第六話 惟成、五節舞の日に、昔の妻の妹に会う
「はい、左から二人目の子。腕をもう少し上げて。正面から袖の模様が見えるように。そうそう。では、楽師のかたがた、『乙女さびすも』のところからもう一度。はい♪」
舞師(大昔{といっては失礼か}に舞姫を務めた女性)が指示をだす。小師(助手)が飛び回って、舞姫たちの手の向きなんかを直して回る。
舞はゆっくりとした簡単なものだが、衣装は重いし、それにそもそも舞姫たちはみんな子供だ。五人息を合わせるのはなかなか難しいようだ。
九八五年、十一月。今日は五節舞・帳台の試(本番前に五節の舞姫が常寧殿で練習をする日)。
今年は大嘗祭なので、舞姫は五人。
髪上げをして、額の上でいちょうの葉のかたちにふっくらと結い、根元に「宝髻」という金の透かし彫りの飾りをつける。白糸で組まれた「日陰のかずら」を、肩につくくらいの長さで左右に四本ずつ垂らす。
舞姫たちの背丈より長い「比礼」「裙帯」、山藍でとびとびに模様がすってある白い小忌衣。舞う姿は、本当に天女のようだ。
しかし、隣で見ている帝は、今年は気がのらないようで、早く終わらないかなという顔をしている。
今年七月に、最愛の妃であった藤原忯子殿を妊娠七か月で亡くし、それ以来お元気がないのだ。妊娠中の妃に無理を強いて、結果としてお腹のお子ともども亡くしてしまった。
忯子殿は、誰も後ろ盾がいなかった帝に最初に入内してくれた妃だった。それゆえに愛着と、後悔の念は深いようだ。
それより、私には気になることがあった。舞台下に控える、舞姫のつきそいの女房の一人に、どことなく見覚えがあるのだ。
☆☆☆
節会のあいだ、常寧殿には、舞姫たちの仮設の控室(五節所)が作られる。立てまわされた御簾や几帳のすきまから、女房たちの衣の端や、話し声がうかがわれる。
「今回の行事蔵人をおおせつかった藤原惟成です。なにか困ったことはございませんか」
巡見がてら、声をかけてまわる。
御簾の向こうから声がかかる。
「惟成さま? 藤原惟成さまでしょうか」
大昔に聞いた覚えがある声。でも、記憶のなかの声より張りがある気がする。
「はい、さようです。どなたさまで」
「私、念子の妹でございます。その節は姉がお世話になりました」
念子とは昔、私が最初に結婚した女だ。うだつのあがらぬ文章得業生だった私を見切り、ほかの男と結婚した。そういえば年の離れた妹がいたようないなかったような。
「これはお懐かしい。御姉君は息災ですか?」
「はい。今は、夫の国替えについて、陸奥にいっております」
「へえ~、陸奥。随分遠いところに。どうでしょう、手紙などは来ますか」
「ええ、ごくたまに」
「そうですかあ、へ~え」
この女の姉は私を捨て、赤子だった息子を容赦なく寺に入れた。当時はずいぶん恨んだし、ひがみもした。
しかし、年月が恨みを癒してくれたのか。妻にくっついていた「乳母や」なるバアさんに、すりへった浅沓とともに焚きつけにされ、燃えてしまったのか。いまはぼんやりとした記憶となって、頭の後ろに残るだけだ。
「でもねえ、残念ながら姉は、男を見る目がなかったですわね。まさか惟成様が『五位の摂政』と呼ばれるほど出世なさるとは」
「ははは。代表として下官の名が出ているだけで、実際は一人で国が回せるわけはありません。帝、それから支えてくれる多くの仲間がいてこそです」
「まあ、ご謙遜ですのね」
御簾ごしに話をしていると、
「なになに、誰?」
「えっ、惟成? ってあの三事兼帯の?」
周囲に人が集まってくる。
「こんなところで立ち話もなんですね。あとでお手紙を差し上げてもよろしいですか」
と尋ねると、
「ええ、もちろんですわ。ここでは『小萩』と名乗っております」
色よい返事が返ってきた。
「では後日。積もる話はまたそのときに」
と言いおいて、別の舞姫の控室に向かった。
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