第23話 心の平穏が危険で危ない
ジェットコースターの後も絶叫系アトラクションを巡っていた。
あちこちから水飛沫が上がる水上コースに、上下の落差を楽しむ宇宙テーマのフリーフォールなどなど。
皐は絶えず楽しそうで、俺の方が置いて行かれているような形になりつつもしっかり楽しみ――気づけば正午を過ぎてしまっていた。
そこでそろそろ昼食を……となり、ピークを過ぎて空きつつあったレストランへ。
メニュー表の値段を見て「これがテーマパーク価格か」と慄くも、皐は一切気にしないとわかっているため、複雑な気分のまま美味しそうな料理を注文。
すっかり皐との契約へ頼りきりだ。
自分で払うとなったら、俺は水だけ飲んで過ごしていたかもしれない。
そんなこんなで昼食を挟み、少し遅い午後の部が開幕したのだが。
「午後は趣向を変えましょう。ホラー系へ行きます」
ここにあるのは絶叫系だけではない。
ホラーも定番で、いくつか存在したはずだ。
そして、全く嫌そうな雰囲気がないことから、皐はホラーが得意なのだろう。
俺? 普通くらいかな……強がってないぞ?
「……理由は?」
「一人で入るのは虚しいなと思っていたので」
今更じゃないか? などと考えていたのが顔に出ていたのかもしれない。
皐がジト目を向けてくる。
「冷静に考えてみてください。わたしの性格的に、ホラー系なんてどうやっても作り物だってことが脳裏を過ると思いませんか?」
「……まあ、そうだな」
「そんな風に舞台裏を透かして観る人間が一人で体験型のホラーを楽しめるはずがないんです。楽しませようとしてくれるキャストさんにも申し訳ないですし」
「二人で入っても根本的な解決策にはならないような……?」
「ですが、少なくとも自分ではない誰かの反応が追加されます。その反応に乗っかることで、わたしも状況を俯瞰することなく入り込めるのでは、と考えまして」
言い回しが気になるものの、言わんとすることは理解した。
要は俺が色々反応したら皐も一緒になって楽しめるかも、ってことだ。
「そういうことなら……ってか、断るつもりはなかったし」
「助かります。これでやっとホラー系も体験できます。ちなみにホラー系の映画はそれなりに見ますが、そこまで得意というわけではありません」
「……それでよくホラーに行きたいなんて言い出したな?」
「好きなジャンルではあるんですよ? ただ、一度くらいは体験してみるべきだと思っているだけで」
それには同感だ。
実際にやってみなくちゃわからないことはある。
ダメでも命を取られるわけじゃない。
話もまとまったところで皐セレクトのアトラクションへ移動することに。
午後になって行きかう人が一層多くなった雰囲気を感じる。
浴びせられる視線の数に辟易しながらも皐の壁になる形で歩き続け――
「あれですね」
「なんともそれっぽい外観だこと」
目の前には寂れた洋館風の建物が一つ。
外壁にはご丁寧に植物のツタが絡み、窓も割れている演出がされている。
誰もがイメージするホラーの舞台って感じだ。
中へ入ると、順番待ちの列はない。
キャストさんにすんなりと案内され、入口へ。
内部も外観と同じく、アニメなんかで目にする中世の西洋風の屋敷のそれだった。
明滅を繰り返すランタンが設置されている壁は罅割れ、薄汚れている。
床に敷かれた絨毯も所々破れた風にアレンジされているため、相当にそれっぽい雰囲気が出ていた。
それだけではなく心なしか肌寒い気がするし、あちこちから「ギィ」と軋む音が聞こえてくる。
皐も温度差を感じているのか、胸の前で腕を摩っていた。
「体験型で、お化け屋敷のような内容らしいですよ。脅かしに来るのは仕掛けや音響なんかの小道具だと思いますが」
「こういう世界観の場所でキャスト本人が脅かしには来ないだろうなあ」
「慧さん、お先にどうぞ」
「……俺を盾にするつもりじゃないよな」
「わたしが前に立っていたら反応が薄くて面白くないでしょう?」
つまりは自分が面白がりたいから先に行け、ということ。
……やっぱり生贄的なサムシングでは?
ともあれ、文句はないので俺が先頭でお化け屋敷を進むことに。
このアトラクションは一方通行。
いきなり床が割れて落下、なんてことはないだろうけど、足元に気を付けて前へ。
――ドンドンドンッ!!!!
