王妃教育なんてありませんわよ
そんな水面下での裏切りも気づかずに、いまだ疑問符を浮かべっ放しのカスト王太子に対して、
「これはあくまで記録と伝聞ですが」
と前置きをして約二十年前に起きた、今回の騒ぎと非常によく似た騒動を順を追って語り聞かせます。
「そもそも現在のエーブリエタース王家は形式こそ絶対王政を取っていますが、北方騎馬民族との度重なる敗戦と玉座を巡っての骨肉の争いの結果、領土こそ大国と言えますが実態はガタガタの砂上の楼閣も同然です」
「そんな馬鹿な! 栄光に包まれた我がエーブリエタース王国は盤石だ!!」
大本営発表をそのまま信じ切って、そう叫ぶカスト王太子。
それはまあ北方の蛮族は土地に対する執着が薄いので、領土を占領こそされませんけど、自分たちに必要な食糧や物資、なにより人を奴隷として根こそぎ略奪して、残った建物や森を焼き払って焦土とすることに何らためらいはありません。
国としては成すすべなく敗北したとは言えませんので、連中が撤退したところで『蛮族を追い払った』と都合のいい玉虫色の勝利宣言をするしかない。情けない状況なのはある程度事情に通じている者ならば見当がつくというものです。
「経済的にも問題ですわね。海のない内陸国なのはいまどきは致命的ですし、また国土の一割は教会領として不可侵。さらに国の八割以上を占める富裕層である貴族には納税の義務がございません。結果、国全体の一割程度のさらに6~8分の税収、その他鉱山収入などから絞り出した国家予算は微々たるもので、そこから王家の予算をどうにか一割程度捻出しているようですが、とっくに火の車どころか借金で首が回らない状況です」
だいたい三代前までは王家直轄の軍隊が十万を超えていたというのに、現在は五千人程度まで縮小しているというだけで、どれだけ王家の力が衰えているか、それを許可した貴族院からの求心力がなくなっているのか一目瞭然でしょう。
「……え? 借金……?!? そんなの聞いていない……」
先ほど無邪気に大金貨50枚を悪趣味なドレスに散財したと、のたまったカスト王太子とカロリーナ夫人の顔色が見る見る悪くなっていき、ダラダラと脂汗を垂らしだしました。
あらもったいない、最高級のシルクが台無しですわ。
もともと貴族用フルオーダーのドレスは古着屋に売っても買い叩かれる――まして『バカとハサミ』の縫製は一般的に見向きもされません――のが常なのですが、あれでは二束三文どころか、ただでも引き取り手はいないのではないかしら? 大金貨50枚をまるっきりドブに捨てたも同然でしょうね。
それを指摘すると話が進まないので、私は気が付かないふりをして諸事情について、いろいろとショックで頭が空白になっている――空っぽなのは元からですが、おかしな先入観や偏見、承認欲求、自尊心や自己肯定感といったバイアスが希薄になっている分、多少なりとも聞く耳を持った――いまを逃さず畳みかけることにしました。
「そのため先代の国王陛下が画策されたのが、カエルム神聖国王女であったヴィクトワール様と当時の王位継承権第一位の王子であった現国王陛下との政略結婚です」
途端に失礼にならない程度に上座に座る当事者であるヴィクトワール王妃陛下へ、視線が集まるのを優雅さすら感じさせる手つきで、持っていた黒羽根扇子を畳まれ、ふわりと余裕の笑みで軽々と蹴散らせました。
「カエルム神聖国は現在でこそさほど大きな国ではありませんが、もとをただせば大カエルム神聖帝国の正統な帝室の血統をいまに受け継ぐ歴史と伝統の国。何より西大陸にあるほとんどの国が、神聖帝国時代には属国や植民地であったことから、いまだカエルム神聖国は諸国からの敬意を払われる存在であり、ミクラ教会の総本山である《教皇庁》が、国土である半島の三分の一を教会領として、お互いに千年に渡る蜜月を謳歌していることから、二重の意味で特別な存在と言うことで、両国の関係を強固にすることで起死回生を図ったわけですわね、先代国王陛下は」
ここまではよくある話ですが、ここから先はエーブリエタース王国と現王朝であるドナドーニ王朝の恥部と没落に拍車がかかった黒歴史として巷間に広く伝わっている実話です。
