第三話 惟成の仲間たち、屋敷に来て天下国家を論じる
さて会合当日。五人の先輩方が夏姫の屋敷にやってきた。
南廂の客間に通す。が、誰一人として大人しく円座に座っていない。
勝手に庭にでたり、邸内を見て回っては、
「こちらが亡き致時どの(夏姫の父の名)のお屋敷ですか。
国破れて山河在り*。障子破れて桟ばかり。すばらしいですな」
鳥居障子の大和絵を売った後、桟に残っている下紙をみて茶化す。
夏姫は顔がかっと熱くなる。が、惟成は気にする様子もなく、にこにこ笑っている。
別の人は部屋の蔀戸を押し上げて、空を眺めている。
「忠輔どの。この屋敷の空にはなにが見えますかな」
だれかが尋ねると、
「お噂の橘はこれですね。よい実がなっております」
忠輔と呼ばれた人物が答える。
夏姫は髪を小袖の下に入れ込み、しびらをつけ、召使のなりで懸け盤を客間に運ぶ。
「皆様。主からのこころざしをお持ちしました。ぬるくならないうちに、お召し上がりくださいませ!」
と大声で呼ばわった。
あごの四角い、小柄で体のがっちりした人が、
「これはこれは。せっかくですからいただきましょう。皆さん席についてください」
皆を呼び集め、若竹を切って杯にしたものを手にする。
一口飲んでは、
「ありがたやありがたや なむあみだぶつ」
口の中で念仏を唱える。
それをきっかけに、会議が始まった。
夏姫が途中座を外して、ふたたび懸け盤を取りに戻ると、会議は終わってよもやま話になっている。
「それにしても、貧乏はつらいっ」
「まことにもっておっしゃる通り。なむあみだぶつなむみだぶつ」
「このなかで、一番出世の道に近いのは誰かな」
先ほど天を仰いでいた人物が、細い口髭をしごく。
「藤原為時どの(紫式部の父)ではございませんか」
「いえ、めっそうもない。わたくしごとき若輩が」
名指しされた男が、あわてて、口のまわりで手をひらひらさせる。
「出世株といえば惟成どのでしょう。なにしろ藤原兼家卿の従兄弟にあたるわけですし」
矛先をむけられた惟成はほほえむ。
「確かに従兄弟ではありますが。彼は私など目のはしにも入っておらぬようですよ」
「彼らは、兄弟で権力争いにきゅうきゅうとしておりますからな。とても、従兄弟とか、庶人の苦しみには目が向きませんでしょう」
「そこですよ」
念仏を唱えていた人が、やおら目を開いて話に入ってきた。
「とにかく、藤原北家には一族同士のいがみあいをやめて、他氏のもの、専門家の意見も聞いていただくようにしないと。
たとえばですよ。七曲の玉に糸を通すために、蟻の腰に細い糸をつけて、その糸の先にもう少し太い糸をつけて、反対側の穴の口に蜜を塗る。すると、蟻が勝手に穴を通っていくという話があるじゃないですか。
今、政権の頂点で争い合っているひとたちを、そんな風に導くことができればなあと、下官はつねづね考えておるのです」
「さすがは慶滋保胤どの。考えることの尺が違いますなあ」
一番年長の男が、腕をくんでうなずく。
「資忠どのはそうやって茶化されるが。菅原道真公はあなたの何代前のご先祖なのですか」
「私はひ孫ですから。三代前ですね」
「道真公が改革の実現をまえに太宰府に流され、失意のうちに亡くなったこと。我々はわすれてはおりませんぞ」
資忠という人、苦笑いしつつ組んだ腕をほどく。
「まあ、壁に正面からぶち当たれば、負けますから。長いものには巻かれつつ、少しずつ、こちらの意見も通すようにしていくのが望ましいのかと」
「自分で言うのもなんですが。我々大学寮の精鋭が、額を集めて話し合っても、これといった策も浮かばない。口惜しいかぎりです」
「保胤どの。念仏を忘れておられますよ」
誰かが注意をする。
「ああ、つい熱くなってしまって。失礼しました」
保胤どのは、ふたたび目を半眼にし、口の中でもごもご言い出す。
注意をした人が口を開く。
「保胤どののお怒りもごもっとも。わたくしだとて、今まで学んだことを、まつりごとに役立てたい。民が、安らかに暮らせるようにしてやりたい。やりたいが、どうしたらいいかはわかりません」
「高丘相如どののおっしゃる通りです。これからも機会あれば集まって、お話いたしましょう。よい知恵がでるやもしれませぬ。また、摂関家の勢力争いも、どう転ぶかわからないですしね」
「惟成どのの言うとおりですな。では、本日はお開きといたしましょう」
「みなさまがた、また後日」
帰りしなにも、ずうっと空を見たり、下を向いて念仏を唱えたりしている。転びはしないかと、夏姫ははらはらしながら見守った。
☆☆☆
その夜、夏姫は惟成に腕枕をしてもらいながら、
「今日来た皆さんはとっても、なんていうか、変わってらっしゃったわね。大学寮の人ってみんなあんななの?」
と聞いた。
惟成は、
「はっはっは、違いない。みんな、どこか変だよね。でも、漢詩をつくらせれば、今の日本では随一の人たちだよ」
と笑う。
夏姫は歌を詠めない、漢詩の良しあしはさらにわからない。もう一つ、気になっていることを聞いてみる。
「あなたが藤原兼家様の従兄弟というのは本当なの?」
「知らなかったの?」
惟成は驚きながら、
「そうだよ。自分の母と、兼家殿の北の方(時姫)が義理の姉妹なのだよ。母はじい様の本妻の子ではないので、つながりは薄いけどね」
と教えてくれた。
「ふう~ん。兼家様ってどんな方?」
「そうだねえ。
抜群に人当たりがよくって、俺なんぞに会っても気をそらさない。つねに陽気で、冗談をとばしてね。でも目は笑っていなくて、常に人を観察しているっていう感じかな」
「その方が天下を取ることがあるのかしら?」
「どうだろう。彼は師輔公の三男で、上に伊尹、兼通とまだ二人の実力者がいるからね。難しいのではないかな」
「そうなの。兼家様は庶民が疫病や洪水、物価高に苦しんでいることに目を向けてくれそうかしら?」
惟成は腕枕をはずし、寝返りをうって夏姫に背をむける。
「どうだろう。そういう話をしたことはないけど。おそらく庶民の苦しみには興味がないだろうね」
「どうして興味をもってくれないのかしら」
「難しい問題だね」
ふたたび惟成は寝返りをうち、夏姫に相対する。
「たぶん、目に入っていないのだろうね。人間、見えないもののことはわからないし、忘れてしまいがちだから」
「そう……」
夏姫は小さなため息をつき、仰向けになった。
どうしたら、みんなが疫病や洪水に苦しまず、幸せに生きられるのだろう。そう考えながら夏姫は眠りについた。
*中国の詩人、杜甫の詩「春望」の冒頭。
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