第一話 惟成、雪の日に作文会を催す☆
年明けて寛和元年(九八五)一月十日。
昨日の夜から雪が降り始め、朝には五寸(約十五センチ)積もった。
雪というのは不思議なものだ。積もると音がなくなる。清浄そのものの世界に見える。例え、長年皆がお互い同士を陥れあってきた権謀術数の中心であっても。
一面の雪をみて、帝は無邪気に喜んでいる。まだ十七歳とはいえ、妃も三人めとられた。そろそろ子供っぽさが抜けてもよいのだが。
そうはいっても国事万事節約のため、帝や妃方には多方面で不自由を強いている。申し訳ないと思うことも多い。
この日は、弘徽殿にて弓の競争があったあと、藤原中清朝臣(藤原為雅の息。道綱母の甥)が『陵王』を舞った。
すかさず、後涼殿の南壷に雪山をこしらえた。
楽人と文人とを呼び、急ごしらえの作文会(漢詩を作る風流の催し)を差し込もうという計画だ。
雪山の南側に台盤と、草墪人数分を置いた。雪の白に、台盤の朱と、草墪の紺が映える。
文人は内御書所につめている
右中弁・菅原資忠殿、
蔵人式部丞・藤原為時殿、
大内記・慶滋保胤殿、
くわえて、外記・高丘相如殿らを呼んだ。
どなたも、本朝ではならぶもののない漢詩人。天皇に詩を献ずるにふさわしい。
皆が漢詩を作っている間、楽人たちが管弦を奏でる。
寅の刻(午前四時)、
蔵人頭である藤原実資殿を読師とし、文台に皆がおいた詩を集めてもらう。それを下官が読み上げ、会はお開きとなった。
急ごしらえの催しだったけど、皆寒さに耐えてよく協力してくれた。十七歳の天皇に、漢詩の良さが伝わったであろうか。
清涼殿見取り図
(服藤早苗著『平安王朝の五節舞姫・童女』p16,の図に加筆しました)
【巻三第十一話関連】
橙の線→藤原兼家の動線
緑の線→惟成の動線