制服をダメにするなら当日でしょう
あ、完全に見限りましたわね。
無能で置物にもならない――子を見れば親が良くわかると申しますが――現国王に代わって、国内外の政治と外交を一手に手掛ける女傑にして、エーブリエタース王国を支える柱。実質的な統治者であらせられる。
それゆえにこそ国外の王侯貴族から、『王妃殿下』ではなく『王妃陛下』と美称で讃えられるお方が、ついに肩の荷を外された歴史的瞬間を私は目の当たりにしたのです。
この場で詳細な事情を知っている私とレオン以外は、王妃陛下のその微笑みの意味を真に理解している人間はいなかったでしょう。
ですが、早くなるか遅くなるかの違いで、エーブリエタース王国は本気で終わり。
終焉なんて案外呆気ないものですわ。
もはや婚約破棄がどうこう言う話など些事に過ぎませんが、一度広げた風呂敷をこの場で畳まないとおさまりが悪いでしょう。
私もメンツを潰されたままにできませんし、こうなった以上、遠慮せずにこの国の膿のひとつであるカスト王太子を徹底的に叩き潰すことにしました。
「さて、やったやらないの水掛け論を証拠もなしにお互いに主張していても仕方がないでしょう。高価な紙製の筆記用具を取り揃えている文具店など、王都内でも数えるほどでしょうし、購入者の履歴や名簿も残っているでしょうから、人をやってまずは二週間内にバッカラ準男爵家が、新品のノートを購入したかどうかを確認いたします」
私の提案にナディアが無言で略式礼――軽く腰を落としただけ――をして、ロクサーヌ嬢も心得た態度でそれに続いて、私の指示を実行すべく踵を返しかけたところで、焦った様子で声を上ずらせたバッカラ準男爵令嬢が制止します。
「あ、あー、あの、そ、そうじゃなくてぇ。カロリーナのノートは、カスト様からもらったものだからぁ、わかんないと思うわ~」
「――まあ。そのような高価なものを、身内でもない女性に贈られたのですか?」
まあカスト王太子のお小遣いは、国王の個人資産から出ているので――麦の収穫の八割方を租税として納めねばならない王領の領民の汗と涙と、砂を噛む思いの努力の結晶が、そんなことに使われていると知ったら業腹でしょうが(一般的に税率が4割だと「いい領主」と慕われ、6割だと「悪い領主」として領民が離れます)――私から文句を言う筋合いはありませんが、消耗品とはいえ高価な物品を頻繁にプレゼントしていたとなれば、通常の関係ではないと言っているのも同然で、ここは明瞭にしておかねばなりません。
「そ、その通りだ。余が親しい学友であり、苦学生であるカロリーナ嬢へ進呈したもの。王太子たる余の計らいである。問題あるまい! それをたかだか公爵令嬢が嫉妬に駆られて使えなくするなど言語道断。王家に対する反逆として、公爵家はお家断絶の上、領地と財産没収……そして一族郎党処刑する!!」
その驚天動地の宣言に、薔薇園全体が震えるような地鳴り――この場にいた全員の言葉にならない絶叫がこだましました。
『処す。この馬鹿に身の程を知らせてやる!』
ほぼタガが外れた護衛騎士のレオンを、ナディアが「王女殿下の許可が出てからです」と抑える(先送り?)して牽制しています。
ロクサーヌ嬢も私の意を酌んで、私の派閥の卒業生たちが殺気を放ちながら手元のナイフやフォークを手にし、足元の石などを握って、ナプキンで拳を縛り付け――威力が倍増して、野良犬程度は一撃で撲殺できるのですよね――いつでも戦える準備を完了したのを、率先して押しとどめる役目を買って出てくれました。
彼女はかなり有能ですわね。卒業後即座にとはいきませんが、数年まだ幼い弟妹たちの家庭教師をやっていただいて実績を積み、問題がないようでしたらぜひ私付の専用侍女のひとりになっていただきたいものです。
ともあれ、いつまでもこのまま彼らの暴発を押さえられるものではないでしょう。
この期に及んでいまだ自分が何をしたのか、どんな失言を放ったのか理解していないカスト王太子とその一派に、私は噛んで含めるようになるべく平易で幼児でも理解可能なよう努めて説いて聞かせました。
