表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/31

第二話 夏姫、東市にて「かれいい」と「あまづらみせん」を交換する

  東市に近づくにつれ、行きかう人が増えてきた。


 女の人の多くは、麻の小袖一枚に「しびら」のようなものを腰にまいている。身分のあるような人はその上に袿を重ね、腰の高さでしばって、裾が地面につかないようたくしあげている。

 足元は草鞋の人、高下駄の人。

 頭の上に、笠よりも幅の広い笊と、升を載せた人。あるいは、布につつんだ大きな荷物を載せ、うまいこと均衡をとって歩いている人。さらにその荷物の上に、市女笠をちょこんとのせている人もいる。


 「わたしもあれ、やってみたいわ」

と乳母やに言うと、

「姫様ったらのんきなことを。市では絶対乳母やから離れないでくださいね。向こうから妙にぶつかってくる者は、十中八九、スリですから」

「まあ。ふところにはこの『かれいい』しかないのだもの。すった人はがっかりするわね」

夏姫が笑うと、乳母やは大きなため息をついた。


 


 市は、毎日正午に開門し、日没時に三度の太鼓を鳴らして閉門する。


 各区画が築地塀でかこわれ、、そのなかに小店が網代編みの壁を接して並んでいる。

 店は間口が二つに分かれ、一方は土間(通り抜けられるらしい)、もう一方は板敷の床。

 板敷に売り手が座り、下の半蔀をおろしてつっかえ棒をして見世棚とし、商品を並べてある。


 よく考えてあるなあと感心しつつ、見て回っていたところ。ある店の御簾の向こうに座っている、男の人の狩衣の模様に目がとまった。

 濃い藍色の地に、絞り染めで菊の花の輪郭を染め出してある。


 「うわあ。その模様、とっても素敵!」

「えっ? ああ。これですか、別注品なんですよ。お客さんお目が高い」

店主の声はまだ若いらしかったが、さすがに愛想がよい。

「この模様どうやって染めますの」

夏姫は御簾ごしに服の模様を見さだめようと、できる限り背伸びをする。

「技術は難しくはないんですが、使い方と、やっぱり図案がね、新しいんですよ」


 お値段を尋ねると、やっぱり、眼玉が飛び出るほどお高かった。

「高いかい?」

店主はすまなそうに言う。

「この手の絞り染めを作れる職人が、先の鴨川の氾濫で、ほぼ全滅してね。去年は疫病も流行ったし。お値段がむちゃくちゃに高くなってるんですよ」

「今どきは、なんでもお値段高くて、困りますわねえ」

乳母やが話に入ってくる。

「ほんとそう。しわ寄せは我々末端の商人に来るんですよ」


 しょんぼりと下を向く夏姫に、店主が問いかける。

「お客さん、今日はいくらお持ちなんです? 話次第じゃ、相談に乗りますよ」

 これこれこういうわけなんですと、きんちゃくに縫った布袋から「かれいい」を手のひらにだしてみせる。


 店主はやおら腕を組み、

「『かれいい』ねえ。それじゃあ、草鞋も買えないんじゃないかなあ」

「そうですよね。御商売のじゃましてすいませんでした。またお金ができたら、まいりますから」

乳母やが夏姫の腕を袖ごとひっぱって、店から引きはがした。


 「ちょっと待った!」

振り向くと、店主が土間側に体半分のりだして、手招きしている。

「こりゃあ、内緒なんだけどさ」

手のひらを丸めて口をかくすようにして、教えてくれた。

「市のわきに、堀川がある。そこ行って地面を掘ってみな。面白いものがでてくるから」




 市の両側には「堀川」と「大宮川」という、商品を運ぶために作られた水路がある。

 川には、一枚板を並べて杭で支えただけの板橋があり、子供が犬を連れて渡ろうとしていた。


 白い麻の袖なしを着たやせた老人が、重たげな包みを片手にさげて歩いてきた。板橋のたもとまでくると、川水のなかにざらあーっつと中身を空ける。

 すり減った銅銭をかろうじて糸でゆわえたものだった。


 夏姫は、

「もし、そんなところにお金を捨ててよろしいのですか?」

と言ってしまった。

 爺さんは白髪まじりの眉をしかめ、まぶしそうに夏姫たちを見る。

「お前さんなんだい。検非違使にかかわりのある者かい?」


 「いいえ、関係ありません。通りすがりです」

「こんなにまですり減っちまっても銭は銭。お上は我慢して使えというが、俺ら市の者からすれば、使い勝手が悪いったらねえ。ときどき使い物にならなそうなやつを集めて、こっそり捨てているのさ」

「でも。銭を捨てたら、どんどん減っていって、御商売に困るのではないですか?」


 爺さんは市女笠の下の夏姫の顔をすらっと見下ろす。

「お前さん、どこぞのお姫様かい? いまの市場はほとんど物々交換で成り立ってる。銭がなくっても困りゃあしねえ」

「この銭は、使いもんにならねえほど、すりへってる。後生だから、掘りだしてまた使ったりしないでくれよ。わかったな」

言い置いて、老人は銭をいれていた布袋をぱさっと肩にかけ、ひょこひょこと立ち去った。


 その姿が、市姫神社の鳥居の向こうに消えたとき、乳母やが板橋のたもとにがばあっとしゃがみこみ、捨てられた鐚銭を素手で掘り出し始めた。

「何してるの? さっき、掘り出して使うなって言われたじゃない」

夏姫はあわてて、乳母やの肩に手をかける。


 「姫さまったら本当に人がよい。沢山あるなかにはひとつかふたつ、使える銭があるはず。それを店に持っていけば、まともなものが買えましょう。

 さ、姫様もぼうっとしてないで。ここからほどのよいものを探してくださいませ」

「えっ? あっあっ。そうね」


 何百枚もあるうちから、二十枚ほど使えそうな銭を探し出し、市場に戻って竹筒に入った「あまづらみせん」と交換した。


読んでいただき、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