第三話 夏姫、古今和歌集を探す
夏姫はまず市場に行って、多奈菊丸さんに古今和歌集の出物がないかたずねてみた。
菊丸さんは、俺と結婚してくれるっていう話はどうなったの?と言いつつ、知り合いの古物商に声をかけてくれた。
「古今和歌集はさ。みんな欲しがるから、なかなか市まで出てこないって。状態のいいもの、字が美しいものならなおのこと貴重でね。手付金をいただければ、探しておくっていわれたけど。どうする?」
ということだった。
「あの口ぶりじゃあ、お値段も相当するね。どなたか知り合いに本を貸してもらって、自分で写したほうが早いんじゃない? というか、貴族の皆様はみんなそうしてるってことだけど」
「……そうですよね」
帰り道、夏姫は自分の草履の鼻緒を見ながら、古今和歌集を貸してくれそうな人が知り合いにいるかしらと考えた。
こういうとき、乳母やは伝手をたどって、ほしいものをどこからともなく手に入れてくれた。あれは魔法のようだった。けれども、乳母やはもういない。自分の力でやるほかない。
夏姫はとりあえず、親戚から知り合い、顔見知りといったほどの人にも、古今和歌集をもっていないか、貸してくれそうな人はいないか、たずねて回った。
持っている人は多かったが、貸してほしいと頼むとなんやかんや理由をつけて断られた。
和歌を読むときの手引きにしたり、子供の習字の見本にしたり、なにかと便利な本であるらしかった。
そのうちに、盛り上がるようだった緑の若葉が、赤くなり茶色くなり、やがてはらはら散って、地面を覆った。
もう高い手付を払って古物商を頼ろうかと思っていたやさき、古今和歌集を貸してもいいと言う人があらわれた。
高階業舒という人だった。
夏姫にとっては名前も知らないほど遠い知り合いだったが、選り好みできる立場でもない。さっそく、四条に住んでいるその方に手紙を書いて、正式に古今和歌集の貸し出しをお願いした。
二、三日後、五十歳くらいの従者らしき男性が、返事をもってやってきた。
古今和歌集貸し出しの件、了承いたしました。つきましては某月某日、未の刻(午後一時~三時ごろ)、お手数ですが屋敷にいらしてください。全巻そろえてお貸しいたします。
と書いてある。
字が上手なうえに、墨色が黒々として、はっきり目に映る。良い墨を使っておられるらしい。
字間がつまりぎみだが、ひらがなの「し」などの縦の線がまっすぐ下におりていて、読みやすい。
夏姫は感心しつつ、承知いたしましたと返事を書いて、手紙を持ってきた人に託した。
☆☆☆
四条の高階の屋敷は、夏姫の屋敷の倍くらいある。
東門から入ると中門廊(家来や出入りの者が通される廊)があり、夏姫はそこから、
「お願いでございま~す」
と声をかけた。
何度か声をかけると、奥から
「おおおおお~い」
のような返事があり、先日手紙を持ってきた人が顔を出した。
「藤原惟成の妻でございます。古今和歌集を借りに参りました。ご主人様はご在」
皆まで言い終わらないうちに、
「あっ、少々お待ちくださいませ」
と言って、
「若様、若様~」
と呼ばわりながらどこかにいってしまった。
沓脱で立ったまま待つこと五、六分。先の人がふたたび現れ、
「お待たせいたしました。業舒が待っております。ささ、どうぞお通り下さい」
という。
対の屋の簀子を通って、寝殿の南廂に通される。南廂中央の間に御簾がおろされ、その前に円坐がひとつ出してある。
御簾の向こうでは、誰かがどたばたしながら着替えている様子である。
「こういうときは直衣と烏帽子でいいの? 失礼じゃない?」
「大丈夫ですって。若様は働かないから世事にうとくなるんです。だから、無理をしてでも仕官しろって大殿が言ってたのに、若様ときたら」
「あのなあ。その若様っていうのもうやめない? 三十歳過ぎてるんだから」
「いーえ。七十過ぎても八十過ぎても、若様は若様でございます」
「……お前いくつまで生きるつもりなんだよ?!」
なんだかんだ言いつつ、相手はようやく、御簾ごしの夏姫の対面に座った。
「高階業舒と申します。以後お見知りおきを」
両手をついて頭をさげる。夏姫も、
「藤原惟成の妻でございます。この度は貴重な本をお貸しいただき、ありがとうございます」
と頭を下げた。
「聞いてもよろしいでしょうか。藤原惟成といえば和漢兼才、花山朝の政治をひとりで回した切れ者とうかがっております。ご出家なさったそうですね。
その奥方がなぜいまごろ古今和歌集をお探しなのでしょう」
いきなり本題に切り込んでくる。
「長い長い、お恥ずかしい話でございます」
まず、自分の父親が、娘に読書を禁じたこと。沢山あった蔵書も、惟成を婿取った際、生活に困って売ってしまったこと。惟成が出家したら、なぜか結婚の申し込みが殺到し、でも返事ができなくて困っていること。惟成に相談したら「古今和歌集を全部暗記してはどうか」と言われたことを話した。
「そうですかあ。惟成殿ほどの方がそうおっしゃるなら、なにか意味があるのでしょう」