「ところが婚約――結婚式は半年後を予定していて、そのためにヴィクトワール王女様とカエルム神聖国の使節団が遠路はるばるやってきたその日の夜、歓迎レセプションが開かれた王宮の大広間で現国王である当時の第一王子が『私は彼女を愛することはない! なぜならすでに真に愛する女性がいるからだ!!』『彼女こそ王妃、ひいては国母として相応しい』と男爵令嬢を傍らに置いて一席ぶって、王宮を阿鼻叫喚の坩堝へと――つくづく血は争えませんわね。あら、どうしましたカスト王太子殿下。顔色が悪いですわよ?」
人の振り見て我が振り直せと申しますが、自分の親のしでかしと本日の自分の軽挙妄動をようやく客観視できるようになったのでしょう。カスト王太子の顔色が蒼白を通り越して土色に変わっていました。
カスト王太子にも“恥ずかしい”という感情があったのね~、基本的に喜・怒・(哀がなくて)楽だけで、刹那的に生きているだけだと思っていただけに意外な発見です。どーでもいいけど。
「そ、そ、そ、それでも、父上と母上には真実の愛があったからであって――!」
「真実の愛だろうが偽物の愛だろうが関係ありません。血筋と矜持を第一とする王族の次期王位継承者が、こともあろうに男爵令嬢を王妃にするなどできるわけがないではないですか」
「ふふん、知っておるぞ“貴賤結婚”であろう? それも考慮してカロリーナには、どこぞの公爵家か侯爵家などの有力者の養女に改めて――」
貴賤結婚に対する認識が著しく間違っているのですけれど、この人仮にも王宮(正確には隔離宮ですが)で生まれ育って、中等学校で修学していたのでしょうか?
「無駄ですわよ? “貴賤結婚”というのは、王族であれば同格である他国の王女以外の、国内の貴族――公爵であろうと伯爵であろうと臣下の身分の者――と結婚するということで、カスト王太子殿下風に言うならば『公爵だろうが平民だろうが皆同じ』という解釈になり、どうしても結婚したい場合は、皇太子だろうとすべての身分を剥奪され平民として結婚することになります」
「「なっ……!?」」
案の定、知らなかったらしいカスト王太子とカロリーナ夫人が絶句します。
「嘘よっ! 貴賤結婚で王太子の地位を廃嫡されても、公爵とかエライ身分は与えられるって、カロリーナ知ってるんだからぁ!」
いち早く立ち直ったカロリーナ夫人が全力で否定しましたけれど、これも流行りの宮廷恋愛小説とかを参考にしているのでしょう。というかそう想定していたということは、最悪の線――なお大甘の妄想に近い、はるかに現実離れした夢物語ですが――でも公爵夫人になれると踏んでいたということですね。
「それは王家の正統な血筋を引いた長子が戴冠式を経て国王となったのち、次男以下が空いている爵位につけるということで、庶子には適応されません。そもそも貴族的な価値観では妾の子は恥ずべき存在でありますので、王の血を引こうがなんだろうが路傍の野良犬も同然です」
一般的に王子、王女とは『王家の血を引く=国王と王妃の間に生まれた正統な子供・子孫』であり、それ以外は認められませんし例外はありません。
存在しないものは無価値以前の問題ですから。
まあ過去には母方の実家の力を使って嫡子を武力で排除し、玉座を占有した庶子もいたようですが、それを口に出すのは反乱を教唆しているも同然ですから口には出しません。普通は思ってもできないことを、この王太子斜め上の行動力で実行する危険性があるので、下手に煽るようなことは言えません。
ということで下手な考えを持たないように、私は念入りに彼のプライドと自己顕示欲を叩き潰すことに専念することにしました。
「それに何よりもカスト王太子の立場が悪すぎます。なにしろ公然とカエルム神聖国の面子を潰し、危うく国際問題……どころかこの結婚を認めた当時の大教皇聖下の怒りを買い、エーブリエタース王国を神敵(=悪魔の手先)として、各国に対して《聖戦》を要請しかける騒ぎに発展した元凶にして、現国王陛下を誑かした原因であるエロイーザ妃との子供ですので、当時の国家危急の事態を知っている世代からすれば、愛の結晶どころか罪と憎しみの象徴ですわね」
