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20:心の傷

「ただいま戻りました」


 プリムローズ子爵邸を出立し、ハトルストーン公爵邸へ戻ったアリシアは、いの一番にフィオナの部屋を訪れた。

 フィオナは相変わらず病床に伏せている演技をしていた様子だったが、アリシアが現れると途端にベッドから飛び跳ねた。


「お帰りなさい。どうでしたの、パーティーは」

「楽しかったです。ハンナにも会えました」

「そう、それはよかったですわね。……何かあったのかしら?」

「い、いえっ、何も」


 フィオナの問いかけに、アリシアは慌てて両手を振って否定する。

 若干訝しみながらも、フィオナはそれ以上追及はしてこなかった。


 アリシアがフィオナへの挨拶を終えて少しして。

 彼女の帰還を知ったギルバートたちに呼び出されて彼らのいる部屋へと足を運んだ。


 廊下を進みながら、彼らの要件がなんであるかアリシアは見当がついていて、だからこそその足取りは重たかった。

 そして、ギルバートとアビゲイル、フィオナの三人がいる部屋につくと、予想通りその言葉から切り出された。


「一月後の建国祭。そこまでは君にフィオナの代役を任せたい。建国祭が終われば私たちもレイモンド公爵へ婚約破棄の申し立てをする予定だ。……ここまで面倒をかけた。本当にすまないと思っている」


