私は王太子の婚約者ではありません
「学園内でよ! 乗馬の授業で着替えるのに置いていて、帰ったらズタズタにされてたのよぉ! 同じクラスじゃないアンタの仕業でしょ!!」
開き直ってそう言い放つバッカラ準男爵令嬢。
「いいえ」
もちろん私は間髪入れずに否定しました。
「というか前提として私はこの学園に通っていないのですが? これまで学園内でお会いしたことがないでしょう。カスト王太子殿下も?」
「「えっ……え?……えええええっ!?!」」
本気で驚いているカスト王太子とバッカラ準男爵令嬢。バッカラ準男爵令嬢は仕方ないにしても、カスト王太子は自称婚約者に対してあまりにも無関心ではありませんか?
「なぜ驚くのですか? そもそも中等学校は上級階級や中産階級の子弟子女に教育を施す場ですわよ? 上位貴族や領主貴族の儀礼領主(公爵、侯爵、辺境伯、伯爵の長男)ともなれば名の通った碩学や専門家を家庭教師として招聘し、徹底的にマンツーマンでの帝王教育に準じた領主教育を施されて当然ではありませんか」
そのついでに次男以下や近隣に住む自派閥の貴族の子弟にも、教鞭をとることは多々ありますが、少なくとも平民と机を並べて勉強をするなどという、自分は一般平民レベルなのだと喧伝するかのようなみっともない、貴族の矜持を地面に投げ捨てるかのような真似は、普通は致しません(令嬢の場合は夫人や専門教育を受けた親戚筋の女性が教師になって淑女教育を行います)。
「確かにロッシーニ学園は名門校ですが、あくまで下級貴族の三男以下(次男は長男が病死などした場合、すぐに還俗できるよう、修道院に入れるのが常道である)のスペアや、次女三女などの持参金もままならない者たちが高い教育を受けて、官僚や武官、女家庭教師など、将来的に上級階級となれる割合が高いことから、こぞって入学を希望する狭き門となっていますが……」
とは言え、学力はあって当然で、学園在学中にどれだけ人脈を築き上げられるか、最終的には『上流階級』に喰い込まれるかどうか(功績を上げて貴族になることはまず不可能。前例では英雄的活躍をした軍人でも、騎士の称号を授けられるのが限界)は、本人の人間性や社会性に集約される……というわけで、高位貴族や下位貴族とはいえ家を継ぐことができる嫡子には、ロッシーニ学園は全く関係のない場所と言えるでしょう。
「そんなところへ大公国とはいえ一国の王女が入学するわけがないではないですか? 仮にやったら大変な騒ぎになりますわ。学園側だって火中の栗を拾うようなもので、どれほど警備を強化してもし足りないでしょうし、万が一にもモノを知らない社会的身分や王侯貴族の何たるかを理解しない底抜け頭が空っぽな生徒が、面と向かって著しく礼を逸した言動を発したら国際問題……どころか戦争の火種にもなり、結果、責任問題が学園のどこまで波及するか想像も尽きませんもの」
まあ普通は真面目に想定もしませんわよね。仮にも試験に合格して入学した生徒が、そんな当たり前のものの道理を無視するすかたんなすっとこどっこいだとは。
しかしながらまさに目の前で最悪の事態が進行している状況を前に、理事長であるロッシーニ侯爵がついに限界を超えたのか白目を剥いて、座った椅子ごと背後に倒れてぴくぴくと断末魔のような痙攣を始めました。
「それで、ええと……どこまでお話ししましたかしら?」
「お前がロッシーニ学園へ在籍していないというデマカセだ!」
「ああ、そうですわね。そのようなわけで部外者である私が、許可も取らずに敷地内に足を踏み入れることはありません。十日前の学園の部外者訪問リストを確認していただければすぐにわかることですし、そもそも十日前は公国内にある港湾都市フルーメンを表敬訪問して、当地で開催された“珊瑚祭”にも参加しておりますから、エーブリエタース王国に入国して王都にあるロッシーニ学園へ忍び込んで、バッカラ準男爵令嬢の制服を嫌がらせで切り裂くとか不可能ですわ。――というか嫌がらせなら、わざわざ時間を空けずに式の直前に行う方が効果的だと思いますけど?」
これだけ懇切丁寧に説明しても、ステータスを顔面偏差値だけに振ったカスト王太子の空っぽの頭には届かないようで、
「ふん。余が確認していない以上、そんなものはどうにでも誤魔化せる!」
ああ、自分が見なかったことや知らないことは存在しないという理屈なのですわね。