「まずは基本中の基本ですが、私は“公爵令嬢”ではなくて、“大公”の嫡女にして、メルキオルリ大公国のれっきとした“王女”ですが、ご存じない……訳はありませんので、お忘れですか?」
ちなみに『大公国』は国王ではなく貴族が国主となって統治する形態の国全般を指しますので、大公・公爵・侯爵・辺境伯までの身分であれば国主として認められます。
庶民などは割と間違って理解していますけれど、帝国≒皇国>王国>公国>首長国などという具合に、国の序列があるわけではありません。基本的に独立した国同士に序列というものは存在せず、すべて同等で国の代表同士どちらが上とか下とかないのが建前です(まあ帝国の場合、属国を治める諸侯王は明確に皇帝の下ですし、独立国同士であっても国力とか歴史とか、他国に対する影響力などで差別化はされますけど)。
そんなわけで公国であっても敬称は大公『陛下』であり立場は国王。そして次期継承者は『王子』『王女』と呼ばれるのでした。
なお、私を面と向かって『公女』と呼ぶのは微妙です。一般的に『公女』というのは、若い少女の目指す令嬢の到達点を指す美辞麗句ですが、私の立場でそう呼ばれるのは王女より一段下と公言されたも同然であり、悪意がなくてもに見下げられた……と判断できますから。
それをまあ、先ほどから頻繁に『公爵令嬢』『公爵令嬢』と繰り返してくださいやがりまして、カスト王太子は……。
その上、『お家断絶の上、領地と財産没収……そして一族郎党処刑する』って、これ明確に我がメルキオルリ大公国を見下し、宣戦布告をしたも同然で、事の次第を理解しているエーブリエタース王国の人間が恐慌と混乱の極みに陥っているのは言うまでもありません。
さすがの近衛騎士たちも国を亡ぼす元凶であるカスト王太子を、このまま放置しておくのはさすがにマズいと判断したのでしょう。速やかに拘束するために動き出しましたが、それをヴィクトワール王妃陛下が手を上げて止め、続いて畳んだ扇の先でカスト王太子を指して、同時に私に向かって、
『貴女がやられた分は溜飲が下がるまで好きなように。もうソレ必要ないので壊しても構いません』
と目配せを送ってよこしました。
はい、最高権力者の許可が出ました☆
そんな水面下でのやり取りなど頓着することなく、私の説明を聞いてもカスト王太子の横柄な態度は変わらず、
「ふん、公爵だろうが大公だろうが大して変わらん。たかが知れた差だろうが――うわっ!?!」
そう言い放った瞬間、槍が数本、うなりを上げてそのアホ面目掛けて飛んでいきました。
ご自慢の面相が柘榴のように弾けて、その無意味かつ害悪でしかなかった生涯を終えるかと思えたカスト王太子ですが、意外な反射神経でそれをギリギリのところで躱します。
「きゃあああっ、カスト様ぁ怖いぃ!」
同時に腰のあたりにしがみつくバッカラ準男爵令嬢。
『『『――ちっ!』』』
どこからか聞こえてきた舌打ちの声に、腰を抜かしかけた――バッカラ準男爵令嬢が背後から支えているというか、完全に盾にする気満々で押さえているため辛うじて立てている――カスト王太子が血相を変えて、衛兵たちに喚き散らしています。
「暗殺者だ! 王太子たる余に対する殺人未遂――これは謀反である! 謀反人を速やかに捕らえて……いや、この場で首を刎ねて殺せっ! そうでなければ貴様らを処刑してくれる!!」
困ったように顔を見合わせる衛兵たち。何人かの槍がないのは、誰かに奪われてカスト王太子目掛けて投げられたからでしょう。
唯々諾々と従った時点で、それを行ったのが身分のある高位貴族と言っているも同然でした。
「まあそれはそれとしまして――」
「何を他人事のように言っておるか!? これは国家転覆の事態だぞ!! ――っっっ! そうかわかったぞ、レティツィア公爵令嬢。貴様の手引きだな! 王太子たる余の婚約者の地位と寵愛を奪われると知って、愛しさ余って憎さ百倍。錯乱して余を弑逆せんと目論んだな!」
