第四話 資忠、惟成の曹司にて、干し魚をあぶる
本日は、飛香舎東廂の自分の曹司に、菅原資忠殿をお招きした。菅原資忠殿は現在左少弁で、大学頭もしてもらっている。
「土産に干し魚をお持ちしました。惟成殿が腹を減らしていると、保胤殿から聞きましたので」
陸奥紙の包みを懐より出して、手渡される。イワシの干し魚が五本入っていた。
「このような粗末なものではお口にあいますまいが」
「なんの。最近は忙しすぎて、ろくろくものを食べる暇もありません。なによりの心遣いです」
干し魚をざらっと皿にあけ、酒のはいった銚子も文台の上に並べる。
資忠殿はじいっとこちらの顔をみつめる。
「お忙しいのはわかります。が、身体を壊しては元も子もありませんぞ。たまには家に帰って身体を休めなくては。奥方も心配なさっているのではないですか」
「家を出るにあたり、改革が実現するまで帰れない、と妻には申し渡してきました」
資忠殿が畳の上で安坐に直る。
「惟成殿。女というものをどう考えておられるのですか」
「女は、強いようで弱いものです。たまには帰って、なだめたり愚痴をきいてやったりしないと。家にかえったら、居場所がない、ほかの男が入ってきてる、てなことになりかねませんぞ」
「そんなものでしょうか」
「そんなものですよ」
「面倒ですな」
資忠殿は手酌でかわらけに酒を注ぎながら、のどの奥で笑う。
「わかりました。改革の結果が出ましたら、折をみて家に帰りましょう。ところで、いまのところ、反応はいかがですか?」
資忠殿は、指をならす。
「芳しくありませんねえ。我が先祖、道真公の改革は、八十年以上前のことです。その時と今とでは状況が変わっている、という意見がもっぱらです」
「そうですか。下官も今、民部省(財政・租税一般を管轄)に行き、そこの者たちに話を聞いておるのですが」
「いかがでしたか」
「それが、みなはかばかしく本音を言ってはくれません」
「そうでしょうなあ。人に信頼してもらうには時間がかかるものです」
資忠殿は、火鉢の炭に干し魚をさしだす。炭のしんとした匂いと、魚のヒレが少しずつ焦げていく匂いをかぐと、たまらなくお腹がすいてくる。
「延喜の土地制度の改革の時、道真も、民部省の者たちと相当議論したと聞いております」
「そうですか。どうしたらいいのでしょう」
資忠殿は、まあ一献と言いつつ、私の盃に酒を注ぐ。
「惟成殿、焦っていますね。
焦ってはだめです。少しずつ味方を増やして、みんなの知恵を集めるのです。でなければ、また道真公の二の舞になります」
資忠殿が去った後、一刻ほど書類の処理に没頭していたところ、誰かが鳥居障子のむこうでわあわあ言っている。障子を開けると、
「ちょっと、惟成の弁殿。変な匂いがしますよ。なにか焦がしているでしょう」
どこかの女房殿が、眉毛を逆立てる。
あわてて部屋を見回すと、先刻、資忠殿が炭火にくべた干し魚の残りが、ほぼ黒焦げになっていた。あらららら。
「ごめんなさい。魚の干物を炭火で焼いたのをすっかり忘れていました。火事にはなりませんからご安心ください」
平謝りに謝ると、女房殿はぷりぷりしながら去っていった。
読んでいただき、ありがとうございます。