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転生前夜-元居た世界での俺の話-

「あんた、未だ居たの、遅刻するわよ。」

まるで感情の無い母の声。俺の事を心配しての言葉では無い、とっとと出掛けてしまえというくらいの意味だ。

「…行って来ます。」

俺もそれに抑揚(よくよう)無く答える。後ろ手にドアを閉め歩き出すが、足取りは重い。古いアパートの一室、母子家庭で2人兄弟の3人暮らし。しかしこの家の中に俺の居場所は無い。かと言ってこれから俺が向かう高校にそれが有るのかと言ったら…。

 偏差値中の下くらいの有りふれた県立高校。有る時、有りふれたきっかけから、有りふれたイジメが始まった。クラスの中で完全に孤立し始めたあるクラスメイト。

 今となっては後悔しか無い。馬鹿馬鹿しい正義感に()られた俺は、そのクラスメイトを(かば)ってしまった。無視する連中に当てつける様に、そのクラスメイトに積極的に話し掛けたのだ。

 当然の様にイジメ首謀者達の不興(ふきょう)を買った俺は、同じ様にクラスで孤立する様になって行った。でも正しい事をしたんだという自己満足みたいなものが有ったお陰でそう絶望的な気持ちにはならなかった。いつの間にか俺が(かば)ったつもりのあのクラスメイトが、しれっと俺をイジメる側に回っていた事に気付く(まで)は…。

 暴力や恐喝(きょうかつ)こそ無いものの、無視、嫌がらせ、陰口(かげぐち)が日々俺に向けられた。証拠を掴んで学校や教師を動かすには微妙に弱い、でも折れてしまった心には耐え難い環境が、もう何ヶ月も続いている。

 最悪の結果を招いたあの時の俺の正義感、思えば家の中で居場所が無くなったのもこの正義感が原因だったとも言える。

 俺には出来の良い兄が居る。何をやらせても平凡な俺とは、最初から母の覚えのめでたさに差は有った。それは、兄にとってもプレッシャーで有ったのかも知れない。

 ある日俺は、たまたま立ち寄った書店で、兄が文庫本をポケットに忍ばせるところを目撃してしまった。そそくさと店を出る兄。俺は見なかった振りが出来ず、直ぐに兄の後を追った。そして追い越し際、「返しとけよ。」と耳打ちし、そのまま立ち去った。後に残され、俺を(にら)んでいる兄の顔が今でも忘れられない。何とも悔しそうな口惜(くちお)しそうな顔、反省の色は無かった。本はその後でこっそり返しに行った様だ。俺がしたのはそれだけ。他の誰にもこの話をした事は無いし、その後兄の前でこの話を持ち出した事も無い。だが兄は引きずっていた。下に見ていた弟に弱みを見せてしまった事が我慢(がまん)ならなかった様だ。

 この日以来今(まで)も決して良くは無かった母の俺への態度がことさらに悪化して行った。裏で兄が糸を引いていたのは確実だ。何せ最初に母から問いただされた事というのが、"俺が本屋で万引きしてるのを見たという人がいるのだが、何をしてくれているんだ"という内容だったのだ。実に分かり易く話が転嫁(てんか)されている。他にも言った覚えの無い幾つもの陰口(かげぐち)や、やった記憶の無い細かい悪行(あくぎょう)の数々に関する報告が母の耳に入っている様だ。もちろん都度(つど)否定したが、情報源が兄であるという時点で俺の弁解は全て無駄だった。かくして家での俺の立ち場はだだ下がり、空気以下になった。

 正義感そのものを否定したい訳じゃ無い。ただそれを振りかざすには、俺は余りに力不足だったのだ。腕力、経験、人望、全てが足りて無かった。それを思い知った時にはもう取り返しがつかなくなっていたんだ。

 バスに乗り、学校へ向かう。既にギリギリ間に合う便も逃しているので遅刻は確実だ。同じ学校の生徒が他に乗っていないので、俺が降車ボタンを押さない限り、学校前の停留所にこのバスが()まる事は無い。ああ…、押したくない、押したくない…………

