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小菊の言の葉詠み  作者: 潮見
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春を詠う

 まだ夜が深く濃い、不思議に満ちていた頃。


 四方を海に囲まれ豊かな自然に満ちた国・豊葦原(とよあしはら)。美しい四季に彩られたこの国では、霊力という不思議な力を使うことができる人がいる。その中で、霊力を込めて詩歌を詠むことができる人のことを”言の葉詠み(ことのはよみ)“と呼ぶ。彼らがひとたび詩歌を詠めば、聴いた人々の心に様々な情景を描き、時に天候を変え、今は亡き人との縁すら繋ぐことができるという。古都北斗に店を構える九重酒造を興した小菊(こぎく)一族は、言の葉詠みとして知られている。彼らは仕込んだ酒に詩歌を聴かせ、ほかにはない一風変わった酒を販売している。味はもちろん、その珍しさや酒に込められた霊力を求めて、都の貴族たちから遠く離れた他国の交易商まで、人ならざる存在ですら買い求めるという。


 やわらかな薄紅の花びらが風に踊り、山々が濃淡をつけた桜色に染まる麗らかな春の頃。九重酒造の若旦那は酒蔵の中を注意深く歩き回っていた。酒蔵には大小さまざまな酒壷が所せましと並び薄暗さも相まって、酒壷を倒さないように慎重に足を運ばねばならない。蔵の番人である藤基(ふじもと)と一緒にお目当ての酒壷を蔵の外まで運び出した時には、二人とも軽く汗をかいていた。井戸の水で顔を洗い一仕事した達成感に包まれた若旦那は、心地よい陽気を目を閉じ全身で受け止めた。

「ふう、なかなか大変だったけど、なぜだかすごく満ち足りているよ。」

「このような肉体労働、愚弟がいれば若旦那のお手を煩わせることはなかったのです。申し訳ありません。」

 手拭いを若旦那に差し出した藤基は大柄な体を几帳面に曲げ頭を下げた。藤基には藤隆(ふじたか)という弟がおり、兄弟で酒蔵の番人をしている。先日怪我をした藤隆は現在休養中であった。

「藤基が気にする必要はないよ。藤隆にはしっかり休んで元気になって戻ってきてもらおう。さて、そろそろ酒壷を運ばないといけないね。藤基、お願いできるかい。」

「はい、承知いたしました。」

 詩歌を酒に聴かせる作業はひどく時間がかかるため、広い敷地の中にある庭の一角に作られた特別な舞台で行う。そこまで毎回酒壷を運ばなければならないのだが、優美な物腰の御曹司である若旦那は力不足である。一方、藤基は不届き者が酒を盗まないよう番人をする酒蔵から離れることができない。そこで毎回お手伝いと称して呼ばれるのが、藤基が使役している虎のあやかしである。藤基が首に下げている小さな竹笛を吹くと、どこからともなく同じ縞模様の甚平を来た少年たちが藤基の前に整列した。少しだけ年上の子が、せーの、と掛け声をかける。

「親分、若旦那、こんにちは!」

「はい、こんにちは。」

 愛らしい挨拶にほほ笑む若旦那に対し、藤基は頭を抱えた。

「こら、お前たち!若旦那の前で親分と呼ぶなと何度も言っているだろう!」

「えー、だって親分は親分だもん。ね?」

 一番年下の子がそういうと他の子も、うんうんとうなづいて見せる。その様子に藤基は大きなため息をついた。俊敏さと力強さを合わせた虎であることには変わりはないのだが、まだ力が弱く子どもの姿しか取れない。そして、人間の子どもと同じく、落ち着きがない。きちんと整列していたのもすっかり崩れ、少年たちは藤基にわらわらと群がって好き勝手遊び始めた。