《聖戦》の意味が分からずボケっとしているカスト王太子の隣で、理解したらしいカロリーナ夫人はガタガタと震えています。
「さすがにそれは大事過ぎるということで、どうにか周囲の説得で矛を収めさせ、エーブリエタース王国内での教会の自治権を認めさせることと合わせて、カエルム神聖国からの莫大な――何しろ海上貿易の要衝ですから――持参金を慰謝料代わりに受け取らないことで、どうにか首の皮一枚でつながったわけですが、当然そのような非常識な皇太子殿下が国王になられても周辺国の侮蔑と不信は解けずに、ますます窮乏を極める結果となりました」
「当時は聖下の短慮をお諫めいたしましたが、いまにして思えば反対すべきでなかったと慙愧の念に堪えませぬな」
パゾリーニ大司教様がしみじみと慨嘆されました。
「その上、元凶であるエロイーザ妃を『側妃』などと公言して、公然とお傍に置いて寵愛する非常識さ。さらに底抜けの親馬鹿さを発揮して、生まれた男子を『愛する我が子、カストを次の世継ぎとする!』などと、またもや王家主催の晩餐会で宣言されて、多少は性格が改善したかと様子見に参加した招待客を呆れさせる惨状。心ある貴族や官僚はとうに王家を見限っておりますわよ」
「ほら見ろ! ほら、やはり余が王太子――いや、皇太子であろうが!!」
父親そっくり――外見も中身もそうなので、なおさら現国王陛下もエロイーザ妃も、猫かわいがりに甘やかしまくったのでしょう――の軽薄さで、またもや息を吹き返してそう言い張るカスト王太子。
「王位継承権というものは国によって若干変わりますが、世襲君主制の下では長子相続が基本であり、誰が次の君主となるのかは、継承順序を決定する継承法によってあらかじめ決定されるものです。少なくともエーブリエタース王国においては、国王の一存による任命や罷免の権限はございません。……それゆえに国内外の王侯貴族が見限っても、継承権一位であった現国王陛下が先代国王陛下の崩御に伴って(ストレスによる若死に)、周囲の反対を無視して自動的に玉座に座るという形になったわけです」
実権を完璧に剥奪してお飾りとしてたまに表に出す以外、政治と外交など実務はヴィクトワール王妃陛下が辣腕を振るい、当の本人は王宮の奥の院――通称、隔離宮と呼ばれる離宮で、エロイーザ妃を筆頭に太鼓持ちたちと連日面白おかしく遊んで暮らしているのが、半ば公然の秘密でした。
「どんなに底抜けの愚王で、人格や適性に問題があると誰もが理解していても、継承法で決められ明記されている以上、忸怩たる思いでこれを戴かねばなりません。ですがまた逆もしかりで、国王陛下が何と言おうと、王位継承権の序列はすでに決められており、これを覆すことはできません。そして再三再四言っておりますが、庶子である貴方には王位継承権どころか儀礼称号も貴族籍もございませんので、『真実の愛』に従ってカロリーナ夫人と結婚することは、貴賤結婚でも何でもないただの平民同士の結婚ですので、どこからも誰からも文句はありませんわ」
むしろこの上ない慶事として皆が祝福したというわけです。
「な、ならば、なぜ誰も余が『王太子』と言って何も言わなかったのだ!?! もっと早く教えてくれればこんな無様を晒す醜態は……!!」
取り乱すカスト王太子ですが、そんな直截に貴族が相手を侮蔑するようなことは口にしませんし、そのあたりの空気を読んで学園の生徒も余計な口を叩かなかった――だいたい言っても信じず逆に不敬だとか、処刑だとか大騒ぎをして、親馬鹿の国王やエロイーザ妃の不興を買うことを恐れたのでしょう。
それが世渡りと言うものですわ。
「まあ王宮内や社交界界隈では『存在しない王子の存在しない王太子という肩書』を面白がって、『王太子殿下(笑)』という感じで呼称していたようですが……。ああ、あといつ自力で気が付くか、密かに賭けの対象になっていましたので、全員が口裏を合わせていた理由でしょうか。ちなみに『最後まで気が付かない』に賭けていたヴィクトワールおば様の総取りですわね。私はさすがに学園に一年も通えば察するかと思っていたのですけれど」
ちらりと見ると羽根扇の下で勝利の笑みを浮かべるヴィクトワール王妃陛下の目元が窺えました。
