果も全て無かった事となり、完全復活だ。)
神の言葉が進むに連れホイットニーの顔からは血の気が引いて行き、今や蒼白だ。
(どうにか…ならないのでしょうか?)
縋る様な念を送るホイットニー。その様子を仲間達が不安気に伺う。
ここへ来てそれまで明快だった神の声が一旦途切れる。そして…、
(…そなた達はこのまま精一杯エボニアムの肉体を滅ぼしにかかるが良い)
(しかし、それでは奴が完全復活を遂げてしまうのでは?)
(奴の"不滅"については…、我が対策しよう。)
(何と! アイボリオ様御自らご助力をいただけると?! )
少しだけ血の気の戻ったホイットニー。
(エボニアムを退治ることは我にとっても悲願、協力は惜しまん。)
(おお、感謝いたします!! )
かなり顔色の戻ったホイットニーが仲間に告げる。
「大丈夫、もう一息だ。我々は必ず勝利する。我々には神のご加護が有るぞ!!」
勇者を始め仲間達もこの言葉に奮起、決定打を放つべく準備に掛かる。
その一方神の方は逡巡していた。ああは言ったものの…と言ったところだろうか。
(エボニアムの肉体はそもそも魂の無い器だ。神で有るエボニアムの本体、その精神体がこれと直接繋がってその意思を転写しているのだ。だから例え肉体を破壊したとしても精神体である本体を滅ぼすことまでは出来ない。ただ、肉体が余りにも大きく破壊された時、肉体と精神体の繋がりが途切れる可能性が有る。その刹那に、肉体の方を乗っ取ってしまう事が出来れば或いは…。)
魔神の完全復活を防ぐ方法を模索する光明神。そうする間にいよいよ勇者達のアタックが開始される。人間離れした剣の技や、現実離れした魔法の攻撃が次々と魔神に叩き込まれる。岩の様な魔神の肉体は派手な攻撃に晒されながらよく耐えていたが、それでも攻撃のラッシュが止んだ後には肉片と化していた。
「やった…のか?」
消耗し切った勇者レダン、膝を着きながら、息も絶え絶えに呟く、祈るかの様に。
ホイットニーが皆を回復しようとして回っているが、ほとんど効果は得られない、彼もガス欠なのかも知れない。
「おい、あ…あれ。」
長身の身体をほぼ横たえたままのサブの戦士が指差す先に、彼等にとって絶望的な光景が有った。何かが見る見る再生して来ている。何者かの頭部の形を取りつつあるそれには特徴的な角が生えているのが分かる。明らかにたった今四散したはずの魔神エボニアムの頭部である。
「おお…、アイボリオ様、我が神よ、ああ何故…⁈」
縋る様なうめきを漏らすホイットニー。
その縋られた方は、今正に葛藤の真っ最中で有る。
(今だ、正しく今、エボニアムの肉体と精神体の繋がりは途切れている。しかも奴め、勇者達が消耗し切っているのをいい事に、復活時の苦痛を味わうのが嫌で、繋がるのを未だ保留しておる。舐めプというやつだ。今あの肉体を乗っ取ってしまえば…。だが…どうやって?
我が直接乗っ取るのは難しい、波長が違い過ぎるのだ。これでは易々と乗っ取り返されてしまうだろう。別の者の魂を置き換えてしまえば確実だが、一体誰の魂を? 今この場で半死半生の勇者パーティーの誰かの魂を移し替えるとでも言うのか? ここまで我の使徒として世界の平和の為に尽くして来たこの者達に、更にそんな苦難を強いると言うのか? 全く別の所から今正に命尽きんとしている者の魂を持って来るか? そんな者を今から探すのか? 各地に有る我の神殿を中心としたネットワークから急遽探せば或いは…。いやしかし、本人が転生を望むのでなければ、魂の入れ替えを拒否されて終わりだろう。望んだとしても、単に力を望む邪な者の魂を入れるのは論外だ。
探せるか? 今正に転生を望んでいて、邪で無い者、そんな者が都合良く我のネットワーク内に………。何と! おるぞ。今正に、我の祠の前で転生を望んでおる。魂の邪な者でも無さそうだ!! とは言えこれは…、この通信の心許なさは…、声の遠さは……。
これは異界か! 我の祠は異界にも幾つか存在する、これはその内の一つだ。ううむ、異界から魂を呼び寄せるとなると、これは骨だぞ。しかもこの者は別に死にかけている訳でも弱っている訳でも無い。ここまでピンピンしている者から魂を抜き取るのは更に骨だ、正直勇者パーティーへの助力で既に消耗している我にはギリギリの仕事で有るかも知れん。我の神格が消滅してしまうかも…。
いや、我は勇者達に約束したのだ、何とかすると。勇者達は彼等の役割を果たした。次は我の番だ、やるしか無いのだ!! )
そして光明神は、異界の転生希望者に語り掛ける………。