「こら、まずは手伝いが先だ。若旦那も笑っていないで助けてください。」

「ふふ、藤隆がいないと藤基もこの子達にはお手上げだね。ほらほら、お手伝いをしない子には甘いおやつは出してあげないよ。」

 すっかり参った様子の藤基を楽し気に眺めていた若旦那が一声かけると、少年たちはぴたりと遊ぶのを辞め元のきれいな一列に戻った。

「はあ、まったく藤隆のやつめ。早く戻ってこなければ、無理やりでも連れ戻さなければ。」

「藤基、怖いこと言わないで。ほら、この子達が待っているよ。」

「若旦那、さては楽しんでますね。全く人が悪い。まあ、それは良いとして、お前たち!いつもの通り、この酒壷を台車に乗せろ。そのあとは若旦那の指示に従え。」

「はーい!」

 元気に返事をした少年たちは、てきぱきと酒壷を台車に運び始めた。酒がたっぷり入った重たい壷も少年たちは軽々と持ち上げていく。あっという間に台車に酒壷を積み終えた。

「親分、終わったよ!」

「……よし、よくやった。それでは、若旦那。あとはいつもの通り、こいつらは若旦那の指示に従います。同行できず申し訳ありません。」

「藤基がいなければ酒蔵を守る人がいなくなるじゃないか。毎度のことだけど、気にしないでいいからね。それじゃあ、虎の子たちを借りていくよ。」

「お気をつけて。お前たち、ちゃんと若旦那の言うことを聞くように!」

「はーい!」

「ふふ、それじゃあみんな作業場まで出発!」

「しゅっぱーつ!」

 心配する藤基をよそに虎の子たちは元気に台車を押し始めた。若旦那は藤基に軽く手をふり、そのあとをゆっくりと追いかけた。


 春のぽかぽかした日差しの中、虎の子たちは楽しそうにおしゃべりをしながら台車をすいすいと押していく。

「お手伝いのたびに思うけどさー、やっぱり若旦那は弱そうだよねー。」

「やっぱり親分みたいに逞しくて強いほうがかっこいいよねー。」

「でも、若旦那の側ってあったかくて居心地良いよね!」

「わかるー!だから若旦那も大好きー!」

 幼い虎の子たちは無邪気に好き勝手言うのを、当の若旦那は微笑ましく聞いていた。もしこの場に主人である藤基がいたら、きっと頭を抱えただろう。若旦那は穏やかな気持ちで虎の子たちのおしゃべりに耳を傾けた。そうこうしているうちに、作業場である舞台が見えてきた。周囲に植えた桜がまるで薄紅色の雲に見える。桜の雲の間から、五色に染めた旗が軽やかにたなびいていた。

「はいはい、みんなもう少しで着くから、か弱い僕のために頑張って運んでおくれ。」

「はーい!五色の旗までぜんそくぜんしーん!」

 虎の子たちは元気よく返事をし、台車を一層力強く押した。がたがたと揺れる酒壷を心配したのか、どこかで鶯が大きな声で鳴いた。


 薄紅色の桜が風に舞い、そして舞台の上に絨毯として積もっている。虎の子たちは舞台の側に台車を停めると、さっと整列した。みんな目を輝かせ、中にはしっぽがぴょこんと出てしまっている子もいる。そわそわと待つ虎の子たちに若旦那は笑みを隠せなかったが、こほんと咳をひとつした後。

「よしよし、みんな頑張ったね。それではこれでお手伝いはお終いだ。あとは自由に帰りなさい。それと、この割符を厨房に持ってお行き。」

 若旦那は一番年上の子に木彫りの割符を手渡した。九重酒造では報酬を支払う際、割符を使う。厨房には同じ割符があり、渡せば食べ物がもらえるようになっている。虎の子たちへの報酬はもっぱら甘いおやつだ。

「今回はみんなの好きな菓子処の羊羹だよ。」

「やったー!蓮華ちゃんのお菓子だー!」

好物のお菓子が報酬だと知った虎の子たちは、大はしゃぎで風と一緒に姿を消した。虎の子たちがいなくなるとあたりは急に静かになった。鶯の鳴き声や風の音がよく聞こえる。さあっと風が桜の花びらを若旦那に振りかけていった。

「さて、それでは仕事にとりかかろうかな。」

肩に残った花びらをつまみ上げ、そっと風に戻すとふわりと舞い上がり近くの草むらに飛んでいった。すると、花びらをつかもうと草むらから真っ白な猫の手がにゅっと出てきた。

「おや、そこにだれかいるのかな?」

若旦那が声をかけると、雪のように真っ白な子猫が一匹おずおずと姿を現したのだった。

次回から詩歌の紹介予定です。

若旦那が登場する「秋興 紅葉の酒」もよろしければあわせてご覧ください。

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