いたわね、子供の頃こういう屁理屈こねる頭の悪い子が。どこかで大人になるものですけど、そのまま体だけ成長するとこういう鬱陶しい上に問題ばかり起して、なおかつ自分は正しいと頑なに信じる馬鹿が生まれるというわけですか。そうですか。
「――こいつマジで殺してえ」
レオンが剣を両手で握って理性と殺意の狭間でブルブル震えています。
こちらの派閥の生徒たちも、ロクサーヌ嬢の他何人かの理性と人望のある生徒が防波堤となって押さえていますが、決壊は目に見えて近いでしょう。
「そもそも貴様の話には大いなる嘘がある! なぜならこの国の王太子たる余がロッシーニ学園に入学していたからだ!! 高位貴族どころか王太子である余が直々にであるぞ。そうであるなら公爵令嬢如き話題にもならなくて当然である」
ドヤ顔で熱弁するカスト王太子。
「はあ」
「なんだその気の抜けた態度は!?」
私の反応がお気に召さなかったようで、喚き散らす当人――を適当に受け流して、横目でヴィクトワール王妃陛下を窺ってみれば、完全に我関せずの姿勢で随員たちに向かって、何やら精力的に指示を飛ばしていました。
このまま遠慮や忖度なしで全部バラシて構わない、と。
では――。
「これも今更ですけれど、カスト王太子殿下はご自分の生まれや立ち位置をご理解されていますか?」
さすがに表立って暴露や揶揄する人間はいないでしょうけれど、宮廷雀の囀りや貴族たちが集まってのパーティーなどでは、確実に陰口を叩かれていたはず。
それに耳を傾けていたら子供でも自然と見当がつくものなのですが、十七歳になるいままでまったく気が付いていないとしたら、どれだけ周りが過保護だったのか、どれだけ他人に対して無関心な自己中心的な人間なのか……というか何か肝心な部分が欠落しているレベルですわね。
そう慨嘆しながら私は広げた白孔雀の羽扇子の下でやるせないため息を漏らしました。
「ふん、決まっている。エーブリエタース王国現国王である父上の第一子にして次期王位継承者である、〈王太子〉カスト・バーカ・ドナドーニ・エーブリエタースである!」
一片の疑いもなくカスト王太子が傲然と断言します。
「それはどなたから吹き込ま……お聞きになったお話でしょうか?」
「そんなもの父上と母上に決まっているではないかっ! これだから愚鈍な上位貴族の娘は嫌なんだ」
憎々し気に吐き捨てるカスト王太子。
は~~っ……。あのふたり懲りずにまだそんな妄言を吹聴していたのですか。
さらにヴィクトワール王妃陛下の周囲が慌ただしさを増したのに合わせて、ナディアが一礼をして、
「それではこちらも予定通りに行動いたします」
この場から退席しました。
併せて卒業生として参加していたメルキオルリ公国の関係者並びに協力者が、少々早めに卒業パーティーを切り上げて三々五々と王都内に散っていきます。
我慢に我慢を重ねた怒りの矛先が、製造者責任――愚鈍である現国王とカスト王太子の実母であるエロイーザ妃、ついでにバッカラ準男爵に向けられたのは当然の成り行きでしょう。
「さて、ときに私が王太子殿下の婚約者である――あったという話も、同じように国王陛下から聞かされていたことでしょうか?」
念のために確認します。
「先ほどから質問ばかりで鬱陶しいな。そうに決まっているだろう!」
躊躇なく頷いたカスト王太子は、ついでとばかりバッカラ準男爵令嬢を一層密着させる形で抱き寄せ、朗々と自己陶酔そのものの口調で吹聴します。
「だが、そもそも『貴族だから』『王族だから』という下らぬ理由で、結婚相手を決めること自体がおかしいのだ。王族である前に人は人、人は自由であるべきである。手垢にまみれた宗教や決まりなどで真実の愛を束縛することなどできぬ! 周りの顔色を窺うのではなく『自分らしく』生きることこそが人にとって最も大切なことだ! 余の言葉がまさか間違っているなどと言うまいな?」
「きゃ~~っ! その通りですぅ、カスト様っ。格好いいです!」
「はい、間違っています。カスト王太子殿下。大間違いです」
拍手をして嬌声を上げたのはバッカラ準男爵令嬢で、全面否定をしたのは言うまでもなく私です。
「なんだと!?」
気色ばむカスト王太子に向かって、淡々と言い聞かせます。
