第二話 夏姫、東市にて「かれいい」と「あまづらみせん」を交換する
東市に近づくにつれ、行きかう人が増えてきた。
女の人の多くは、麻の小袖一枚に「しびら」のようなものを腰にまいている。身分のあるような人はその上に袿を重ね、腰の高さでしばって、裾が地面につかないようたくしあげている。
足元は草鞋の人、高下駄の人。
頭の上に、笠よりも幅の広い笊と、升を載せた人。あるいは、布につつんだ大きな荷物を載せ、うまいこと均衡をとって歩いている人。さらにその荷物の上に、市女笠をちょこんとのせている人もいる。
「わたしもあれ、やってみたいわ」
と乳母やに言うと、
「姫様ったらのんきなことを。市では絶対乳母やから離れないでくださいね。向こうから妙にぶつかってくる者は、十中八九、スリですから」
「まあ。ふところにはこの『かれいい』しかないのだもの。すった人はがっかりするわね」
夏姫が笑うと、乳母やは大きなため息をついた。
市は、毎日正午に開門し、日没時に三度の太鼓を鳴らして閉門する。
各区画が築地塀でかこわれ、、そのなかに小店が網代編みの壁を接して並んでいる。
店は間口が二つに分かれ、一方は土間(通り抜けられるらしい)、もう一方は板敷の床。
板敷に売り手が座り、下の半蔀をおろしてつっかえ棒をして見世棚とし、商品を並べてある。
よく考えてあるなあと感心しつつ、見て回っていたところ。ある店の御簾の向こうに座っている、男の人の狩衣の模様に目がとまった。
濃い藍色の地に、絞り染めで菊の花の輪郭を染め出してある。
「うわあ。その模様、とっても素敵!」
「えっ? ああ。これですか、別注品なんですよ。お客さんお目が高い」
店主の声はまだ若いらしかったが、さすがに愛想がよい。
「この模様どうやって染めますの」
夏姫は御簾ごしに服の模様を見さだめようと、できる限り背伸びをする。
「技術は難しくはないんですが、使い方と、やっぱり図案がね、新しいんですよ」
お値段を尋ねると、やっぱり、眼玉が飛び出るほどお高かった。
「高いかい?」
店主はすまなそうに言う。
「この手の絞り染めを作れる職人が、先の鴨川の氾濫で、ほぼ全滅してね。去年は疫病も流行ったし。お値段がむちゃくちゃに高くなってるんですよ」
「今どきは、なんでもお値段高くて、困りますわねえ」
乳母やが話に入ってくる。
「ほんとそう。しわ寄せは我々末端の商人に来るんですよ」
しょんぼりと下を向く夏姫に、店主が問いかける。
「お客さん、今日はいくらお持ちなんです? 話次第じゃ、相談に乗りますよ」
これこれこういうわけなんですと、きんちゃくに縫った布袋から「かれいい」を手のひらにだしてみせる。
店主はやおら腕を組み、
「『かれいい』ねえ。それじゃあ、草鞋も買えないんじゃないかなあ」
「そうですよね。御商売のじゃましてすいませんでした。またお金ができたら、まいりますから」
乳母やが夏姫の腕を袖ごとひっぱって、店から引きはがした。
「ちょっと待った!」
振り向くと、店主が土間側に体半分のりだして、手招きしている。
「こりゃあ、内緒なんだけどさ」
手のひらを丸めて口をかくすようにして、教えてくれた。
「市のわきに、堀川がある。そこ行って地面を掘ってみな。面白いものがでてくるから」
市の両側には「堀川」と「大宮川」という、商品を運ぶために作られた水路がある。
川には、一枚板を並べて杭で支えただけの板橋があり、子供が犬を連れて渡ろうとしていた。
白い麻の袖なしを着たやせた老人が、重たげな包みを片手にさげて歩いてきた。板橋のたもとまでくると、川水のなかにざらあーっつと中身を空ける。
すり減った銅銭をかろうじて糸でゆわえたものだった。
夏姫は、
「もし、そんなところにお金を捨ててよろしいのですか?」
と言ってしまった。
爺さんは白髪まじりの眉をしかめ、まぶしそうに夏姫たちを見る。
「お前さんなんだい。検非違使にかかわりのある者かい?」
「いいえ、関係ありません。通りすがりです」
「こんなにまですり減っちまっても銭は銭。お上は我慢して使えというが、俺ら市の者からすれば、使い勝手が悪いったらねえ。ときどき使い物にならなそうなやつを集めて、こっそり捨てているのさ」
「でも。銭を捨てたら、どんどん減っていって、御商売に困るのではないですか?」
爺さんは市女笠の下の夏姫の顔をすらっと見下ろす。
「お前さん、どこぞのお姫様かい? いまの市場はほとんど物々交換で成り立ってる。銭がなくっても困りゃあしねえ」
「この銭は、使いもんにならねえほど、すりへってる。後生だから、掘りだしてまた使ったりしないでくれよ。わかったな」
言い置いて、老人は銭をいれていた布袋をぱさっと肩にかけ、ひょこひょこと立ち去った。
その姿が、市姫神社の鳥居の向こうに消えたとき、乳母やが板橋のたもとにがばあっとしゃがみこみ、捨てられた鐚銭を素手で掘り出し始めた。
「何してるの? さっき、掘り出して使うなって言われたじゃない」
夏姫はあわてて、乳母やの肩に手をかける。
「姫さまったら本当に人がよい。沢山あるなかにはひとつかふたつ、使える銭があるはず。それを店に持っていけば、まともなものが買えましょう。
さ、姫様もぼうっとしてないで。ここからほどのよいものを探してくださいませ」
「えっ? あっあっ。そうね」
何百枚もあるうちから、二十枚ほど使えそうな銭を探し出し、市場に戻って竹筒に入った「あまづらみせん」と交換した。
読んでいただき、ありがとうございます。