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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

逃飛行

作者: 望月 紫桜

 ある夏の暮れ。普段と変わらない足取りで、私たちは家路へとつく。たわいのない話をし、ふざけ合う。そんなことを繰り返していた。今日も何事もなく一日が終わろうとしていた。別れを告げ、小さく笑い合う。何度も、何度も繰り返してきた光景。これが当たり前のものであり、日常生活の一部であった。別れの時に必ず口にする。それが決まりのようなものへとなっていた。

「また明日」

「うん、また明日」と声を掛ける。家へ入っていく葵の姿を眺めながら、小さな約束を噛み締めていた。


 一日のすべきことを終え、部屋のベランダから空を眺める。人数の多い街、人工灯に満ちた外には何もない。瞬く星、未来への希望も見当たらなかった。

「これから、どうなっていくんだろう」

激動の高校三年生の夏、自分の未来へと向かって進み始める時期。どうにも、その実感は湧いてこない。何をしたいのか、何を目指しているのか。簡単に見えなくなってしまう星々と同様、自分自身のことを理解していないようだった。思考することにも嫌気が差し、意識を夢の中へ逃避させた。


 着信音で目が覚める。携帯の画面に表示された着信履歴に目をやると葵の名前があり、留守番電話も残されていた。時間は次の日を指そうとしている。嫌な予感を覚え、彼女が残した音声を再生した。

『ずっと話したいと思っていたいことがあるの。優花に嫌われるかもって悩んだ。聞いてくれるのなら、このまま流し続けて欲しい』と細々しい声が流れてきた。彼女の声は震え、虚ろな瞳を浮かべる少女の姿が見えた。

『私はずっと苦しんでいたことがあった。それに耐え続ける気力はないし、人を信用することにも疲れた。この気持ちを他の人に相談したこともあった。だけど、私の心が弱いからと話を聞いてくれなかった。優花に言って否定されるのが怖かった。友達のままでいたい。この関係を壊したくない。だから、私はこの道を選んでしまった。こんな私と一緒にいてくれてありがとう』

相手の動きが停止する。声や布ずれの音もしない。おぞましい恐怖が目の前に現れた。幼い頃からずっと共にいたにも関わらず、今回ばかりは葵の気持ちが読めない。襲いかかる不安に身を震わせながら、次の言葉を待った。


 しかし、それは叶わなかった。物が落下する音が電話越しに伝わり、通話が切れた。身震いし、冷や汗までも出てきた。血の気が引いていく感覚が鮮明になる。気がつけば、外に足を踏み出していた。


 葵からメールで送られてきた場所は人通りの少ない廃ビル街であった。次第に震え、息遣いも荒くなっていく。こんなにも何かを知りたくないと思ったのは初めてだ。だが、引き返す理由もなかった。一歩、二歩とゆっくり歩み出す。すると、水音が響いた。

「な……に……」

足元に目を向ける。アスファルトが紅に染まり、徐々に広がっている。その先を見なくてはならない。最悪の結末であるのか、まだ救いが残されているのか。葵には生きて欲しい。どんな苦しい状況にあったとしても、一緒に乗り越えていきたい。


 わずかな期待も裏切られた。血塗られたアスファルトの中心部に葵の姿があった。飛び降りたのか、数時間前に見た顔は原型を失っていた。私個人の想いなど気にも留められていないようだ。どうして、彼女がこのような目に合わなくてはならなかったのだろうか。問答を繰り返す。それでも、私は何も答えを得ることはできない。死人に口なし、言葉を発さない人に問いかけても返ってくるものはないのだから。降りしきる雨に打たれながら、ぼんやりと少女の亡骸を眺めていた。


 後になって知ったことだが、葵には死を選ぶ理由があったらしい。幼少期に母親に裏切られ、家庭内でのいざこざが勃発した。自身の不満を解消する為、親は子へ虐待していた。塞ぎ込んでしまった彼女は逃避することを望んだ。苦痛でしかない、この世で生きることから。笑顔の裏には想像もつかない闇が隠されていた。しかし、世間は葵の死を甘えだ、命を粗末にしたと罵った。だが、悩んだ末に出した幸福が自分の死であっただけだ。自分で納得してしまったのなら、他者が介入する余地はない。


 それでも、葵の死は私の責任でもある。彼女を取り巻く環境に気づくことができなかった。いや、知ろうとしなかった。逃避していたのは葵ではない、私なのだ。私が動いていれば、最悪の結末を回避できたのではないだろうか。もう、後戻りすることはできない。

『死ぬことは逃げなのかな?』

葵が飛行した日にメールで送られてきた問いかけ。それに対して、私は何も思いつかなかった。だからこそ、私は今も探している。自分を殺すという行為の正当性、意味を。逃避であったとしても永遠の安らぎか、苦しみか。人の力で証明できないからこそ、思考し続けるしかない。空想論を繋げていき、理想の形にする。はたして、人間は自殺を善と悪のどちらを取るのだろう。きっと、私が生きている間には決着がつかないことだろう。私一人だけでも、自身の答えを見つけたい。


 あれから、毎年決まった時期に廃ビルへと足を運ぶようになった。葵が最期にいた場所、私の中に残された光景を忘れないように訪れる。何も変化することはない。事故物件と名が広められた建物の解体は一時停止、再開する見込みもないようだ。

「葵、今年も来たよ。だけど、まだ私にはわからない……」と呟く。誰にも届けられることのない言葉、自身に問いかけていた答えを確かめる。彼女の死さえもまだ受け入れることができず、前に進めずにいる。きっと、長い年月をかけて答えを見つけていくのだろう。自問自答を終え、現場から目を背けようとした。


 その刹那、忘れかけていた日々が蘇る。共に歩いた道、たわいのない会話。他人から見ればつまらないものであっても、今となっては奇麗な想い出であった。見上げると、彼女が飛び降りた屋上がある。同じことをすれば、葵の後を追いかけることができるかもしれない。だが、私にはそれをする勇気もない。生きたい、と思う瞬間がある限りは死という結末を選べない。生きたくても、最後まで生きれなかった葵への冒涜になってしまいそうだから。踏み外しそうになる心を戻し、家路へとついた。

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