「大方庶民向けの大衆文学あたりからの引用でしょうけれど、『自分らしく生きる』というのは、要するに『我がままに生きる』ということの美辞麗句に過ぎません。常識や教会の説く『社会的規範に沿って』『倫理的に生きる』というのは人間が守るべき当然のルールであり、それを守らずに『自分らしく生きる』ことを第一に考えるのは犯罪者の理屈です」
まあカスト王太子本人に自覚はないでしょうが、限りなくそれに近い存在ではありますわね。
「ましてや王侯貴族であれば、個人の幸せをないがしろにしろとは言いませんが、個人である前に公人であり、まずは領土領民、家門を守ることを第一に考えて、合わせて国家の繁栄と民の安寧に一意専心することこそが、何よりも肝要でありましょう。とりわけ王族同士の結びつきは国家間の政治であり、それに付随する明確な形として婚姻という形をとる。“政略結婚”は至極当然のことで、そこに愛だの恋だのと言った一時的な精神錯乱状態など関与する余地はございません」
私の言葉に応じて、この場に残っている貴族家並びにそれに連なる者たちが無言で首肯しました。
「ふざけるな! お前は王太子妃の地位が惜しくて屁理屈をこねているのだろう! だが、お前が何と言おうとお前との婚約は破棄し、余はカロリーナを妻に迎える!!」
「……ああそうですか。――と言うことだそうですが、パゾリーニ猊下?」
そう伺いを立てると、待ってましたとばかり厳かに頷くパゾリーニ大司教様。
「うむ、認めよう。教会法の基本理念は『夫婦とはお互いに愛し合う者たち』ですから、略式ながら愛し合う男女本人と立会人(ここでニヤリと嗤って愛用の黒の羽扇子を広げるヴィクトワール王妃陛下)がおるのだ、ミクラ教会の大司教たる我がいまこの場でふたりの結婚を認めよう」
そう言って立ち上がると、随員たる聖職者や聖騎士たちに囲まれて、呆然としているカスト王太子らの傍らまで行って、
「新郎カスト・バーカと新婦カロリーナ・コジマ・バッカラ。“汝らは末永く病める時も貧しき時も、悲しみの時も困難な時もこれを愛し、敬い、慰め合い、その命ある限り共に過ごし、互いに支え合うことを誓うか? 沈黙は肯定と認める――これによって共にふたりが夫婦となったことを、神の聖名においてここに宣言する”」
最後の仕上げに新婚夫婦二人の肩を聖杖で叩くものですが、当てつけでバラバラになった聖杖をふたりに向かって投げつけて、よほど腹に据えかねたのかドスドスと足音も荒く、元の来賓席へ帰っていきました。
そんな微妙に祝福になっていない慰めの言葉に終始した儀礼的な結婚式があっという間に終わり、これで晴れてカスト王太子とバッカラ準男爵令嬢は誰はばかることなく夫婦となることができたのです。
『おめでとう』
『おめでとう!』
『おめでとうございます!』
卒業式の会場で巻き起こった婚約破棄騒動。
転じて誰もが幸せになれるWIN=WINな華燭の典に参加することになり、自然と沸き起こる万雷の拍手と尽きぬ祝福の言葉。先ほどまでとは打って変わって好意的な、何の裏表もない出席者からの笑みを前にして、困惑しながらもぎこちない笑みを返すカスト王太子。
「あ、ああ。ありがとう……?」
「え? え? え? ええ???」
バッカラ準男爵令嬢――いえ、カロリーナ夫人の方はいまだに状況が掴めていないらしく、ポカンと口を開けて瞬きを繰り返しています。
「――いや待てっ。おかしいだろう! カロリーナとの結婚に不満はないが、王太子の結婚式だぞ。こんな即興のやっつけ仕事みたいな挙式があってたまるか! 普通は王宮で国王陛下に許可をもらって、国内外の王侯貴族が参列して盛大に大聖堂で式を挙げ、白馬が引く儀礼用馬車で国民の歓声や花吹雪を浴びながらパレードをするものだろう!? 手順が滅茶苦茶じゃないか!!」
ハッと我に返ったカスト王太子が割と正論を吠えますが、その手順をすっ飛ばして無理やり婚約破棄しようとした当人が何をかいわんやですわ。
「お前もお前だ! 元婚約者が他の相手と結婚だというのに何を他人事のような顔をしているんだ?!」
なぜかもの凄く不満そうな顔で不貞腐れるカスト王太子。
「ええ、他人事ですから」
「はぁ!? 貴様はもともと王太子たる余の婚約者で、愛する余のために王妃教育を受けるために何年も王宮に足繫く通っていたのだろう! なぜ平然としていられ……ああ、やせ我慢か。内心では嫉妬で頭がおかしくなりそうなのだろう? まったく可愛げのない女だ。こんな時ぐらい泣いて余に取りすがれば側妃くらいにはしてやったものを」