相手は御簾の下からそっと、冊子を差し出す。
「わが家の古今和歌集です。お役に立ちますでしょうか」
夏姫は手に取って頁をめくってみた。近年書写されたものか、紙も新しく、しみ汚れも少ない。
「とっても読みやすいですわ。ありがたいです」
ぱたんと冊子を閉じ、両手で拝むようにした。
「そうですか、よかった。いちおう全二十巻用意しておりますが、今日持って帰られますか」
と問われ、
「はい、そのつもりで、布も大きいのを用意してきました」
夏姫はふところから布を取り出し、簀子のうえに広げる。
「二つに分けた方がよいでしょう。いやむしろ、四つにわけて、二人でもって両手に下げるか。おい、奥方様の従者はどこだ」
と業舒が、隣にいるらしいさっきのおじさんに尋ねる。
「従者はおりません。ひとりで来ましたから」
夏姫が言うと、
「はあ。では馬かなにかで?」
と業舒。
「いいえ、歩いてきました」
と夏姫が答えると、
「エ~ッ?!」
「ここまで?!」
「おひとりでですか?」
男二人が声をそろえて叫ぶ。
「もしかして、ひとりで二十巻、かついで帰るおつもりだったんですか?」
「そうです」
夏姫が答えると、また二人で、
「え~~~~~っ?!」
と唱和する。
御簾の向こうで、額をつきあわせてごしゃごしゃ二人で相談したあげく、
「わかりました。わが家の牛車を出します。お使いください」
と言い出した。
「まあ、そんなことしていただいては困りますわ」
夏姫が辞退すると、
「いえ、送ります。送らせてください」
「重いものを一人でかついで、落として汚されては困りますから。我々に送らせてください」
駄々っ子をなだめるように言われては、夏姫も牛車に乗らざるをえなかった。
さっきまで雨覆いがかかっていたらしき網代車が、南庭までひきだされる。飴色の牛が、白砂に生えている草を見つけ、食べ始める。
従者さんは夏姫と荷物とを手際よく車に積み込み、自分も乗り込んだ。
牛飼童が「シィー」という掛け声とともに、ぴしっと牛に鞭をくれる。車がごとごと動き出した。
夏姫は、揺れ防止のための取っ手につかまり、中引の薄い帷ごしに従者さんの側頭部をながめる。
「ああいう人をひとり雇えば、馬で移動できる。市場に行くにしてもなんにしてもすごく楽になるわ。あの人、うちに来てくれないかしら」
などと考えていた。
屋敷につくと、またありがたいことに、従者さんが部屋の中まで本を運び込み、二階棚に巻数順に重ねて置いてくれた。
「なにからなにまで本当にありがとうございます。こちらはわが家の井戸の水、けっこう評判いいんです。よかったら飲んでいってください」
竹を切ってつくった杯を差し出す。
「いただきます」
従者さんは沓脱の上の簀子に腰をかけ、水をごくごく飲む。そののどぼとけをみながら、夏姫は意を決して話しかけた。
「あの。失礼ですが高階のお宅ではどのくらいのお給金ですの? もしよかったらうちで働いてもらえませんか」
従者さんはにっと笑って、手の甲で口をぬぐう。
「ありがとうございます。よく同じようなお申し出をいただくのですが。私は若様の乳母の夫でして、あの家をはなれることはできないのです。申し訳ございません」
夏姫は、なぜ自分がこの人を引き抜きたいと思ったかわかった。
「ごめんなさい。わたししばらく前に、長年仕えてくれた乳母を亡くしましたの。それで、あなたのような方がうちにいてくれればと思ったのですわ。失礼をいたしました」
「謝られることではありませんよ。従者の引き抜きはよくあることですし」
従者さんは竹の器を両手で囲うように持ち、落ち着いた様子で言う。
「それに、私がここで勤めるより、あなたが四条の、高階の屋敷に来るというのはいかがでしょう」
「ええっ?」
意外な申し出に夏姫はとまどう。
「わたしは不調法で、和歌も詠めないし、料理もできません。いまは仕立物で生計を立てておりますから、それ専門の女房としてならお役にたてると思うんですが」
「いや、そういう意味ではないんです。失礼いたしました」
従者さんは、竹の杯を簀子におき、狩衣のすそをはらって、立ち上がった。
「いやあ、この人は手ごわいぞお。よっぽど若様の尻をたたかなければいかんな」
従者さんは意味のわからないことをいいながら、ふたたび牛車に乗り込んだ。
牛飼童が待ってましたとばかりに、牛に鞭をくれる。牛車は車輪をギコギコ言わせながら、北門を出て行った。
四条のお屋敷は大きいけれど、仕立物専門の女房をやとうほど人が多いようには見えなかった。せっかくの働き口を逃して、残念だった。
でも、部屋の中では、先ほど運び込まれた古今和歌集たちが、人待ち顔で夏姫を見かえしている。
「そうね、苦労のすえせっかく手に入れたのだもの。いまはこれを全部覚えることが肝要だわ」
それで和歌が詠めるようになるかはわからなかったが、とりあえず今は、やってみるほかない。夏姫はじぶんの頬をぴしゃぴしゃとたたいて、気合を入れた。
読んでいただき、ありがとうございます。




