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03:公爵令息クライヴの求婚

 まだ日が昇る前の薄闇に包まれた早朝。

 普段であれば屋敷の清掃や業務の準備のために動き出した使用人たちが発する音が静かに響き渡る時間。

 しかし今日はこの時間から屋敷内は慌ただしい喧騒に包まれていた。


 忙しなく屋敷内の廊下を行き交う、燕尾服を纏った執事たち。

 高価な調度品を慎重に運ぶ大柄な体躯の男。

 屋敷の敷地内の庭園を見て回る庭師。

 パーティーホール内のシャンデリアの準備をするメイド。


 そう。今日はフィオナの誕生日パーティーが催される。

 アリシアはすれ違う同僚に挨拶を交わしながら鼻歌を歌っていた。


(ようやくフィオナ様が社交界デビューされるっ)


 彼女の社交界デビューをただの侍女に過ぎないアリシアが何故ここまで喜んでいるのか。

 これまで影武者として彼女の代わりにパーティーへ出席することが大変だったというのもある。

 そのことから解放されることへの喜びが少し。


 そして何よりアリシアがフィオナに仕えたこの二年間で友情のようなものを育んでいた。

 アリシアの一方的なものではなく、恐らくはフィオナも。

 友達がようやく晴れ舞台に出るとあって、喜ばないものはいない。


 アリシアは上機嫌のままフィオナの私室の前に立ち、扉を丁寧にノックした。

 フィオナの御側付きであるアリシアはいつも彼女を起こす役目も担っている。


 パーティーの準備があるということもあって、普段よりは少し早い時間。

 部屋からの返事はなく、アリシアはもう一度だけノックすると、左手に持つ燭台を落とさないようにゆっくりと扉を開いた。


「おはようございます、フィオナ様っ。……フィオナ様?」


 ぱぁっと明るい声を室内に投げかける。

 視線は天蓋付きのベッドへ向けつつも窓際へ歩み寄り、近くのテーブルに燭台を置いてから触り心地のいいカーテンを開ける。


 窓を開け、外の空気を取り込んでからベッドに向かったアリシアは、訝し気に首を傾げた。

 ベッドの中には人の気配がなく、代わりに何やら一枚の手紙が置かれている。

 嫌な予感が脳裏をよぎったアリシアは慌てて燭台を手に取ると、手紙を蠟燭の灯りで照らす。


「『アリシアへ。ごめんなさい。パーティーが終わる頃には帰ります。探さないでください』」


 手紙に書かれていた文字を一言一句声に出しながら、アリシアは口の中が急速に乾いていく感覚を抱いた。


 よく見ればベッドの上にはもう一つ。

 アリシアが以前にも影武者をしたときに髪を黒に染めた染料が入っているガラス瓶。


「……………………」


 アリシアは一度手紙から目を逸らして天井を見上げる。

 それから一度大きく息を吐いて、再び手紙に視線を落とした。


 書かれている文面は、やはり今し方読み上げたものと寸分の違いもない。

 次の瞬間には、アリシアは部屋を飛び出していた。



     ◆ ◆ ◆



「アリシアさん、頼みたいことがあるのだけど……」


 フィオナが逃げ出したことがアリシアの口から伝えられると、ハトルストーン公爵家の屋敷内は大騒ぎになった。

 パーティーの準備をしている人員をフィオナの捜索に回ることとなったが、一向に見つけられず。

 いよいよ招待客が続々と現れるという時間になって、アリシアはギルバートとアビゲイルの二人に呼び出され、執務室に足を運んだ。


 部屋の最奥に置かれている重厚な机に座るギルバートと、その前に置かれているソファに座るアビゲイル。

 現れたアリシアに、アビゲイルが縋るような表情で言って来た。


 この状況で公爵家当主とその夫人に呼び出され、頼み事があると言われた。

 それが何なのか、アリシアは薄々勘づいていた。


「フィオナの代わりにパーティーに出席してもらえないかしら」


 やっぱり、と。アリシアは内心でため息を零す。


 今回のパーティーはハトルストーン公爵家が主催し、一人娘であるフィオナの社交界デビューとして対外的に周知されている。

 そんな場で肝心の本人が現れなければ他の貴族から白い目で見られることは避けられない。

 何よりフィオナの経歴に取り返しのつかない傷がついてしまう。


「頼む」


 当主であるギルバートが席を立ち、アリシアへ深く頭を下げてきた。


「そ、そんな。顔を上げてください」


 アリシアはあたふたと手を振って焦りながら葛藤する。


 先週、フィオナに話した通りアリシアとて社交界デビューを控えている。

 もちろん子爵令嬢であるアリシアはフィオナと比べて主役になるというわけではないし、一度や二度で顔を覚えてくる人は少ない。

 何よりも染料で髪を染めれば同一人物であると結びつくことも容易ではない。


(それにお二人も困ってるみたいですし……)


 二年も住んでいればハトルストーン公爵家に情も抱く。

 何よりアリシアは公爵家の人間が皆好きだ。

 困っているなら力になってあげたい。


 縋るようにこちらを見てくる二人の視線を受けて、アリシアは一度目を瞑って胸の前で小さく手を握る。

 数秒の葛藤の後、アリシアは目を開くと二人の顔を見て口を開いた。


「わかりました。お引き受けします」



     ◆ ◆ ◆



 この一週間を振り返っても、目の前の光景に変化はない。

 アリシアの視界には変わらず片膝をついて右手を差し出してくる美丈夫、クライヴの姿が映る。


 過去を振り返って現実逃避をしても自分……というよりフィオナが求婚されている状況は変わらない。


(わ、わたし、どうしたら……っ)


 視線を彷徨わせてギルバートたちの姿を探す。

 その過程で会場の視線が一身に集まっているのを感じながら、アリシアは二人の姿を認めた。


 周囲を取り囲む観衆の中、ギルバートたちは困り顔でこちらを見ていた。

 視線が交差すると同時にアビゲイルは申し訳なさそうな表情を浮かべる。


 どうしたらいいんですか~という念を送り続けると、ギルバートが意を決したように小さく頷いた。

 頷いて――そのままこちらをじっと見つめてくる。


(え、た、助け船はないんですか? その頷きはなんの頷きなんですかっ)


 頭で文句を言いながらも目の前のクライヴに視線を戻す。


 クライヴは一向に返事をしないアリシアを不安げに見上げていた。

 子犬のようなその眼差しにアリシアは一瞬固まる。


 徐々に、会場内の観衆がざわめきたち始めるのを感じていた。

 このまま何もしないわけにもいかず、かといってクライヴの婚約を断れば公爵家同士の関係が瓦解するかもしれない。


 ……たぶん、さっきの頷きは求婚を受けろという頷きだろう。きっとそうだ。

 アリシアは無理やり自分を納得させると、なるようになれの精神で強張った顔になんとか笑顔を浮かべた。


「よ、喜んで」


 笑顔と共に差し出されている右手の上にそっと手を乗せる。

 するとクライヴはぱっと満面の笑顔を浮かべ、そっとアリシアの手の甲にキスをした。


 会場内から湧き上がる喝采。

 公爵家同士の婚約を喜ぶ声。


 すっと立ち上がったクライヴが嬉しそうな柔らかな笑みを向けてくる。


「ありがとう、フィオナ嬢」


 愛情を感じられる甘い声に胸が高鳴るのを覚えながら、アリシアは他人事のように思う。


(こうなったのも全部フィオナ様のせいなんですから、わたし、知りませんからねっ)


 もう二度とフィオナの影武者にはならない。

 アリシアは今度こそ強く決意した。

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