第三話 慶滋保胤、惟成に「意見封事詔」の草案を見せる
大内記・慶滋保胤殿が飛香舎東廂の杉の遣戸からひょっこり顔をだした。
「惟成殿、お時間よろしいですか」
「あっ?! はい。結構ですよ。片づけますので少々お待ちを」
保胤殿は、鳥居障子の鶴の絵をまばたきしながら見つつ、対面の紫端の畳に安座する。ごそごそと懐からなにかを取り出した。
「こちらは差し入れの干し果物です。
そして、これは『意見封事の詔』の草案です。ご意見をお聞きしたく」
「あっ、もうできましたか。早いですね」
「意見封事詔」とは、国家の重要な政策について、天皇が勅旨をもって臣下の意見を求めることである。
立て文を受け取り、懸け紙の上下の折目を開く。丸みのある、それでいて竜が翻るような勢いのある文字が、目に飛び込んでくる。
文章も素晴らしい。韻を踏み、中国の故事をふんだんに引いてある。そのすきまから、保胤殿の志が踊っている。
ほかの誰にもかけない、保胤殿だけの文章だ。
「さすがです。この文章を読めば、今の世の中をどうにかしたいという気概が少しでもある者は、自分の考えを世に問うてみたくなるはずです」
「惟成殿は口がお上手だ。それに何度乗せられたかわからない」
保胤殿は、冠の下の後頭部を笏で掻く。
「いいえ。我々こそ、保胤殿に乗せられて、いや、引きずられてここまで来たのです」
この方を見ていると、なぜか自然に微笑まれる。なぜだろう。
「それはおかしい。私だけではないはずです。
皆さん各々、ご自分に影響をあたえた人をお持ちのはず。私以外にもね」
保胤殿にはめずらしく、むきになって反論される。
「そうかもしれません。でも、保胤殿と同じこの時に生まれ、この事の時に親しくしていただけた我々は、本当に幸せだと思っておりますよ」
反論しても無駄と思ったか、保胤殿は文台の上の草稿に視線を戻す。
「それで? 草稿のほうはいかがでしょう」
あっ、そうだった。改めてもう一読してみる。
「下官が保胤殿の名文に付け加えることなどありません。このままでよろしゅうございましょう」
草稿を懸け紙につつみ、つつしんでお返しする。
「では、清書に回します」
「お願いいたします」
保胤殿が帰った後、畳のうえに、紙包みが残っている。開いてみると、干し棗、松の実、くるみが数個ずつ入っていた。
棗をつまんで、種のまわりにある果肉を歯でこそぐようにして食べる。カシュカシュっとした歯ざわりとともに、じんわりとした甘さがすきっ腹にしみわたった。
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