「ほーんと。負けた女ってみじめよね~」
勝手に自己完結をして嘲笑を放つカスト王太子と尻馬に乗るカロリーナ夫人。
「違いますわよ? 私はこの国の王位継承権第一位である王子殿下の婚約者です」
私の反論にカスト王太子が小馬鹿にした表情で鼻を鳴らしました。
「だから第一子にして王太子である余の婚約者であったということだろう? つくづく愚鈍な女だ」
そう答えが返ってくることはわかっていましたので、私はできる限り理解不能な表情を作って首を傾げて見せます。
「あの、そもそも“王太子”などという身分は存在しませんわよ? 『王位継承権第一位である王子』もしくは尊称をつけるのであれば、『皇太子殿下』とお呼びしなければ失礼に当たります」
そんな私の説明を鼻で笑うカスト王太子。
「まったくものを知らん女だな。皇太子というのは帝国や皇国の次期帝位・皇位継承者へつけるもので、王国なら王太子に決まっているだろう」
「……ですから、そうした場合『王太子』というものは『皇太子』より格下という扱いになってしまいます」
なおも理解できないカスト王太子に私は辛抱強く続けます。
「双方を同格と見做すために、王国であろうと首長国であろうと、次期王位継承者は『皇太子』と尊称をつけて敬うのが通例です。――あの、新聞とか広報とかご覧にならないのですか? いずれも継承権を持つ身分の方には、等しく『○○皇太子』と尊称をつけて周知してますわよね? つまりはそういうことですわ」
私が『王女』ではなく『公女』と呼ばれたら卑称になるのと同じ理屈ですわね。
どこからも反対意見が出ない――カスト王太子の取り巻きたちもポカンとしているところを見ると、同レベルで知らなかったのでしょう――ことで私の話に信憑性があるとようやく理解したのでしょう。
「だ、だが、王太子というのは物語の中では――」
「おそらくですが、物語であろうと“皇太子”という特定の人物が想定される尊称を使用するのは不敬になるので、“王太子”という本来存在しない虚名で誤魔化しているのではないでしょうか?」
まあ『次期王位継承者』といちいち記載するのも冗長ですから、わかりやすい造語として『王太子』という言葉を作って使っている可能性もありますが。
「だ、だが、誰もが余を“王太子”と敬っておるぞ! 父上も母上も……枢密院の議員たちも、次の国王は余であると明言しておるっ」
自分自身の存在意義を声高に主張するカスト王太子。
「枢密院? ああ、王の個人的な諮問機関で、メンバーはほとんどが民間人ですから政治的力は何もないどころか、いまや王の幇間と化しているだけの、ムダ金使いたちですわね。まだ解体していなかったのですか?」
「いくら諫言しても無駄であるし、陛下もご機嫌取りどもにおだて上げられ、何もしないのが一番なのであの者共も必要悪だと黙認しておったが、まさかあのふたりと一緒になって、虚言妄言の類をこの者に吹き込んでおったとは……不覚であったな」
いまだ薔薇園に残っている貴族、官僚の誰かに答えを期待して問いかけたのですが、ヴィクトワール王妃陛下御自らが黒扇子を口元のあたりにあてて、そう自戒するよう渋面を想像できる声音で教えてくださいました。
「ご教授くださり恐悦至極にございます、ヴィクトワール王妃陛下」
スカートを抓んで私は最上級の貴人に対するカーテシーをして謝意を示し、それから改めてその隣に憮然と腰を下ろすパゾリーニ大司教様へ視線を移します。
「ところでパゾリーニ大司教猊下、先ほどカスト王太子が『余に取りすがれば側妃くらいにはしてやったものを』とおっしゃいましたが、ミクラ教会の教義では夫婦は一夫一妻であり、例え王族でも一夫多妻は認められていないと記憶していたのですが、間違いはございませんか?」
「左様。不幸にして夫婦どちらかが儚くなるか。どちらかからの訴えがあり、教会裁判でやむなしと離婚を認められた場合のみ、再婚は可能ですがひとりの夫に妻というのが偉大なる創世神ミクラの教えであります」
朗々とパゾリーニ大司教様が自明の理を説かれました。
「ではその場合、現在国王陛下の“側妃”とされるカスト王太子殿下の実母であるエロイーザ妃の立場は?」