「やっぱり! さすがは悪役令嬢っ! 学園では巧妙に隠していたし、誰もが見て見ぬふりをしていたけど、とうとう馬脚を現したわね!!!」
ふたり揃ってやいのやいのと意味不明な罵詈雑言を放つカスト王太子とバッカラ準男爵令嬢。
「ともあれ、いままでの解説がまったく徒労であったことは理解しましたが……」
私はとりあえずまだしも会話が成り立ちそうなバッカラ準男爵令嬢に、改めて尋ね返しました。
「ところで大変素敵なお召し物ですが、それはもしや最近王都で評判のテイラーである『バカとハサミ』の仕立てでしょうか?」
派手というか、煽情的というか、毒々し過ぎるというか……淑女としては正気を疑う前衛的なセンスが売り物で我が道を行く、一部の同好の士である下級貴族や上流階級のドロップアウトした令嬢。そして、とにかく目立てばいい娼婦の間では大評判になっている――と、私でさえ名前くらいは知っているある意味有名店の名前を出すと、自慢げにバッカラ準男爵令嬢はそっくり返りました。
「その通りよ! 素敵でしょう。カスト様に贈ってもらったのよ。最高級の絹と天然宝石とリボンとレースをあしらった一着で大金貨50枚はする超高級品なのぉ」
『『『『『『大金貨50枚?!?』』』』』』
こんな悪趣味なドレスになると知ったら、繭を作った蚕もシルクを織った職人もやるせないことでしょう……。
それに繊維と言うものは高級になればなるほど細くなるので、最高級と呼ばれるものは着てみると寒いわ、繊細過ぎて洗濯メイドが洗ったら一発で駄目になるわ、体の細部まで浮き上がって裸で歩いているような塩梅になるわで、文字通り『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の典型です。
実用品としてはもう何段階かグレードを落とすのが常道。高ければいいというものではありません。
そして私同様に絶句するその場にいた卒業生たち。特に貿易商や大商人出身で、より金銭感覚がシビアな生徒ほど、バッカラ準男爵令嬢の言葉とカスト王太子のどんぶり勘定っぷりにショックを隠せないようです。
大金貨といえば流通金貨と違って貿易金貨とも呼ばれ、一度の貿易がこれ数枚で納まるという超高額硬貨です。貴族家と言えど当主以外はまず目にする機会はないでしょう。それを50枚も使ってドレス他衣装一式をあつらえて贈った!? 小城なら3~5個は建てられますほどの金額ですわ。
絶対にお小遣いで買える範疇ではありませんよね?
公金横領。王族と標榜しての詐欺。王家の宝物庫からの窃盗。
碌でもない想像が次々に浮かび上がり、卒業式に参加していた財務卿を筆頭に、いずれも最高学府を卒業したであろう天才中の天才、秀才中の秀才である高位官僚たちが、馬鹿のやらかしに敗北をして、膝から頽れて頭を抱える姿が哀れを誘います。
「確かに素晴らしいお召し物で圧倒されてしまいます……が、卒業式で着用するのはいささか場違いかと。なぜ制服を着ていらっしゃらないのですか?」
「…………」
私からの素朴な疑問に、これまでの展開でさすがに警戒したのか、押し黙ったバッカラ準男爵令嬢に代わってカスト王太子が脊髄反射で堂々と言い放ちました。
「こともあろうに貴様がカロリーナの制服を、嫌がらせでズタズタに切り裂いたからであろう! それで代わりとして誰にも見劣りしないドレスを余が進呈したのだっ」
最初の頃に罪状にあげていたそれを再び口にしましたが、まったくもって穴だらけの証拠と証言ですわね。
「制服を切り裂いた? それはいつのことでしょう?」
「いつ……あー、いつだ?」
「確か十日前だったかと。カロリーナ嬢が『ドゥルチスのケーキを食べたいわぁ』とのご希望で、店舗に赴いたのですが、あいにくの休業日で、癇癪を起されたカロリーナ嬢の機嫌を取るために、随分と散財したので――」
「「あ、あ~」」
