22:フィオナの計画
建国祭前々日の夜。
ハトルストーン公爵邸は出立のための準備で慌ただしかった。
建国祭に参加する貴族たちは前日のうちに王都入りするのが慣例となっていて、ハトルストーン公爵家は前日の朝に出立し、昼頃に到着する手はずになっている。
フィオナの代わりを務めるアリシアもまた、出立の準備をしていた。
(とうとう、明後日……)
明後日。アリシアはフィオナとして建国祭に出席し、その後スコットの求婚を受け入れる。
そうと決まれば最後の最後までフィオナとして演じ続けなければ。
髪を黒く染めるために染料と当日着るドレスの確認をしていると、そこへひょこりとフィオナが現れた。
「アリシア、メイド服を一着貸してくれないかしら」
「メイド服ですか? それはもちろんいいですけど……」
元々公爵家から支給されたもので断る理由はない。
だが、何故フィオナがそんなもんを借りたがるのだろう。
「何に使われるんですか?」
クローゼットから取りだしたメイド服を手渡しながら訊ねる。
すると、フィオナは得意げに言った。
「わたくしが貴方として建国祭に出席することにしたわ」
「……ええと、それはどういう?」
「つまり、貴方はわたくしとして、わたくしは貴方として建国祭の場に出るということですわ。そうすればアリシアがあの変な男の言うことを飲む必要も、クライヴ様にわたくしたちの入れ替わりがバレることもないでしょう?」
「ここ数日何か考えられている様子だったのはこのことだったんですね……」
フィオナの提案をもう一度頭の中で嚙み砕く。
スコットは建国祭の場でフィオナがアリシアであることを公表することを引き合いにして婚約を持ち掛けている。
しかし、その場にフィオナが扮したアリシアがいれば、スコットは表立って何も言えない。
何せその場にはフィオナとアリシア、両者が存在している。
そしてお互いを入れ替わった状態でパーティーに出席することで、クライヴも入れ替わりに気付くことはない。
理にはかなっている気がする。
だけど、そう単純な話だろうか。
「わたしに扮したフィオナ様にクライヴ様が気付かれるのでは?」
「わたくしに気付くようでしたらそもそもアリシアがわたくしを装っている時点で気付いているはずですわ」
「……それは、そうかもしれません。で、ですが、スコット様がわたしたちの入れ替わりを強引に指摘したらどうするんですか?」
「それを証明する手段なんてないでしょう? そもそも、わたくしたちが入れ替わっているなんてことをまともに信じる人なんていないわ」
「そうかもしれません……」
そもそも外部の人間からすれば二人が入れ替わっていることに意味も必要性も見いだせない。
スコットがいくら喚いたところで、その場に二人が存在する以上どうにもならないだろう。
盲点だった。
と同時に、アリシアはフィオナに気遣いの目を向ける。
「フィオナ様はよろしいのですか? パーティーには出られたくないと仰られていたのに」
フィオナの社交界デビューの日の夜。
彼女が弱々しい声で謝ってきたときのことを思い出す。
あの時の彼女はただの我儘だけでパーティーを欠席したようには見えなかった。
もっと深刻な事情があるように感じられた。
アリシアが訊ねると、フィオナは胸を張って笑った。
「元はと言えばわたくしが招いたことでしょう? それに、もう避けてばかりではいられないもの。どうせ避けられないのなら、今動くべきじゃなくて?」
「フィオナ様……」
自信満々に宣言したフィオナの手を取って、アリシアは小さく頷いた。
「わかりました、フィオナ様。フィオナ様の作戦を採用しましょう。わたしも精一杯お支えします」
「よろしく頼むわね、アリシア」
「ところでフィオナ様」
「何かしら」
「もしや、建国祭をメイド服で出席されるおつもりですか?」
「ええ」
「立場としてはわたしはフィオナ様の侍女として出席する形になりますが、侍女である前に貴族令嬢です。わたしも普通にドレスを着ての出席になります」
「そ、そうなの?」
初めて知ったとばかりにキョトンとするフィオナに、アリシアは頭を押さえつつ、侍女としての最低限の知識を急いで叩き込むことにした。
◆ ◆ ◆
「ふふっ、なんだかおかしいですわね」
「笑い事じゃないですよ。わたしは朝から緊張しっぱなしです」
ハトルストーン公爵邸から王都へ向けて出立した三台の馬車。
そのうちの一台に乗っているフィオナとアリシア。
馬車に揺られながら、フィオナは小さく笑った。
いつものようにアリシアは髪を黒く染めている。
そして、フィオナもまた髪を亜麻色に染めていた。
少し人工感が抜けきらない色合いになっているが、バレることはないだろう。
お互いに扮している特殊な状況に思わず笑ったフィオナに、アリシアは少し強張った声で応じる。
フィオナの作戦はハトルストーン公爵と公爵夫人に伝えられ、二人はそれを受け入れた。
公爵家にとって家を守ることは何よりも大事だが、それ以上にアリシアへの責任も感じていたのだろう。
両者を天秤にかけて、これが最大限譲歩できるところだったのかもしれない。
前を走る馬車に乗っている公爵と公爵夫人に感謝しつつ、フィオナと立ち居振る舞いについて再度復習しているうちに、あっという間に王都へと入った。
以前ランデブーで訪れた時以上の活気で満ち、都の至る所に国旗の飾り付けがされていてとても華やかに見える。
アリシアたちを乗せた馬車はそのまま王城の近くにある洋館へ入っていく。
貴族たちの宿泊所となっているそこは、すでに複数の馬車で行き来していた。
ハトルストーン公爵夫妻とフィオナ、そしてアリシアは洋館の数室へ案内される。
まだ時間は昼だが出歩く予定もないので、早速貸し切りの浴場でお互いの染料を洗い流すと、それぞれの部屋で明日の建国祭を待つこととなった。
部屋の窓から王都の街並みを眺めながら、アリシアは明日への不安を募らせていた。
(ううん、フィオナ様も折角頑張ってくれるんだし、わたしも信じないと)
軽く頬を叩いて気合を入れ直す。
その時、扉の方で物音がして、アリシアはビクッと肩を震わせた。
「気のせい……?」
扉に歩み寄ってみるが、外に人の気配はない。
しかし、扉の隙間に何かが差し込まれていることに気が付いた。
「手紙……」
宛先も差出人も不明。
封蝋もされていない。
一度扉を開け、廊下をキョロキョロと見回してから、アリシアは手紙に目を通した。
「『――今日の夜。庭に出て来るように。未来の婚約者より』。これって……」
それは紛れもなく、スコット・オルブライトからの手紙だった。