 ギルバートたちからすれば、その報告はアリシアにとっての朗報になると思っているのだろう。

 フィオナの身代わりなんて役目をようやく終えれるのだから。


 しかし、アリシアにとっては建国祭まで、という期限がどんな死刑宣告よりも重たく感じられた。


 アリシアは内心を表に出さないように努めながら、「お気になさらないでください」と気丈に微笑む。


「お話がそれだけでしたら、失礼します。少し疲れていますので」

「あ、ああ。帰って来て早々に呼びつけてすまなかった。ゆっくり休むといい」


 アリシアはギルバートたちにカーテシーをとってから静かに部屋を退出する。

 そんな彼女を、フィオナはジッと見つめていた。



     ◆ ◆ ◆



 自室へ戻ったアリシアは寝間着へ着替えるとそのままベッドに倒れ込んだ。

 天井をぼんやりと眺めながら自分に言い聞かせる。


 ――何をそんなに気にする必要がある、と。


 スコットは建国祭も自分がフィオナに扮して出席すると確信している。

 王族が招待したパーティーに立場を偽って参加することは、到底許されることではない。

 彼は、建国祭の場で暴露されたくなければ素直に婚約を受け入れろと告げているのだ。


 再度、何をそんなに気にする必要があると、自分に問い質す。


 確かにそのやり口は気に入らないが、相手は新進気鋭の男爵家の人間だ。

 爵位の格から言えば格下ではあるものの、その財政状況はともすればプリムローズ子爵家に勝るかもしれない。

 顔だって悪くない。

 アリシアがちょっと昔に苦手意識を抱えているだけで、結婚すれば案外、ということもある。


 何より、アリシアが彼の求婚を受け入れるだけでプリムローズ子爵家もハトルストーン公爵家も、そしてクライヴさえも全てが丸く収まるのだ。

 アリシア自身が好意を寄せている相手がいるのならまだしも、そうでないのだから、この求婚を断ってまで両家を危険に晒す必要がどこにある。


「……そうよ。悩む必要なんてない」


 自分に言い聞かせる。

 そうしていると、不思議と胸が軽くなった。

 先ほどまでどうしてあれほど真剣に考えていたのかがバカらしくなるほどに。


 ――そう、なるはずなのに。


「……どうして、わたし、納得できないんだろ」


 胸に手を当てる。


 スコットの婚約を受け入れる。

 そう自分に言い聞かせるたびに胸が締め付けられ、涙が零れそうになる。


 アリシアはベッドから起き上がると、ふと窓際のテーブルの上に飾ってある植物の種のブレスレット、綺麗な石、そして崩れかけの泥団子を眺める。

 子どもたちからのプレゼントの向こう側に、クライヴの姿を幻視した。


 その瞬間、つぅと頬を何かが伝った。

 嗚咽が込み上げてきて、口元を必死に押さえる。


 ……本当は、薄々気付いていた。

 自分の気持ちを。


 だけど、この気持ちは決して明かしてはいけないもので、決して抱いてはいけないものだ。

 クライヴはフィオナのことを愛していて、自分は彼を騙している。

 そんな自分が彼に恋心を抱いていいはずがない。


「そうよ……だって、こんなの、わたしの一方的な気持ちだもの……っ」


 途切れ途切れに言葉を刻む。


 自分は、相思相愛の恋愛がしたいと思っていた。

 相手を想い、相手に想われる。父と母のような、そんな恋をしたいと。

 だけど今、自分はクライヴに一方的な気持ちを抱き、スコットに一方的な求婚をされている。


 なんて皮肉なんだと思うけど、これがクライヴを騙していた自分に対する罰なのかもしれない。

 目元を拭いながらブレスレットに手を触れていると、扉がコンコンと控えめに叩かれた。


「アリシア、今大丈夫かしら」

「っ、フィオナ様……ッ」


 声が震えないように意識しながら返事をする。

 それから数瞬のうちに息を整えて、アリシアは扉を開いた。


「ど、どうされたんですか? もしかしてまた髪を梳かして欲しいんですか?」

「違うわ」

「では、一体……?」


 いつもと様子の違うフィオナに緊張しながら訊ね直す。

 フィオナはジッとアリシアの顔を見つめてから、真剣な声音で聞いてきた。


「アリシア……貴方、何かわたくしたちに隠し事をしているのではなくて?」

「――ッ、そんなことないです。わたしはフィオナ様に隠し事なんて」

「わたくしたちに危害の及ばないことでしたらそうでしょう。けれど、話すことでわたくしたちが傷つくかもしれないことは、優しい貴方なら隠すのではなくて?」

「それは、買い被りすぎです」


 目を逸らそうとするアリシアを逃がすまいと、フィオナがジッと見つめてくる。

 ともすれば睨んでいるという形容が似つかわしいその鋭い眼差しに、アリシアは及び腰になる。


 硬直状態になって少しして、フィオナは小さくため息を零す。


「わたくし、確かにアリシアには我儘を言ってきましたわ。パーティーを代わりに出てもらっていたことを筆頭に、朝はギリギリまでベッドから出ないで手を焼かせました。礼儀作法の先生から逃げた時匿ってもらったこともありましたわ」

「……ご自覚がおありだったんですね」

「ですけど! わたくし、アリシアに悲しい思いをしてもらいたいわけではないですわ。もし今わたくしたちのために貴方一人が嫌な目に遭おうとしているのなら、教えなさい」

「フィ、フィオナ様の勘違いで……」

「アリシアッ!」


 フィオナの勢いに負けて目を逸らす。

 その瞬間、フィオナはアリシアの両肩を掴んだ。


「本当に、何もないんですのね……?」


 間近でジッと睨まれる。

 その鋭い眼光の奥にはアリシアを気遣う温もりが宿っていた。

 数秒とも、数分とも感じる時間。


 アリシアはフィオナの目を見つめ返し――やがて、耐え切れずにフィオナに抱き着いていた。



     ◆ ◆ ◆



「――そう。そんなことが」


 アリシアは順々にフィオナに話した。

 スコットのこと。彼から求婚されたこと。そして建国祭を引き合いに出されたこと。


 話を聞き終えたフィオナは、軽くアリシアを抱きしめた。


「ごめんなさい、アリシア。わたくしのせいでこんなことになってしまって」

「いえ、そんな……」

「アリシア。念のために確認しておくわ。そのスコット・オルブライト男爵令息とは結婚したくないのよね?」

「…………はい」

「なら、やることは決まってるわ」


 アリシアが頷いたのを見て、フィオナはパッと笑う。


「わたくしが建国祭へ出るわ。そうすればアリシアが脅される要因もなくなるのでしょう?」

「で、ですが、建国祭にはクライヴ様も出席されます。……今までのフィオナ様がフィオナ様ではないことがバレてしまいます」

「アリシアが脅されるよりはマシでしょう? そもそも、クライヴ卿はわたくしが好きなのでしょう? でしたら、案外笑って許してくれるわよ」

「それは……」


 フィオナの言葉に少し納得してしまう自分がいた。


 この一ヶ月、クライヴと関わる中で彼の人柄をアリシアはよく知っている。

 きっと、クライヴが建国祭の場で激昂することはないだろう。

 たぶん、笑って許してくれるような気さえする。


 だけどその心は傷ついているはずだ。

 ずっと好きな人と心を通わせていると思っていたのに、その人が実は別人だったなんて。


 何より、建国祭が終われば婚約は破棄される。

 好きな人と一度会えただけ婚約を破棄されれば、流石のクライヴだって心穏やかではいられないだろう。


(それに、クライヴ様からすればあまりにも酷すぎる失恋だもの)


 自分が恋慕する相手と会えたと思えば、直後には婚約を破棄される。

 耐え難い屈辱で、耐え難い苦痛だろう。

 もし自分がクライヴの立場だったなら、とても耐えられない。


 一度騙したのなら、最後まで騙し切る。

 それは、アリシアがフィオナを騙る上で胸に決めたことだ。


 正体を明かしたことでクライヴが被る心の傷に比べれば、自分がスコットと結婚することなんて大したことじゃない。


「フィオナ様、わたしは大丈夫ですから」


 アリシアは、今日一番強い声音でフィオナにそう告げた。

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