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09:クライヴの苦悩

 レイモンド公爵家の家紋が刻まれた馬車がハトルストーン公爵邸を出立して三時間ほどが経過した。

 もうじき目的の王都に着こうかという頃、車内は静寂に包まれていた。

 クライヴは眼前で静かに座るフィオナを眺めながらここまでの道程を振り返る。


 車内ではほとんど会話がなく、クライヴが何か話題を振っても「そうですね」「凄いです」「なるほど」といったフィオナからの簡単な言葉で終わってしまう。

 コミュニケーションはどちらか一方の努力だけでは成り立たない。

 会話の受け手が話を弾ませようとしなければ、萎んで消えてしまう。


 クライヴは彼女が疲れているのだろうと思ってそれ以降あまり話しかけないように静かに過ごした。

 人によっては気まずいと感じるかもしれない車内の雰囲気を、しかしクライヴ自身は痛痒を感じていなかった。

 どころかこの上なく幸福を覚えていた。


 すっと目を伏せて足下に視線を落としているフィオナをクライヴは見つめる。


 社交界の場でよく目にするような豪奢で立体感のあるドレスではない、控えめに整えられた黄色のドレスに白のケープ。

 長い黒髪は丁寧に編み込まれ、彼女に似合う髪型に仕上がっている。

 名のある貴族の令嬢にしてはどこか慎ましやかな、優しい雰囲気を醸し出す居住まい。


 そんなフィオナを眺めているだけで胸は温かくなり、この上ない幸福を覚える。

 この静寂さえも、心地よく感じられる。


 できればもっと言葉を交わしたいところだが、そう焦ることもない。

 今日一日は長く、そしてこれからもまだ時間はある。


(とはいえ、制限付きの時間だが……)


 お茶の席でフィオナが口にした言葉を思い出す。

 自分の求婚を受けてくれたのは場を治めるためのものであり、婚約を破棄する可能性がある――という厳しい言葉。

 好きになってもらえるように頑張るとは言ったが、さて、どうしたものか。


 ひとまずありのままの自分を知ってもらうべきだろう。

 そう考えながら不意に車窓に目を向ければ、そこはクライヴのよく知る街道だった。


「フィオナ嬢、そろそろ着くみたいだ」

「――っ」


 クライヴが静かに声をかけると、フィオナはゆっくりと視線を上げた。

 窓の外を眺めた彼女の表情が微かに明るくなったことに気付き、クライヴも頬を緩める。


 馬車は、オースティン王国の王都を囲む城壁へと進んだ。



     ◆ ◆ ◆



 クライヴたちを乗せた馬車は王都の城壁を抜けると、馬繋場の近くの広場で一度停車した。


(さて、どうしたものか)


 馬車が停車したことを不思議がるフィオナをよそに、クライヴは少し焦っていた。


 三時間という行程は決して楽なものとはいえず、どこかで休憩を挟むことを考慮して少し早めにハトルストーン公爵邸を出立した。

 しかし、道中でフィオナが休憩を求めることもなく、訊ねても「大丈夫です」と応じるものだから馬の休憩を除けば休むことなくこの王都まで来てしまった。

 本来であれば王都についてすぐに昼食をとり、その後予約しておいた演劇を観賞する――という流れだったのだが、思わぬ空き時間ができた。


 クライヴはどうしたものかと焦りながらも、それを外には出さないように努める。

 情けのないところを見せたくはなかった。


 クライヴはわざとらしく咳払いをしてから、余裕そうな態度でフィオナへ問いかける。


「昼食まではまだ時間がある。フィオナ嬢は何か見たいものや行きたい場所はあるかな?」

「特にはありませんわ。あまり王都に詳しくありませんもの」

「……そうか」


 フィオナからも提案がないとすると、自分で考えるしかない。


(宝石店……衣服屋か?)


 女性が好きそうなものを思い思い挙げてみる。

 折角のランデブーだ。

 何か贈り物を選ぶというのもいいかもしれない。


 ……しかし、それは自分本位の考え方ではないだろうか。

 そもそも婚約を破棄するかもしれない相手からいきなりプレゼントをもらって、彼女はどう思うだろうか。

 物で釣っている、と捉えられるかもしれない。


(ダメだダメだダメだ。こうしていると要領の悪い男だと思われてしまう。ひとまずどこか適当な場所へ――)


 クライヴが脳内で思考を巡らせていると、突然背後の壁がトントンと叩かれた。


「ご主人、いつもの場所へはお寄りになられないのですか?」


 御者の男からの声だった。

 レイモンド公爵家の跡継ぎであるクライヴには専属の馬車と御者が与えられており、男はクライヴが馬車に乗る際いつも手綱を握っていた。

 当然クライヴが王都に来た際どこへ寄っているかも知っている。


「いつもの場所?」


 思考の波を乱されて固まっていたクライヴをよそに、男の言葉を聞いたフィオナが興味ありげに訊ねてくる。

 クライヴは慌てて口を開いた。


「ああいや、今日はやめておこう。フィオナ嬢も一緒だからな」

「わたくしのことでしたらお気になさらず。先程も言ったように王都には明るくありませんから、クライヴ様に行きたい場所があるのでしたらそこで構いませんわ」

「いや、しかし……」


 クライヴは渋面を浮かべる。

 正直なところいつもの場所へ足を運びたい気持ちはある。


 が、いかんせんあの場はランデブーには不向きと言えるところだった。

 フィオナが気にしていなくとも、あの場にレディを連れていくというのは気が引ける。

 しかし、他に行く当てもないのも事実で。


 クライヴは悩んだ末、フィオナの目を見て口を開いた。


「では、少しの間貴方の時間をいただこう」


 クライヴは御者に指示を飛ばし、馬車はゆっくりと進みだした。

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