第一話 夏姫、婿殿のために家財道具を売る
夏姫はまず、夫の見た目をなんとかせねば、と思った。
惟成が前の奥方に捨てられたのは、文章得業生は下積みが長いせいもあるが、身なりが汚ないのも原因のひとつかも、と思ったのだ。
つるばみ色の狩衣は、洗って仕立て直したら、見違えるようにぱりっとした。浅沓は新しいのを買った。
朝、惟成が出かけるとき、
「これを履いて」
と差し出すと、
「イヤだ。前の沓が履きなれているから、あれを出してくれ」
「俺のことはかまってくれるな」
と抵抗する。
「古い沓は後ろがすりへって、踵がでてる。危ないですから」
夏姫がいくら言っても聞かない。
そこへ、乳母やが台盤所からひょいと顔を出し、
「あの沓、今朝、ご飯を炊くのに使いました。いやあ、よく燃えましたわ」
憎しみをこめて言い放つ。
「なんだってえ?! 人のものを勝手に燃やすという法があるか。それじゃあ泥棒じゃないか」
「だから新しいのを買って出してるじゃありませんか。黙ってお履きになればよろしいでしょ」
ふたりの言い合いを聞きながら、どうして夫は新しいきれいなものを嫌うのだろう、と夏姫は不思議に思った。
本人の言い分は、
「文章得業生はみんなこんな恰好だから、俺もこれでいいんだ」
ということだった。
が、しかし。惟成は学業のかたわら、大納言・藤原伊尹卿の屋敷(一条大宮院)に配属され、禄をいただいていた。
伊尹殿は藤原師輔公の長男で、和歌所の別当(責任者)を務めた和歌の上手。しかも乳母やが言うには『すごい美男子!』なのだそうだ。
そのへんの真偽はともかく、大貴族のお屋敷に出入りするのにみっともない恰好ではよくないと夏姫は思うのだ。
もちろん費用は安くないし、食費も三人分になって、生活は苦しくなった。
几帳や屏風、二階厨子。鏡や鏡箱。母の形見の筝の琴。火桶。はては鳥居障子に描いた大和絵まで、とりはずして売った。
父の本を売ったときには、ことのほか恨まれた。
惟成のためにと思ってやったことに、感謝されるどころか、文句を言われることが多く、
「夫婦って、こんなものなのかなあ」
夏姫は悲しく思った。
☆☆☆
屋敷のなかにしつらいがなくなり、四方が壁だけになったころ。惟成が、
「慶滋保胤殿に、次の打ち合わせにこの屋敷を借りたいと頼まれた。どうかな。客を四、五人招いてもいいだろうか」
と言ってきた。
「場所をお貸しするのは構いませんが。なにもおもてなしができないのですが」
夏姫が正直に言うと、惟成は、
「なあに、みんな貧乏には慣れっこだから。気を遣うことなんかないんだよ」
と言う。
夏姫が困っていると、
「保胤殿は大事な先輩で、日頃お世話になっているから、なにか恩返しをしたいんだ。俺の顔をたててもらえないか」
手をあわせて拝まれては仕方がない。
「よろしゅうございます」
了承してしまった。
さて、夫はああ言っていたが、お客様になにも出さないなんて、亡き母にどんなに怒られるかわからない。
夏姫はなにか売れそうなものはないかと、屋敷中を探した。すると、厨に、ご飯粒を干して『かれいい』にしたものが升に一杯あった。乳母やは洗い物のとき、ご飯粒をきちきち拾って、取っておく性分なのだ。
「これ、売ってもいい?」
乳母やに見せると、
「『かれいい』ですか……。正直、市場で直接交渉しても、買えるものがあるやら」
と、浮かない顔だ。
「あら。市場では、直接売り手と交渉できるの?」
夏姫が聞くと、
「ええ、できますよ。でもねえ、強盗、スリなんかもいますから。姫様が行くところじゃあありません」
「そうなの……」
夏姫はいったん市場を諦めた。
次の日、夏姫は、母の形見の絵巻物を唐櫃から取り出し、つくづくと眺めた。
今、母の形見といえるものは、この絵巻物四巻と、庭の橘の樹しかない。
巻物それぞれを何度も開いたり巻いたりして、ためつすがめつする。でも、やっぱり、どうしても、どれ一つとして手放す気にはなれなかった。
夏姫は、
「恐ろしいけれど、市場に行ってみよう。頼めば乳母やもついてきてくれるはず」
と思った。
厨にいた乳母やに、
「わたし、市場に行ってみようと思うの」
というと、
「やっぱりですか」
「あ~。こうなると思ってた。まったく姫様ときたら、本当に人の言うことを聞かないんだから。誰の教育が悪かったのかねえ」
と言いながら、市場行きの準備をはじめた。
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