「ヴィクトワール王妃殿下という、本山大教皇聖下が正式に認められた配偶者がいらっしゃる以上、側妃などという存在は絶対に認められぬゆえ……まあ、単なる愛妾ですな。もしくは実家であるボッキッディ男爵令嬢――薹は立っておりますが、過去に結婚したという記録がない以上、いまだ独身のままですから。そうお呼びするほかございません」
私の意図を察して打てば響く感じで簡潔明瞭に答えてくださいます。
「それではその二人の子供の扱いは?」
「庶子、私生児ですな。言うまでもなく、教会法でもエーブリエタース王国法でも、その者には相続権、継承権、財産権などはございませんし、身分的には“平民”以外にありません。通常国王陛下の庶子に関しましては、修道院にて敬虔な神の信徒となられるか、文官試験を受けて一文官として生涯を終えるか、腕に自信があれば軍人の道を志すのもよろしいかと存じます。あとはまあ、奇特な貴族籍の方が養子に取られれば別ですが……蛇足ながら、養子に継承権はございませんので、最終的には平民として放り出されますので悪しからず」
「?????」
現実を全く理解できないカスト王太子より先に、女の直感で危機感を覚えたらしいカロリーナ夫人が、じりじりと夫から組んでいた腕を放して距離を置こうとしているその先に、レオンが鞘に収まったままの剣を置いて阻みました。
「どこへ行く? 新婚らしく睦み合っていても、もはや誰も文句は言わんぞ」
「え、ええと……この結婚なしと言うか、お義父様の許可もないので、白紙撤回にしたいなぁ~と」
「無理だな」
しどろもどろに主張する彼女ですが、それに対してレオンは素っ気なく言葉で一刀両断します。
「教会裁判所へ結婚の白紙化を訴え出ることはできるが、正当な理由――『白い結婚で、実質的な夫婦生活は営まれていなかった』『相手の肉体に重大な問題があった』『そもそも正式な結婚として認められるようなものではなかった』――など」
「それよ! ぜんぜん正式な結婚じゃないじゃないのぉ!」
「お互いに“真実の愛”と公言し、大司教が認め、ヴィクトワール王妃様やレティツィア王女が立会人になっていて、正式でないと言って通じるわけがないだろう。これ以上、ガタガタ抜かすようなら……」
本気の殺気を浴びて、色を失って飛びつくようにカスト王太子の元へ戻るカロリーナ夫人。
10/5 誤字など修正いたしました。
面白いと思った&続きが読みたいという方は、作者のモチベーションのためにぜひ評価などよろしくお願いいたします。
わかりやすいように『王太子』を使うのはもはや当然のようになっていますけれど、本来ヨーロッパには存在しない言葉です。わかりやすいから私は良いと思いますが。
このあたりは翻訳の問題があるので、かなりややこしいです。
日本が天皇制なので、いろいろ面倒なんですよね~。海外なら「プリンス」で全部通るのですが、少なくとも日本語には「王太子」は存在しなくて、海外にも該当する単語がないということで、妥協の産物でマスコミは「皇太子」と呼称するしかないということで。
【中世~近世ヨーロッパの法律に準じたナーロッパとの違い】
・基本的に当主の交代は前当主の死亡を持って自動的になされます。引退とかはないです。
・養子には継承権はありません。婿養子として継承権のある娘と結婚して、息子が生まれた場合にはその息子に継ぐことができます(なので私の別作品『王子の取巻きAは悪役令嬢の味方です」の登場人物で、主人公の親戚筋から養子にもらった義妹ルネは、将来的に義兄と結ばれるのを期待されてますし、本人もやる気もりもりです)。
・貴族の場合は女性が家を継ぐことは基本的にできません(王族の場合は女王制の国も割とありました)。ただし継承権はありますので、一例として長女が娘しかいない状況で当主である父親が亡くなった場合、親戚の男子かもしくは妹が嫁に行って、そこで男子を産んでいた場合、その子が領地と爵位を引き継ぐことができます。
・引き継ぐ場合には、長女夫婦はある程度の財産をもらってお払い箱になり、別な継承者が当主一家として、主家ということになります。
・なお誰も引き継ぐ人間がおらず、一年以内に引継ぎが行われなかった場合には、領地と爵位は国が預かることになります。結果的に時代が下がるごとに貴族の数は衰退の一途をたどりました。