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21:最後のランデブー

 賑やかな音楽と共に目の前で曲芸が繰り広げられる。


 天井に渡された一本のロープ。

 それを逆立ちで歩く団員。

 場内はハラハラと緊張感に包まれ――やがて、団員が渡り切ると一斉に喝采へと変換される。


 ハトルストーン公爵領内の街へ巡演に訪れたサーカス団のパフォーマンスに、アリシアとクライヴは惜しみない拍手を送っていた。


 アリシアが留守の間病床に伏していることになっていたフィオナも、アリシアが戻ってきたことでその必要もなくなり、フィオナが完治したと知ったクライヴから早速ランデブーに誘われたのだ。

 ちょうどサーカス団が近くを訪れているということもあって、アリシアたちはそこを訪れていた。


 次々と繰り広げられる炎や水を使った団員たちのパフォーマンスに観客は熱中していた。

 その興奮は演目が終わった後も冷めやらない。


 サーカス団のテントから人々が出ていく中、アリシアはクライヴに誘われて近くのカフェへと入った。

 手際のいいことにすでに予約していたらしく、店の奥の個室へと案内される。


「ここのスイーツが絶品だと教えてもらってね」


 アリシアの椅子を引きながら、クライヴが楽し気に囁いた。

 楽し気なクライヴに反して、アリシアの胸中は鬱屈としている。


 建国祭まであと一週間。

 時期を考えれば、クライヴとこうして会えるのも建国祭を除けば最後になる。


 相手は公爵家の人間で、片や自分は子爵家の人間。

 恐らく、建国祭が終わればもう二度と話すことはないだろう。


(……だから、もう優しくしないで)


 メニュー表を手渡しながら「このスイーツ、上品な甘みが美味だそうだよ」と伝えてくる。


 アリシアの好みを知って、事前にリサーチしていたのがわかる。

 しかし、クライヴの表情は得意げなものというよりは、アリシアが喜んでくれるのを期待している様子で、それが一層アリシアの胸を締め付ける。


 不意に、クライヴがメニュー表をパタリと閉じた。


「もしかして、無理をさせてしまっているかな。病み上がりでまだ体調が優れない?」

「い、いえ、大丈夫ですわ。すでに完治しましたもの。久しぶりに出かけられて嬉しいぐらいですわ」


 慌てて取り繕う。

 だが、クライヴはより一層疑惑の目を鋭くした。


「……今日の貴方はやはり変だ」

「そ、そうかしら」

「ああ。今までなら、『お気になさらず』とぶっきらぼうに演じて見せたものだ。僕に心を開いてくれていたのなら嬉しいが、そうも見えない」

「サーカス団の方のパフォーマンスに興奮していただけですわ」


 アリシアは投げやりな言い訳をしてこれ以上の追及を拒む態度を見せるが、クライヴは逆に身を乗り出すようにしてきた。


「楽しんでもらえたのなら何よりだ。しかし、今日のフィオナ嬢は心ここにあらずといった様子に見える。何か気になることがあるなら教えて欲しい。僕にできることなら何でも力になろう」

「――ッ」


 クライヴが真摯な声音で告げて来れば来るほど、アリシアの中で言葉にできない激情が湧き上がる。

 そしてそれは遂に形として現れた。


「もう構わないでくださいっ」


 自分でもわからない激情に突き動かされて立ち上がったアリシアは、そのまま駆けるようにして店内から逃げ出した。

 外出用のドレスがアリシアの衝動を後押しするように快適に足を走らせる。


 人の波を避けるようにして走り続けていると、やがて路地裏へと入り込んだ。

 人の気配が消え、表の喧騒が嘘のように静かなその場所でひと呼吸おいてすぐ、アリシアは自分の愚行に気付いた。


(わたし、なんてことを……っ)


