第九話 藤原道兼(兼家三男)、天皇に出家をほのめかす
年明けて寛和二年(九八六年)三月。
中納言になられたばかりの藤原義懐卿が、飛香舎のわが曹司に顔をだした。
「ようやくつかまえたよ。最近は行くところが増えたと見えて、捕まえるのも大儀になってきた」
のっけから私をからかいながら、畳の上に座る。
御用はなんでしょうかと尋ねると、
「新婚早々のあなたには申し訳ないが、宿直の回数を増やしてもらえないだろうか」
という話だった。
聞くと、最近帝は、自分でもしきりに念仏を唱えたり、山科にある元慶寺の厳久という僧を呼んで、清涼殿の「二間」で説法をさせているのだそうだ。
しかし、自分のまわりには昔から熱心な念仏者が多い。その筆頭がほかならぬ慶滋保胤
殿で、自分も文章生のうちから保胤殿について比叡山の僧と交流している。
「帝は、熱しやすく冷めやすい方です。しばらくしたらまた他のことに興味を移されるのではないですか」
「そうだといいんですが」
義懐殿の顔は暗いままである。
「どうしたのです、なにが不安なのですか」
押してたずねると、
「藤原道兼殿が、
『妻子珍宝及王位』『臨命終時不随者』
(妻子・珍宝・王位がいくら大事でも、死ぬ時には持って行けない『大集経偈』)
ということばを書いた蝙蝠扇を持って、うろうろしているのです」
という。
道兼というのは右大臣・兼家公の三男で、職階は蔵人・左少弁。私から見れば、色黒で愛想の悪い、人好きのしない若者だが。年が近いせいか、帝とは話が合っているようだ。
「ううむ。でも、道兼殿の信仰や、扇を禁止することはできないですねえ。公序良俗に反する詞でもないですし」
そうなんですけどね、と言いながら義懐殿は、自分の膝をぴしりと打つ。
「でも、懐妊したまま亡くなった女人は、一人で亡くなったものより罪が深いという話を帝にしたのも、道兼殿のようです」
私はここで曹司の天井を仰いだ。黒い簗が白い天井に浮かんで見える。
「ああ。その説も聞いたことがあります。女の方にはとてもつらい、残酷な話ですが」
「嘘ではないとしても、ちょっとどうかと思います」
義懐殿は、指貫の脛の紐を右手でもてあそぶ。
彼の心配もわかるが、帝は女や馬、歌合が大好きな、子供っぽい青年だ。出家の心配はなさそうに思える。
「それで、どうしましょう」
「今のところ、道兼殿になにか注意したりはできません。ただ、帝は情緒不安定なところもありますし。うっかり出家したりしないよう、惟成殿も気を配ってくださいませんか。宿直の回数も増やして下さるとありがたい。私も宿直を増やしておりますが、たまには家にも帰りたい」
「あいわかりました。義懐殿だけにご心労をおかけして、申し訳ない。心がけましょう」
鳥居障子を引きあけて、出ていく義懐殿を見送る。
そうは言ったものの、私も蔵人と権左中弁と左衛門権左(検非違使佐も兼ねる)を兼ねており、多忙であった。
それに服装の世話はどうしても小萩に頼らざるを得ない。
満仲邸に赴けば、最近おいでが間遠になったが小萩お前婿殿に飽きられたのではあるまいな、心して仕えねばダメではないか、それ婿殿に酒をもて多田から今朝届いたアレを持ってこいとあたかも竜宮城のようなもてなしをうける。どうしても帝のおそばで宿直できる日は限られた。
読んでいただき、ありがとうございます。