カスト王太子に水を向けられた腰巾着の子息のひとりが、どうにか立ち上がってそう返答すると、他の者たちも微妙に苦い顔をしつつ、互いに手を貸し合って姿勢を正して同調しました。
「なによぉ! カロリーナと一緒にお茶して、買い物できたんだから喜びなさいっ!」
そんな彼らの態度に、頬を膨らませて抗議するバッカラ準男爵令嬢。
ま、仲間割れはそちらで勝手にどうぞ。問題は――
「十日前に制服を無残に切られて、代わりにそのドレスを購入された? 『バカとハサミ』は完全受注生産のテイラーですから、注文を出してからどんなに早くても二月から三月はかかるはずですが?」
「レティツィア王女様、それはいささか仕立て屋の実情にそぐわないかと。公式の場で着用する王女様のお召し物の場合、最初に廉価な――と言ってもシルクには違いありませんが――生地で試作を作り、何度も微調整を繰り返して本番の生地にハサミを入れますので、最低でも一年はかかります。それほどまでは行かないにしても、あの生地とドレスであれば半年は針子が総がかりで取り組まなければまず無理かと存じます」
すかさずナディアが私の推測の穴を埋めてくれました。
「ああ、それで『バカとハサミ』が何カ月もずっと閉じていたのね」
「てっきり潰れたのかと思ってた」
「一応、雑貨や小物は売っていたみたいだけど、新規の受け付けは断られたわ」
「なんか大口の注文が入っていて、それができれば他国に支店とか、景気のいいこと言ってたけど……」
併せて女性陣の間からもそれを裏付ける証言が次々と寄せられます。
「つまり、バッカラ準男爵令嬢は十日前に私に制服が切られるのがわかっていたので、事前に――数カ月前に代わりとなるドレスを発注するようカスト王太子殿下へおねだ……お願いをしていたということですわね」
「そ、そうよ。卑怯で陰湿なアンタのことだから、卒業式を台無しにするために制服をダメにするんじゃないかと、事前に予測してたのよ!」
私の追及に、ついに『アンタ』呼ばわりになったバッカラ準男爵令嬢が、半ば開き直りと破れかぶれの勢いで言い放ちました。
「さすがはカロリーナだな。なんという聡明さだ! まさに女神の如き神算鬼謀。将来の王妃としてまさに適任。それに比べてレティツィア、お前は駄目だ。先ほどから下らぬ揚げ足取りに終始して、無垢なカロリーナを貶めんとする悪鬼の如き所業。このような阿婆擦れと婚約者であったとは、余の一生の汚点であった。汚点は速やかに排除するに限るわ!」
天に唾するが如きカスト王太子の戯言。
この世に神がいるのでしたら即座に雷が落ちてくるところですが、生憎と神はお留守のようですので、最後まで私が引導を渡すしかありませんでした。
「……えーと、つまりバッカラ準男爵令嬢は千里眼で事前に制服が毀損されることを知っていて、その対策として代わりのドレスを準備していたと。それ予備の制服を買っておけばいいのでは? というかわかっていたのなら制服を厳重に管理するのが普通ですし、そもそもどこで制服が切り裂かれたのですか? 自宅の部屋とかでしたら、まず使用人や外部からの訪問者を疑うべきだと思いますけれど?」
隣国の王女が、いきなり面識もない準男爵家に押し入って、堂々と娘の制服をハサミで切り裂いて帰って行った……とか、実際にそんなゴシップがあれば、どんなに隠しても話題にならないわけがないのですが?
さすがに先ほどからの論理の跳躍に無茶があることに、薄々気が付いているのか落ち着かなげに視線を漂わせていたバッカラ準男爵令嬢ですが、
「心配はいらぬ。王太子たる余は真実の愛にかけてカロリーナの言葉に間違いがないことを確信している」
カスト王太子が彼女の腰に手をまわして抱き寄せ、無駄に前向きな発言とプリントが整っているだけの顔に爽やかな(何も考えていない白痴美形)笑みを浮かべて、バッカラ準男爵令嬢を後押しします。
地獄へ続く谷底へと。
10/4 誤字修正しました。
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