 半ば八つ当たりで勝手に逆上して、あまつさえ店を飛び出す始末。

 貴族の令嬢どころか人としてあるまじき行いだ。


 ドレスに土がつくこともお構いなしにその場に蹲る。

 フィオナに告白したとき、決意は固めたつもりだった。

 けれどああしてクライヴに会って彼の優しさに触れると、どうしようもなく胸が引き裂かれそうになる。


「……わたし、本当に嫌な女ね」

「なんだぁ、姉ちゃん。こんなところで蹲って」

「――ッ」


 突然かけられた声に顔を上げると、そこには屈強な体をした男がいた。

 反射的に立ち上がると、男は一歩前に出て距離を詰めてくる。

 男の眼差しに、アリシアはスコットの姿を幻視した。


「ご、ごめんなさい。すぐに出ていきます」

「いやぁ、かまやしねえよ。ここはただの道だ、誰のもんでもねえ。……ところで、見たところ一人みたいだが、男に振られでもしたか?」

「……っ」

「っと、図星か。なら折角だ、俺と少し楽しまねえか? なぁ?」

「し、失礼しま――きゃっ」


 その場を離れようとしたアリシアの左腕を男の大きな手が掴む。

 強い力で握られて、アリシアは顔を顰めると同時に恐る恐る男を見上げた。


「は、離してくださいっ」

「いいだろ別に。姉ちゃんだってそのつもりでこんな人気のないところに来たんじゃねえのか?」

「違います!」

「へへ、素直じゃねえなぁ。まああっちに俺の家があんだ。寄っていきな」

「っ、離して!」


 強い力で引っ張られ、裏路地の奥へと引きずり込まれる。


 ――そう思った、その時。


「何をしている」

「っ、クライヴ様!」


 声がした方を見れば、息を荒らげて肩を上下させているクライヴの姿があった。

 もう聞き慣れているはずなのに、今まで聞いたことのない冷たい響きを宿した声で、男を威嚇する。


 男とクライヴは睨み合い、少ししてアリシアの腕は乱暴に解放された。


「ちっ、なんだよ。男いるんじゃねえか、くそが!」


 道のわきにあるゴミを蹴飛ばして、男は路地裏の奥へと消えていった。


「フィオナ嬢! 大丈夫かっ」

「クライヴ、様……も、申し訳ありません……」


 駆け寄ってきたクライヴに、アリシアは恥ずかしさと情けなさでただ謝ることしかできなかった。



     ◆ ◆ ◆



「すまなかった」


 カフェへ戻らず、そのまま馬車に乗り込んで帰路に就いてすぐ、俯いていたアリシアに向けてクライヴが突然頭を下げてきた。


「無神経に問い質してしまった。本当にすまない」

「そ、そんな……クライヴ様は何も悪くありませんわ。わたくしが勝手に八つ当たりをしただけですもの」


 この数分の間になんとか落ち着きを取り戻したアリシアはフィオナとしての口調を張り付けながら、頭を下げたままのクライヴに首を振る。

 しかし、クライヴはアリシアの言葉を受けてもなお頭を下げたまま、「いいや」と否定する。


「建国祭までもう一週間ということもあって、僕も色々と焦ってしまっていた。少しでも貴方に良いところを見せようと、無遠慮だったのは否定できない。……本当にすまなかった」

「良いところを、見せようと……」


 クライヴの正直な告白に、アリシアはなんだか可笑しくて小さく笑ってしまった。


「ど、どうして笑う」

「ごめんなさい。クライヴ様にもそういう一面があると思うと、可笑しくて」

「……愛する女性に好きになってもらいたいのは当然だろう」

「~~~~っ」


 唐突な告白にアリシアはかぁっと熱くなる。

 どうしてそうすらすらと恥ずかしげもなく言えるのだろうとクライヴの顔を見れば、彼の顔もまた赤くなっていた。


 奇妙な沈黙が流れる。

 この沈黙を少し心地いいとさえ感じてしまう。


 だが、アリシアはすぐに頭を振って意識を切り返す。


「改めてわたくしの方こそ取り乱してしまって申し訳ありませんでしたわ。クライヴ様のお気遣いはありがたく思っております。ご気分を害してしまいました」

「僕は気にしていないさ。僕が気にしているのは、貴方に嫌われてはいないだろうかということだけだよ」

「茶化さないでくださいます?」

「茶化していないさ。本心だよ」


 今度は照れることなく真剣に告げてくる。

 彼の言葉がこの場だけのことを指しているわけではないことは、容易に感じ取れた。


 クライヴもわかっているのだろう。

 建国祭が終われば婚約についての是非が明らかになることを。


 アリシアは敢えてそれ以上は何も言わないで、車窓の外へ視線を逃がす。

 クライヴもそれ以上は追及してこなかった。


(早くこの時間が終わって欲しいのに、終わって欲しくない……)


 これ以上クライヴと一緒にいると心が揺らいでしまう。

 それが嫌なのに、もっとクライヴと一緒にいたいと思ってしまう。


 アリシアの矛盾に満ちた葛藤をよそに、二人を乗せた馬車はハトルストーン公爵領都へ入り、公爵邸へ到着した。


「今日はありがとうございました。それでは」


 馬車を降りながら、クライヴにカーテシーをとる。

 そして屋敷へ戻ろうとしたアリシアをクライヴは呼び止めた。


「フィオナ嬢」

「はい?」

「建国祭の夜、どうか僕と踊ってくれないだろうか」


 建国祭の夜。

 建物全体を照らせるほどの明かりを準備するのはそう容易なものではなく、貴族のパーティーでも夜会は早々開かれない。


 しかし建国祭は一日を通してパーティーが執り行われる。

 建国祭の夜は、貴族の一年を通して一番贅沢な時間になる。


 アリシアはクライヴへの返答に逡巡した。

 恐らく、その夜の時間がクライヴと会話をする最後の時。


(最後だけ。最後だけだから……)


 アリシアは自分に言い聞かせるように心の中で反芻すると、クライヴに向けて笑顔を浮かべた。


「喜んで」

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