 押さないでいてしまった。学校が後方にどんどん小さくなって行く。近くの席から怪訝(けげん)そうにこちらを(うかが)うおばさんの視線が痛い。何だか今度は罪悪感で落ち着かなくなる。この後どうする? このままズルズル不登校? 引きこもり? あのアパートの何処に? 絶対居させてくれないだろ。(あきら)めて学校へ行く? 今更? たった今、余計に行きづらい感じにしてしまったのに? …あれ、これ…、()んでね? 背中に(いや)な汗がにじむ。もうおちおち座ってもいられない。降車ボタンを押し、次の停留所でそそくさとバスを降りる俺。

 "愛堀(あいぼり)"なる停留所、学校より先までバスに乗って来たのはもちろん初めてだ。中々の田舎(いなか)…と言うかぶっちゃけ山の中。

 降りたはいいがこの後どうするかは何も考えていない。そこに唯一有った神社にふらりと入って行く。"愛堀神社"、バス停の名の由来だろうが、聞いた事も無い。神社というか、(ほこら)に近い。おかしな形の鳥居が有り、その奥が本殿だ。とは言え建物は無く、岩山の洞穴(どうけつ)みたいな入り口に申し訳程度の体裁が整えられており、中は暗くて何も見えない。スマホのライトを使えばいいのだろうがそこまでの興味も気力も無い。ただ洞穴の入り口に座り込み途方(とほう)に暮れる。

 何でこんな事になったのか、実力も無いのに正義感を発揮してしまったせいなのか、そもそも俺を取り巻く環境が悪いせいなのか…。多分両方なんだろう。既に自分の力だけで現状を打開出来る気が全くしない。誰かに頼る? 誰に? 家族は論外、親戚(しんせき)に頼れる当ても無し。高校は絵に描いた様な事無かれ主義の隠蔽(いんぺい)体質、あの教師連中が俺を助けてくれるイメージは全く()かない。今や親しい友人も居ない。

「ははは…、やっぱ()んでんじゃん…。」

(かわ)いた笑いが()れるのみ。最早(もはや)神頼みしか無いのか…。

「どこか知らない場所に生まれ変わって、全く違う人生を送る事が出来ればいいのに…。」

無意識にそんな言葉が誰に向けるでも無く口から出る。てか、一応ここ神社だっけ、ご利益(りやく)有るのかな? 賽銭(さいせん)箱も見当たらないし、(たた)り神の類いかもな。でももう願いは口にしてしまったし、ままよと思い、財布から適当に小銭を(つか)み出すと洞穴の奥に向かって投げ込み、出鱈目(でたらめ)な作法で手を合わす。ヤケになっていたんで幾ら投げたかも良く分からない。しかし直ぐに()る違和感に気付く。投げた小銭が何処かにぶつかる音が全くしないぞ? 洞穴の奥の闇に吸い込まれてしまったかの様だ。闇に慣れて来た目を凝らして奥を見ようとした刹那(せつな)、かすかな声が響いた。

(その願い、まことか?)

いや、声なのかは分からない。て言うか言葉だったのかもはっきりしない。ただそんな"意思"が突然頭の中に飛び込んで来たのだ。

(その願い、まことか?)

もう一度同じ問い掛けが頭に響く。俺は突然の事態に驚く事も忘れて思考停止。

「はい。」

と、反射で答えてしまう。すると次の瞬間、

(そうか、渡りに船だ。)

今度はそんな意志が頭に浮かぶや否や、洞穴の闇に意識が吸い込まれて行く様な感覚に襲われる。その感覚はどんどん強くなって行き、やがては(あらが)えない程に…て言うか、(あらが)ってどうする! これは又と無いチャンスかも知れないじゃないか、これで何かが変わるかも…。恐怖も不安も迷いも有った。しかしこの絶望的な状況から逃げられるかも知れないという仄暗(ほのぐら)い期待が優った。抵抗を辞め、流れに身を任せる。

 心が体から引き離され、闇に吸い込まれて行く感覚に襲われる。ああこれは…本当に変われるのかも…。期待に(ふく)らむ俺の心にしかし、再度あの声が響く。

(……すまんな……)

と。


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