「ヴィクトワールおば様……?」
知らずに宮廷道化師扱いされていたことを知ったカスト王太子(笑)が、迂闊にこぼした私の失言を口にします。
「ええ、ヴィクトワール王妃陛下と私の母とは従姉妹同士になりますので、親類としてたびたびこちらの王宮にはお邪魔させていただきました。それに我がメルキオルリ大公国は男女に関わらず長子継承であり、将来的には私が国主となることが決定しておりますので、国の運営やかじ取り、政治、貴族との交流など、多岐に渡ってヴィクトワールおば様の薫陶を賜っておりますわ」
「お、王妃教育のために王宮に来ていたわけではないのか!?!」
「なんですか王妃教育って?」
そんなものがエーブリエタース王国にはあるのでしょうか? 聞いたこともありませんけど。
「いや、ほら、その国の歴史とか文化とか暗記したり、あと国家機密とか暗殺部隊の存在とか?」
しどろもどろに、微妙に疑問形でカスト王太子(笑)が口にしました。
「――質問よろしいでしょうか、ヴィクトワールおば様。そのようなものが存在するのでしょうか?」
どうにも嚙み合わない会話にまどろっこしく思いながら、王妃として先達であるヴィクトワール王妃陛下に確認してみます。
「聞いたこともないわね。だいたい王妃候補となれる家柄の娘であれば、ある程度の教養があるのは当然のことですし、くだらぬ暗記に時間を割くほど暇ではありません。そもそも専門知識などは生半可な知識を振りかざすのではなく、専門家を雇用して確認すればいいだけのことです。人を使ってこそ国王であり王妃であることを努々忘れてはなりませんよ、レティツィア」
「承りました。今後もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします、ヴィクトワール王妃陛下」
改めてお礼をしてから私はカスト王太子(笑)に向き直りました。
「……ということで、帝王教育ならともかくエーブリエタース王国次期王位継承者の婚約者でもある私も、“王妃教育”などというものは寡聞にして存じあげません。現実を知らない作家の創作ですわ。だいたいにおいて他国から嫁いできた場合、花嫁とその随員は人質である反面、ある意味公然とした間諜でもありますので、その相手にいきなり国家機密を開陳するなどあり得ませんわ」
そう立て板に水で捲し立てて、私は軽く肩を竦めるジェスチャーをして見せました。
なお暗部についてはいるとは聞いておりますが、それが誰なのかどんな組織なのかは王族であっても知りません。カスト王太子(笑)とは別の意味で『存在しない存在』というわけです。
「待て待て! お前はいま『自分は次期王位継承者の婚約者』と言ったな!? だがヴィクトワール義母上には男子はおらず、王女ふたり――」
「お黙りなさい。可愛いレティツィアならともかく、お前如きに義母などと呼ばれる筋合いはないっ。――耳が穢れるわ」
断固としたヴィクトワール王妃陛下の静かな恫喝を受けて、途端に黙り込むカスト王太子(笑)。
「私をさんざんコケにしてくれた現国王と公妾にもなれぬ愛人の間の出来損ないが、よくも二代続けて私の面目を潰してくれたもの。この場で縊り殺してやりたいところですが、私はお前たちと違って公私混同はしない。きちんと第三者に裁いてもらいます」
ちなみに『公妾』というのは議会にも認められ、生活費や活動費などが公式に王廷費からの支出として認められている公式な愛人のことです。半ば公人として堂々と贅沢しつつ社交できる反面、いざとなれば王族の醜聞の元凶として――「最近、生活が苦しいのは公妾が贅沢三昧をしているからだ」という具合に――権力闘争や社会不安の矢面に立って、貴族や民衆の恨みをかう安全装置でもあります。
当然のことながらエロイーザ妃にそんな役目を担えるわけがなく、現在のところすべての不満とヘイトは直接現国王――はっきりと名指しで『愚王』『暗愚』『暗君』と民衆からも罵られています――へと向けられている状況なのでした(知らぬは本人たちばかり)。
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