第五話 夏姫、藤原惟成に庭の橘の花を贈る☆
さっそく乳母やに相談する。
「惟成という方は、なにやら頼りない」
「線が細すぎる」
「乳母やの好みじゃあありませんね」
さんざん文句を言いつつ、どこかからくちなし色の薄様を二枚も手に入れてきてくれた。
庭の橘の、花や蕾がたくさんついた枝を選んで切り、トゲもていねいに取って、破かぬように薄様につつんだ。糸で根元をくくると、どこへだしても恥ずかしくない贈り物ができあがった。
近所の使い走りを請け負ってくれる者に頼んで、西隣に届けてもらう。
しばらくすると、帰ってきた使いの者が、
「お返事です」
といって、橘の葉っぱ一枚を差し出した。
見ると、小刀の先のようなものでひっかいた、小さい字が書いてある。
「くま? くまざりし、いでのさとなる はななれど」
くまざりし井手の里なる 花なれど
これは、下の句をつけて返してほしいということかと、夏姫にもわかった。が、そんな高等な技術はもとより夏姫にはない。
しかたがないので、乳母やを呼ぶ。
「乳母や、乳母や。ちょっと来て。惟成様からお返事が来たの」
「なんですか。また和歌ですか。乳母やはそういうことは苦手で」
しかめ面をしながら、葉っぱに書かれた細かい字を読み上げる。
「くまざり、し いでのさとなる はななれど
はあ。井手の里には熊が去ってしまっていない、ということですかね」
顔を上げ、夏姫を見る。
「違うわよう。下句をつけて返事をしてほしいということなの。お願い、乳母やも返事を考えて」
「ええっ。乳母やは風流ごとはわからないんですってば」
まったくあてに出来ない。
なにか手掛かりはないかと、あつぼったい橘の葉をためつすがめつする。そういえば、「井手の里」というのは、以前いただいた文にも書いてあったと気がついた。
母の二階厨子のなかから前の文を取り出して、つきあわせる。
なになれや いふに勝れる花の色も 井手の里人 こころくまねば
くまざりし 井手の里なる 花なれど
「最初の歌の花は山吹なんだけれど、あとの歌の花は橘なのよね」
そういえば、母がくれた『伊勢物語』の絵巻物のなかに、「花橘」の歌があった。
この歌には悲しいお話がついていて、夏姫は子供心にその話が好きだった。
さっそく唐櫃から絵巻を取り出し、すうっーと広げて、問題の個所を探す。
「あったあった。これよ」
『五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする』(伊勢物語六十・花橘)
この歌をもとに工夫すれば、どうにか下の句がつくれそうだと夏姫は思った。
父が残した二段重ねの硯箱に向かい、じゃまな髪を耳はさみにし、うんうんいいながら一刻半(約三時間)以上も考えた結果、
『誰ゆえ折れる袖のしるべぞ』
というのができた。微妙に上の句と合ってない気もしたが、これ以上のものは今の夏姫には作れない。
くちなし色の薄様に書いて、結び文にしてお隣に届けさせる。
すると、先方からさっそく返事があった。
「吉日をみはからって、うかがいます」
吉日。 吉日ってなに? 結婚ってこと?! こんなにすぐ?
あわてて乳母やに手紙を見せると、
「そりゃあ返事をすれば結婚ということになりますよ」
覚悟ができていたのか、落ち着いている。
「そうなの……。わたし、こういうこと初めてだしわからなくて」
「姫様に恥をかかせぬよう、乳母やもできるだけのことはいたします。なにごとも、男性のなさることに任せておけばいいですから。お気を楽にしてことにのぞんでくださいまし」
二段重ねの硯箱&後ろは大和絵の鳥居障子@風俗博物館
(この場面は光源氏がくつろいでいるところだそうです。夏姫たちの家はもっと質素だと思われます)