通りがかった隣の扉が盛大に叩かれ、思わず肩が跳ねる。
そういう直接的な感じで来るとはな。
世界観的に幽霊とか怪物とかが飛び出して……みたいなのを想像していた。
でも驚かないわけではなく、ちょっとだけ心臓の鼓動が早くなる。
とまあ、俺はこの程度で済んでいるのだが――
「……皐さん?」
俺の服の裾を摘まんで離そうとしない皐へ、立ち止まって聞いてみる。
一瞬だけはっとしたように目を開くも、気まずそうにすぐ逸らしてしまう。
「…………これは、その、はぐれないようにするためで。急に暗くなるかもしれませんし、ええ、それだけの理由です」
無用な心配とは言い難いものの、取ってつけた言い訳ってことは俺でもわかる。
けれど、わざわざそれを指摘するのも野暮だろうし、やめろと払う気にもなれない。
ただし――一つだけ言わせてもらおう。
「ホラーが苦手なら素直にそう言えばいいものを」
「……本当に苦手ではありません。これは大きな音に驚いてしまっただけです」
「さっきと言ってること違くない?」
「っ、細かいことはいいじゃないですかっ!」
普段よりも少しだけ声を荒げてぺし、と背中を叩かれるも、大して力が籠っていないため痛くない。
むしろむず痒さすら覚えてしまうくらいの力加減で、つい頬が緩んでしまう。
それからも皐に服を摘ままれたまま進んでいく。
ガラスが割れる音と一緒に化物の唸り声が響いたり、いきなり照明が落ちて真っ暗になったところで冷たい風が肌を撫でたりと、バラエティに富んだ脅かし方を見せてくれる。
俺も驚くけど、それ以上の衝撃が背中に張り付いているため、頭の芯は冷静さを保っていた。
「ちょっと歩くの速いですっ」
「ひゃっ!? い、いま、何かが首筋をっ!」
「~~~~~~~~~っ!?」
などと真後ろ……もとい、耳元で響く焦りを伴った声や悲鳴、言葉にならない声。
そして、もはや服を摘まむだけに留まらず、半ば抱き着くような形になっていて――色々と当たってしまっている。
指摘しようと試みたけど、皐がそれどころではなくて「後にしてくださいっ!」と止められてしまった。
なので俺はこのもどかしい状況を受け入れる他なく……アトラクションの恐怖とそっちの悶々とした感情がせめぎ合い続けていた。
いやね、お化け屋敷としては楽しかったと思うよ?
ただ、テーマパークの性質上なのか「絶対に怖がらせよう!」ではなく、「怖いのを楽しんでもらおう!」って雰囲気が強かった。
それでも皐はこれだし……本気で怖がらせに来る場所だったらどうなっていたのか。
……本人の名誉のためにも考えないことにしよう。
そんなこんなで俺たちを追ってくる巨大な怪物――見た感じプロジェクションマッピングとかかな?――から逃げ延び、お化け屋敷を脱出する。
外へ出たことで一気に明るくなり、空気も外のそれへと変わる。
これで終わりか……楽しかったけど、余韻に浸る余裕まではない。
「皐、もう終わったぞ」
「……わたし、自分の身で体験する形式のホラーはダメみたいです」
「骨身に染みたようでなにより。それと、出来ることなら早く離れて欲しいんだが」
「…………?」
皐は俺が言っている意味が分からなかったのだろう。
小首を傾げ、視線を落とし――
「――っ、これは、そのっ!」
パッと離れ、狼狽える素振りを見せる皐。
どうなっていたのかを自覚したのだろう。
わかってしまえば、察せられないほど皐は鈍くない。
心なしかしゅんと目じりを下げ、
「……すみません、わざとではなくて」
謝罪の言葉を伝えてくる。
「わかってるし怒ってはいないからさ。ちゃんと言えなかった俺も俺だし」
「いつからこうでした?」
「お化け屋敷の中盤くらいからかな」
「……一応、念のため確認させていただきたいのですが…………ずっと当たっていました?」
答えは自覚しているからなのか、皐の顔はほんのり赤い。
真実を伝えるべきか、否か。
嘘をつく方が残酷ではないかとも思う。
でも、目と目を合わせて告げる勇気まではなくて、
「……当たってたってより、押し付けられていたって方が――」
「…………もういいです」
若干だけ目線を逸らしながら伝えると、途中で蚊が鳴くような声で止められた。
意気消沈という言葉が似つかわしい。
「……勘違いしないように言っておきますが、これはわたしが全面的に悪いです。当たっていたのは不可抗力で、慧さんにはどうしようもないことでした。なので――迷惑料、ということで一つ、心の中に収めておいて貰えるとわたしとしては非常に気が楽と言いますか」
「元から言いふらすつもりはないって。でもあの、今後は気を付けていただかないと俺の心の平穏が危険で危ないので……」
「それはもう、心に留めておきます」
いつもより力強く頷く皐を見て、流石に大丈夫だろうと思う。
根はしっかりしているのを知っている。
――なのに、早速俺の左手を掴もうとしている皐の右手は何なのだろう。
「皐さん、この手は?」
「……あんなことがあった手前、非常に言いにくいのですが、手を繋ぐのは問題ないと思うんです」
「そりゃそうだけど……嫌じゃないのか?」
「手を繋ぐのは嫌ではありません。それと、さっきのことでわたしが抱いていたのは嫌悪ではなく、羞恥の方でして……」
ああなるほど、とはならないよな。
普通に考えて付き合ってもいない男に事故でも胸を触られていたら嫌悪感を覚えるものじゃないのか?
それがないと明言されたことにも驚いたし、だからと当然のように手を握られたことへの動揺も隠せない。
「とりあえず、クールダウンを挟まないか? お互い疲れただろ、精神的に」
「……ですね。お昼を食べたばかりですが、三時のおやつにはちょうどいいですし、買い物なんかをしてもいいかもしれません」
そういう風に話が纏まって、少々ぎこちなさを感じながらもやっとのことでお化け屋敷前を離れるのだった。




