25:トラウマ
「フィオナ様、失礼します」
クライヴとの話を終えて洋館に戻る頃にはすっかり遅くなっていた。
アリシアは無礼を承知でフィオナの泊まる部屋をノックする。
少し遅れて扉が開き、中からフィオナが現れた。
「なんですの、こんな時間に。明日の建国祭で必要な知識はもう詰め込んだはずでしてよ?」
「お話があります」
「……その様子ですと、何かあったみたいですわね」
アリシアの態度にフィオナは彼女を部屋へ招き入れる。
公爵令嬢に与えられた部屋だけあって調度品の類も多く、広い室内。
応接用のソファまで置かれている。
アリシアとフィオナはそこに座った。
そしてアリシアは先程中庭で起きた出来事の一部始終を話した。
話し始めはフィオナも動揺してたものの、次第に落ち着きを取り戻し、最後の方にはリラックスしていた。
アリシアの話が終わると、中庭で正体を明かされたクライヴのような笑い声を上げた。
「それじゃあわたくしたちは自分たちでいばらの道に突っ込んでいたというわけね」
「……そう、なります」
「でもよかったじゃない。結果的にこれですべてが丸く収まるわ。クライヴ様にバレた以上、もうアリシアがわたくしに扮する必要はないもの。明日の建国祭、わたくしはわたくしとして、アリシアはアリシアとして出席すればスコット何某に付け入る隙はないわ」
飄々と、心からそう思っているかのようにフィオナは言って見せる。
だが、アリシアはスコットとの会話の内容をまだ彼女に伝えていなかった。
「フィオナ様」
「何よ、そんなに深刻な顔をして。貴方だってクライヴ様の恋の相手が自分でよかったって思ってるでしょ?」
「っ、それとこれとは別ですっ」
まるで内心を見透かしたように言われ、アリシアは顔を赤くする。
それよりも大事なことがあった。
「フィオナ様。本当にパーティーに出席されて大丈夫なんですか?」
「どういう意味かしら?」
気丈に応えながらも、僅かに動揺しているのが見て取れる。
「スコット様に聞いたんです。……五年前、フィオナ様が社交界の場で倒れたことを。もしかして、今もまだそうなんじゃないですか?」
「貴方はわたくしよりもあの男のことを信じるの?」
「……違うと言えますか?」
フィオナの瞳をジッと見つめる。
彼女は視線を彷徨わせ――やがて観念したように俯いた。
「確かにわたくしが社交界の場で倒れたことは事実よ。……今もそうなる可能性があるってことも。わたくしの誕生日パーティーの日、わたくしは本当に出席するつもりだったの。だけど朝になって眩暈と腹痛と頭痛が襲ってきて……庭園の納屋に逃げ込んだら楽になったわ」
「どうして、教えてくれなかったんですか」
「教えたら、貴方わたくしを止めるじゃない」
「それは止めますよ! だって、倒れるかもしれないんですよねっ?」
フィオナが何か事情を抱えているであろうことは薄々勘付いてはいた。
だけどまさかこれほどのものだとは思っていなかった。
……いいや、思うべきだったのかもしれない。
でなければ公爵家の令嬢が当日になって自分の誕生日パーティーから逃げ出すはずがない。
アリシアの必死の言葉を聞いたフィオナはゆっくりと首を左右に振った。
「じゃあ、貴方はこのまま一生わたくしの代わりを続けるつもりかしら?」
「っ、それは……」
「遅かれ早かれ、変わらないといけなかったことよ。そしてそれはもう今しかない。……わたくしの心の弱さを克服するには、今しかないのよ」
「心の、弱さ……」
フィオナの物言いに、アリシアは引っかかりを覚えた。
(そういえば、結局フィオナ様がどうしてパーティーに出ると倒れるのか、その原因をわたしは知らない)
訊ねようか悩んだ。
そこに触れてしまっていいのか不安になった。
だけど、恐れるあまり何も訊けずにいたからこそ、フィオナの事情をスコットの耳から聞くまで知ることができなかった。
……そんなのはもう嫌だ。
「フィオナ様、一体何があったんですか?」
「……くだらないことよ。本当に、自分でもくだらないことだとは思ってるの」
まるでアリシアが訊いてくれることを待っていたかのように、フィオナはそうして語りだした。
フィオナが語ったのは、貴族社会なら本当にどこにでもある出来事だった。
五年前――フィオナがまだ十二歳の時。幼いながらも公爵家の一人娘であったフィオナが大人たちの社交界に仮面をつけて出席し、同年代の令嬢令息たちと仲良く話をしていた。
少ししてフィオナは離席し、再び戻ってきたときに耳にしてしまったのだ。
先ほどまで仲良く話していた彼ら彼女らがフィオナの悪口を言っているのを。
「生まれた家の格が高いからって偉そうに」「ドレスも宝石もいいものばかり」「鼻につく」
初めて人間の裏側を知ったフィオナは、ショックのあまりその場で倒れてしまった。
以来、貴族の集まりに顔を出すとその時の記憶が蘇って立っていられなくなっていた。
精神的にも肉体的にも傷ついたフィオナはそうして人との交流を断っていった。
「――ね? くだらない話でしょう。人には裏と表があるなんて、聡い子どもならだれでも知っていることだわ。そんなものにいつまでも足を引っ張られているなんて、滑稽ですわよね」
自嘲気味にそう零すフィオナの手を、アリシアは反射的に掴んでいた。
「くだらなくなんてありません! フィオナ様は人一倍お優しいだけなんです」
「アリシア……」
「わかりました、フィオナ様。明日の建国祭、フィオナ・ハトルストーン公爵令嬢としてご出席ください。もし不安で辛くてしんどくても、会場にはわたしもいます。周りの人が気になるというのなら、わたしだけを見てください!」
至近距離でフィオナの手を掴みながら、もう一方の手で自分の胸を押さえる。
アリシアの言葉と態度に、フィオナは目尻に涙を滲ませながら頷き返した。